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101. 一時帰国からリヤドへの帰還
ヒジュラ暦1442.4.27 (2020.12.12)
天の声で7月末に日本に一時帰国することになり、先日、再びリヤドに帰ってきた。4か月ちょい日本にいたことになる。
日本に戻ってから、ちょこちょこ書きたいことはあったのだけど、「こちらリヤド、43℃」というタイトルで書いているので、なんとなく、書きにくかった(笑)
もともと、今年の夏休みは一時帰国はあきらめていた。3月以来ずっと新規の感染者が増え続けていて7月上旬くらいには1日の新規感染者が4000人に達していた。人口が約3000万人の国としては、なかなか厳しい状況だった。とうに国際線はストップしていた。
これは灼熱のリヤドに閉じ込められたなとあきらめていたら、天の声で「戻ってきてください」と。それは、帰らなければとチケットの手配をしようとしても、航空会社のホームページはフライトの予定はない。
大使館からの情報を頼りに、航空会社の担当者に直接メールをした。するとGoogleフォームみたいなのに情報を書くようにと。
ここに、名前、ID、パスポートナンバー等々を書いて大丈夫なのかなと思いつつ、書くしかないので送った。結局、そのフライトはサウジ当局から最終的な許可が出ず飛ばなかった。
10日後ぐらいにまた、同じような話が来て、またGoogleフォームに記入した。やはり許可待ちということで、フライトの2日前まで音沙汰がなく、これはダメだなと思い、買い物に出かけた車の中で、航空会社から電話がかかってきて、「飛行機に乗るつもりなら、14:00までに入金してくれ」と。
詐欺の手口じゃないか(笑)それでも、信じてお金を払い、なんとか日本へのチケットを手に入れることができた。
この時期、何が一番怖かったかというと、空港に行くことだ。この頃には、Work From Homeにも慣れ、生活用品もオンラインでだいたい買えるようになり、私の日常生活はほとんど人に会わずに、完結するようになっていたので、日々の感染者が多い状況でも、何とか逃げ切れるんじゃないかと思っていた。むしろ、危ないのはうろちょろすることで、こうやって避難しようとして、空港に行くことで感染したら元も子もないよなと内心、おびえていた。
7月末。リヤドの空港は私が想像していたより、混んでいた。もちろん、いつもの帰国時に比べれば、かなり空いていたが、国際線が飛んでないわりには人がいた。普通の国際線は飛んでいなかったのだが、私がその時に乗ったような特別便がリヤドからは出ていて、エジプトやインド方面の人たちが多い印象だった。
リヤドからドバイを経由して成田までは、当然ながら今まで乗った中では最も空いていて、リヤド・ドバイ間は横一列に客が一人みたいな状態だった。さすがにドバイ・成田間は隣を一席空けて座るぐらいの客はいたが、せいぜい100名ぐらいの乗客だったのだろうか。
印象的だったのはドバイの空港で店がほとんど閉まっていて、閑散としていたことだ。ドバイと言えば世界のハブ空港のイメージだったので、コロナの経済に与えるダメージというのはこういうことなのかと実感した。
成田では例の検査で鼻に長い棒をつっこまれるのかと、気が重かったが数日前から唾液による検査に変わったらしく、しかも、午後の成田着でもその日中に検査結果が知らせてもらえるようになっていた。検査のブースに唾液をうながすための梅干しとレモンの写真が貼ってあったのが印象的だった。
成田で15日間ホテルに滞在した。初めてここまで長期間ホテルの滞在したが、自主隔離期間だったので、長い時間をホテルで過ごすことになり、この間に体重が増加したと思われる。
その後、いつもなら実家に帰るところを、諸々の事情を鑑みて、実家と同じ市内にあるAirbnbで部屋を探して3週間、その後、首都圏に戻り、マンスリーマンションで4か月弱過ごした。
Airbnbにしてもマンスリーマンションにしても、確かに体一つで入居して生活が始められるので便利ではあるものの、ちょこちょこ足りない物があったりする。タオル掛け、小さめのスプーン、ざる等々。100円ショップに行けば買えそうなものだが、どうせサウジに持っては帰れないので、捨てることになる。期間限定の生活でありながら、その期間がどの程度続くかわからない中で、どの程度、生活の快適さを追求すべきなのか、考えさせられたし、自分が何を優先しているのかが、買い物をする中でわかりおもしろかった。
