見出し画像

Y:2 うさんくさいの成分

仮想通貨って何なんだろうと思い、1年ぐらい前から調べていた。何ならちょっと買ってみたいと思ったりした時期もあった(笑)最近は、仮想通貨への関心が薄れた。というのも、私が不勉強なのだが、そもそも「通貨」と呼ばれるものの価値が乱高下して、通貨として機能するのかという疑問がわき、それに対する答えを見つけられなかったからだ。

それはさておき、仮想通貨について興味を持って調べていると、youtubeに仮想通貨に関する動画がたくさん上がっている。一度、どれかを見ようものなら、その後、どんどん、おすすめ動画が仮想通貨関連になっていく。

よくある動画は、仮想通貨の価値(値段が)今後、どうなるかの予想で、いつが買い時だ、いつが売り時だ、詳しい情報を知りたい方は、有料チャンネルに登録してください的なものだ。

私が仮想通貨関連の動画を見て、心でつぶやいたことは
“うさんくさい…”
ということだった。これを読んでいて、仮想通貨の売買をしている人がいるかもしれないけど、それを批判するつもりは全くない。私は不勉強で、仮想通貨の仕組みについていけなかっただけだ。

で、私の関心はそこから、自分の中に湧いてきた“うさんくさい”という感覚に移った。うさんくさいって何なんだろう。どうして私は仮想通貨の動画をうさんくさいと思ったのだろう。

辞書で「うさんくさい」を調べると

見た様子がなんとなく怪しくて油断できない。疑わしい。

と書いてある。ふと思い返して、自分はいつ「うさんくさい」と感じたり、この言葉を使ったりするようになったのだろうと思った。なんとなくだが、小学2年生の自分は「あれ、うさんくさいね」って言ってなかった気がする。中学2年ぐらいになると言ってそうだ。

小学2年では言わなかったけど、今これを書きながら、あれは「うさんくさい」ってことだったのではと思い出したことがある。「お祭りのくじ」だ。100円でくじを買って、景品が当たるというものだが、一等は、当時、入手困難なゲーム機だった気がする。子ども心に何で、こんなところに入手困難なゲーム機が置いてあって、それを100円という安い値段で入手できる可能性があるのだろうと。ほんとに、当たりくじがあるのか。なんかうそくさいな~、と思った記憶がある。今にして思えば、「うさんくさい」と思っていたんだと思う。

うさんくさいを「人」と「こと」に分けて考えてみた。

うさんくさい人は、こちらとの付き合いが浅いのに好意的だ(いい話を、くれるという意味)。うさんくさい人というのは、私のことをあまり知らないし、私もその人のことを知らない場合が多いだろう。

関係性がはっきりしていなくて、あいまいだ。うさんくさい友人っているのだろうか。(いるか⁉)ここで言いたいのは、相手がこちらを過度に信用しているということだ。何であなたは見ず知らずの私に、そんな利益をもたらそうとするのか。

そして、「こと」。うさんくさいことというのは、お金に限らず「利益」のようなものがあって、コストに対し、利益が過度に多いのだと思う。仮想通貨にしても、くじで当たるゲーム機にしても、払うコストに対して利益がやけに多い(ことになっている)。「絶対に儲かります」というのも過度の利益だ。逆に言えば、“ちょっと得する”うさんくさい話というのは、なさそうだ。

そして、うさんくさいことも「あいまいさ」を含んでいる。多くのうさんくさいことは、大事な部分が、いまいちよくわからなくて、ぼやけているんじゃなかろうか。

仮想通貨もお祭りのくじも、関わる人や仕組みの核の部分があいまいなんだ。それが、私にうさんくささを感じさせるんだ。

「うさんくさい」とは、関係性があいまいなのに、やけに近寄ってくる人や、正確にはよくわからないんだけど、得られる利益が法外な時に、人の経験則からもたらされる警報(アラーム)なんだと思った。

この人(状況)は不自然だ、罠じゃないかいって時に、私は“うさんくさい”と感じている気がする。

Photo by André François McKenzie


いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!