61. Eid Mubarak!-母方の親戚の家に行く
ヒジュラ暦1440.12.15 (2019.8.16)
イード ムバラク!(イードおめでとう!)
こちらでは8/11~8/14の間、イード・アル アドハーという祝日だった。ラマダンの終わりを祝うイード・アル フィトルという祝日と、このイード・アル=アドハーがイスラム教の大きな祝祭日。今年のイード・アル フィトルについては、こちらに書いた。
数日前にリヤドに戻ってきて、体に時差が残っているので、このイードの休みの間に体内時計を戻そうと思っていた。この際、一気に朝方にして、21:00就寝-5:00起床を目指すことに。
8月12日夕方。知り合いのサウジ人やアラブの人に、「Eid Mubarak!🐑」というメッセージを送った。さあ、晩ごはんを食べて、今日も早く寝よう。そう思っていたら、携帯電話にメッセージが。
“Thank you. Brother. Are you in Riyadh?”
“Come to my place at 8:15PM”
私のメッセージに、近所のサウジ人のナイーフさん(仮名)から返事が来たのだ。彼は以前、私に声をかけてくれて、それ以来、何かと私を家に招いてくれる人だ。その時の話はこれ。
あ~サウジに帰ってきたなと(笑)この気軽で突然なお誘い。もう、行くしかないのだ(笑)私も日本からのおみやげを渡したかったので、8:15PMに行くと伝えた。
8:00。自宅で服を着替えている。寝間着でなく外着だ(日本なら午前2:00)あくびが止まらない。
8:15。ナイーフさんの家に行くと、ナイーフさんは寝間着のようなかっこうだ。そしていつもの離れには誰もいない。内心、うわ~これからみんな集まるのか~と思ったら、ナイーフさんが
「今日は、これから母方の親戚の家に招かれて行くから」
「車の整備が終わったら出るから、ちょっと待ってて」
と。
“え~~~~~~~!、これから出かけるの~!”
心の第一声だ。完全に油断していた。正直、ナイーフさんの家にはもう、何度も来て、兄弟親戚(父方だと判明)にも会っているので、私もある程度、リラックスしているのだが、この眠くてぼけぼけの頭で、新しい所に連れていかれるのはきついな~と思いながら…
「OK!」
と明るく答えた。もう、こういう運命なのだ。私は流されるしかないのだ。
そして、車の整備が終わり、出発となった。車の整備って何かなと思っていたけど、もう、出陣!って感じの車だった。
けっこう大きな車で、アメリカから特別に輸入したらしい。ホイールのとげとげが勇ましい。珍しい車なので走っているとみんなが携帯で車を撮るのだ。“あ~セレブって毎日、こんな感じなのかぁ”と必要のない共感をしながら、30分ほど走って、親戚宅へ。
ここからはいつもの怒涛のあいさつラッシュ。この場で洋服を着ているのは私だけで、親戚のみなさんもどうして私がいるのかよくわからない状況。そんな私なのに、応接用の離れの奥に座らされる。隣を見るとこの一族でも年長者と思われるおじいさんが座っている。
次から次へと親戚が入ってくる。来るたびにみんな立ち上がって、一人ずつ挨拶をしていく。特に年長者に挨拶する場合は念入りに、額から頭にかけての部分にキスをするようなあいさつ。年長者の方も人が来るたびにソファから立ち上がるのは大変そうだった。
そんな年長者の後で、私とのあいさつ。若干、相手も混乱しているように感じた(笑)“こいつ、何者??”
私も「はじめまして」と何度もあいさつしてると、時々、
「はじめましてじゃないよ。ナイーフの家で会ったでしょ」と言われたりした(笑)これまでに、ナイーフさんの親戚だけでもう50人近く会っている。わりとみんな顔が似ている。きっと、また次にあった時も「はじめまして」と言うだろう。それにしても、ここ数年、自分の親戚よりもナイーフさんの親戚にたくさん会っている気がする。
そして10時過ぎだろうか、親戚が全員集まったところで、庭に出てご飯を食べる。いつまで経っても、このパラパラご飯を手で食べるのは難しい。ちなみに上にのっているのは羊のお肉。
ご飯を食べた後は、また応接用の離れに戻って、お茶やお菓子などを楽しみながら談笑、そしてなんとな~く解散。家に帰ると11:30だった。眠かった。
今回も貴重な体験をさせてもらった。日本でもお盆やお正月は親戚が集まったりするのだろうが、サウジの場合、家族・親族の結束の強さを感じるし、挨拶の場面を見ても一族の年長者に対する尊敬が重んじられているのがよくわかる。加えて、ゲスト(私)をいとも簡単に受け入れる(しばしば放置)、この度量の広さには毎回、感心させられる。
↑写真はサウジの家でよく出される「チョコレートの山盛り」のイードバージョン(羊かと思ったけど、ヤギ?だろうか。)