気づけば、季節は夏から秋に変り、冬になった。私のスーツケースの中には長袖のものがほとんどなく、10月中旬には寒さに耐えられなくなった(20℃を下回るぐらいだったけど)。なにせ、ほぼ年間30℃を超えるような場所に5年近く住んでいるので、私のワードローブ(←使いたかった)には半袖9割になっていたし、そもそも寒くなる前にリヤドに戻れると思っていた。
日本に帰ってきて2ヵ月ぐらい経ち、そろそろリヤドに帰りたいと思っていた。ホテルや生活のできる部屋、マンションに泊っていても、リヤドの自宅には、かなわないと感じていた。しかも、今回は休暇で帰ってきているわけではないので、仕事をするのに仮住まいは不便が多かった。
さらにそれから時が過ぎ、日本に帰ってきて3か月ほど経つと、徐々に日本の良さが体に染み始めた。まず「秋」だ。4年ぶりの日本の秋。すばらしかった。暑くもなく寒くもなく、空は青く、風は気持ちよく。金木犀の香りもすばらしかった。外を歩くだけで癒される。そして、食べ物。おいしい、安い、種類多い(笑)安いというのは同じものをリヤドで食べようと思ったらということだけど、簡単にたどり着ける快適さに徐々に体が慣れ始め、リヤドに帰ることが少し気が重くなってきていた(笑)
それでも、徐々に再入国ビザの期限が迫ってきていたので、早く帰らなければという思いもあり、その時が来るのを、今か今かと待っていた。11月末になり、リヤドに戻ってもよいことになったので、急いで、航空券を手配した。行きと同様の航空会社で戻ろうと思っていたけど、売り出されていなかったりしていて、結局、アブダビ経由で帰ることにした。
出国にはPCR検査の陰性証明書が必要なので、成田のPCRセンターを予約し、前日に検査してもらった。今度は鼻からの検査にした。国によっては、鼻からの検査でないとダメというところもあるらしい。鼻からの方が精度が高いらしい。鼻からの検査は痛そうだったが、ほんの数秒で終わるので、大したことではなかった。
12月。成田空港。7月の帰国時は夜の便で帰ってきたので、そもそも、店が閉まっていて気付かなかったのだけど昼間の空港も店舗はほとんど閉まっていて、おみやげを買うのも難しい感じだった。
そんな感じなので、成田・アブダビ間のフライトもがらがらで、ある意味では快適だった。こんな感じで、アブダビ・リヤド間も行けるといいなと思っていたが、それは甘い考えだった。
アブダビ・リヤド間は満席で隣の乗客との距離はなかった。乗客の95%は南アジアの男性と、東南アジアの女性だった。おそらく、サウジに出稼ぎに来ている人たちで、そういう意味では私も同じなのだが、これがなかなか大変だった。
あまり、国籍等でくくるのはよくないことだが、少なくとも私と同じ飛行機に乗っていた乗客の衛生観念が違うというか、マスクをずらして話す人が多かったり、物の受渡しも、躊躇なくやったり、何よりソーシャルディスタンシングについて、全くお構いなしだった。並ぶとびったり、後ろにつかれて、これは地味に嫌だった。
アブダビの空港にて搭乗に並ぶ人の列
そんな感じでリヤドの空港に着いたので、空港の職員が「距離をあけろ」と何度も言う状態だった。つめつめの列が、また伸びて、前に行ったり後ろに行ったり、少しうんざりした。
それでも、到着の客も少なく1時間程度で陰性証明書と入国後の各種義務についての宣誓書の確認が終わり、無事に再入国することができた。
そこからUBERで久々の我が家に帰ることができた。久々の我が家は砂まみれになっていて(これは、織り込み済)、エアコン、水道、冷蔵庫、プリンター等が軒並み不調になっていた。人が住んでいないと家はこんなに傷むものなのか?
そんなことも、ありながら、一つ一つ修理をお願いし、なんとかリヤドの日常に戻りつつある。サウジでは入国者は7日間の自主隔離が必要なので、まずは溜まった砂を除去すべくモップかけから始めている。
↑電子レンジの天板にたまった砂
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