分かりやすい文章=内容の1次元化

わかりやすい文章とは何かって、あんまり教えられないんですよね。仕事でも、学校でも。でも、わかりやすい文章を書く能力って社会でめちゃ大事ですよね。

新聞記者としてやってきた中で、私なりに、わかりやすい文章とはコンテンツの情報を可能な限り「1次元化」させた文章なのではないかと解釈しています。

文章を書こうと思ったとき、それがどのような内容であるにせよ、対象とする要素にはさまざまな「方向性」が付いています。しかし言葉というものは、基本的に始まりから終わりに向かって一方向に読むものです。つまり、多軸・多次元に散らばる情報に対して一軸・一次元方向の視点を与えてあげることがわかりやすい文章にとって重要だと思うんです。

理系学生の皆さんは、日ごろの実験や研究を思い出してみてください。実験するときはいろいろと工夫しますよね。私は化学系だったので化学実験で例えますが、反応の最適条件を割り出すにあたっては、温度を変えたり、溶媒を変えたり、反応条件を変えたりして様々に検討する必要があります。

では、それらをバラバラに検討していては、最適な条件に近づくでしょうか?答えは否です。まずは、とりあえず「温度だけを変えてみよう」とか「最適な溶媒の検討から始めよう」と考えるほうが、答えに近づけるはずです。ほかの条件をあえて切り捨てて、一つの条件に集中するということです。

文章を書く時もこれと全く同じだと、私は理解しています。あまたの情報から、これぞというものを見つけ、恣意的にそのベクトルに合わせて「切ってあげる」ことが大切です。それ以外は思い切って切り捨てることも重要です。様々な方向を向いた膨大な情報を投げつけられても、理解できないからです。

就活の履歴書のような明確な性格を持った文章の場合、最初から切るべきベクトルは明らかです。「自分とはこういう人間です」という情報の中から、学歴や志望動機などのみを抽出すればいいと指定されるわけです。やっかいなのは、読書感想文や作文などです、自由に、なんでも書いていいと言われると、逆に何を書いていいかわからないものですよね。

私見ですが、理系の人で文章がうまくない人の多くは、すべてを完璧に説明しようとするあまり、どの情報も捨てられない人だと思っています。それは「実験者・技術者」としては優秀ですが、「研究者・表現者」としてはいまひとつではないでしょうか。一つの能力として否定するつもりはありませんが、そればかりではうまくいかないのも事実ですよね。時には、誤解を与えるリスクを恐れるよりも、伝わることのメリットを最大化するのも大事です。

では、どんなベクトルで切ってあげるのか。それが記者の腕の見せ所なんでしょうね。と思いつつ、日々勉強ですね。



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