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L:64 荻外荘(近衞文麿旧宅)訪問

2025.1.6

荻窪にある荻外荘に行く。これ、一発で読める人がどれくらいいるのだろう。荻外荘(てきがいそう)。去年、読み方を知った。

荻外荘とは

荻窪の閑静な住宅街にある「荻外荘(てきがいそう)」は、内閣総理大臣を3度務めた政治家・近衞文麿(このえふみまろ)が、昭和12年(1937年)の第一次内閣期から20年(1945年)12月の自決に至る期間を過ごし、昭和前期の政治の転換点となる重要な会議を数多く行った場所です。
平成28年(2016年)に、こうした歴史を持つ「荻外荘(近衞文麿旧宅)」が、日本政治史上、重要な場所として、国の史跡に指定されました。杉並区では、「荻外荘」を近衞文麿居住当時の姿に復原整備し、区立公園「荻外荘公園」として公開中です。

荻外荘復原・整備プロジェクトwebページより

近衞文麿と聞いても、日本史で勉強したぐらいの知識で、どちらかといえば、建物とガラスに興味があっての訪問だった。歴史的には、決して「陽」の場所ではなさそうだ。

イメージは東京都庭園美術館の旧朝香宮邸みたいな感じかなと思ったが、思っていたより、今風の復原というか、置いてある家具が新しく見えた。
ちなみに「復原」と「復元」があることを知る。


以下、今日撮った写真。

西園寺公望が荻外荘と命名したとのこと
近衛と思っていたが衛の字は旧字の近衞
ミシミシいったりはしない。
このあたりは新しく見える
左がトイレなのだけど創建時平面図から洋式便器だったとのこと。木の蓋よき
応接室:中華風だなあと思ったら、そうらしい。詳しくは下記ご参照。
説明してくれた方が、3列目までは元々の敷瓦でそれ以降が復元と言ったいたが、写真でどちらかわからなくなった(おそらく、写真下半分が元々の敷瓦ではないかと)。

敷瓦復原の様子。

このあたりのガラス、素人目に見て、非常に良いです。好きです。
白黒で見ると枠ごとに模様が違うのがわかる
客間:第二次近衞内閣組閣時の昭和15年(1940年)7月19日に「荻窪会談」が行われた
食堂の床、床は寄木張りを見逃さなかった
食堂の上部:壁紙などはやや仰々しい感じがして苦手
広縁:窓枠?菱形をつなげた意匠、好物です
広縁:別角度、暖かい光が入って気持ちがよい
近衞文麿が亡くなった後、一時吉田茂が住んでいたとのこと

下の写真の部屋で近衞文麿は自決したのだけど、そういうのあまり関係なく住んでいたのか〜と思う。

書斎:近衞は、昭和20年(1945年)12月16日早朝、この部屋で自決
外から1:荻外荘の窓が好きかもしれない。
外から2:光がたっぷり入る
外から3:菱形は遠目にもかっこいい
説明

<参考ページ>

杉並区ホームページ
復原の経緯等が細かく書かれている


3104さんのnote
荻窪のことから丁寧に調べて書かれていて勉強になりました。


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駄々こね太/ Essayist
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