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Y:60 "Culture"にする文化、「秘伝」にする文化

日本人は最先端のイケてる考え方やシステムを輸入しなければいけないと思っているんじゃないかと、思うことがある。

雑に言うと、社会福祉は「北欧」、教育も「北欧」、経営、仕事術「アメリカ(シリコンバレー)」が最先端みたいな。

どことなく、日本にあるものは「古く(わるい)」、海外にあるものは「新しく(よい)」という思い込みがあるんじゃないかと。もちろん、海外の考え方やシステムがよいというのは事実としてはあると思う。

例えば、野球もここ20年くらいでずいぶん変わった。昔はピッチャーは「先発」「抑え」ぐらいで、調子がよければいつも完投すべきというのが漠然とあったと思うのだけど、いつのころからか、先発は6回まで投げて、なんなら投球数は100球で、7回からは1回ごとにピッチャーを変えていく。そんなやり方がいつの間にか一般的になった。

おそらく、これはアメリカの野球のやり方が日本に入ってきたのだと思う。「肩は消耗品」みたいな考え方が出てきて、完投の意味合いが薄れてきたのだろう。これは、きっと選手にとってよいことだし、日本、アメリカ、関係なく汎用性があることだと思う。

その一方で、輸入して、私たち(日本)に当てはめるのがどれほど、効果的なのかというのは、実際のところよくわからないものもある気がする。

野球の例で言うとメジャーリーガーの打ち方や投げ方と日本人のそれとは素人目にも違いがある。小さい頃、外国人選手の打ち方をモノマネしたように、彼らの打ち方は特徴的だった。彼らはよく打つわけだし、それこそ彼らのやり方(打ち方)を輸入しようと考えた人もいたと思うけど、現在でも日本人選手にそこまでは浸透していない。

素人考えに、日本人と外国人選手では体のつくりが違うので単純にマネしても効果的ではないのだろうなと思う。だから、大柄の日本人選手ぐらいしかメジャーリーガーっぽい打ち方をしていないように思う。

もう一つ、何かの考え方やシステムを輸入するときに問題だと思うのは、時間差だ。輸入する場合どうしても「翻訳(ローカライズ)」という作業が入ってきて、オリジナルは数年前の話だということがよくある。この時間差が、問題ないこともあると思うけど、「新鮮さ」みたいなものは、なくなるだろうし、どうしても「後追い感」は否めない。それに「翻訳」にかける労力も少なくはないだろう。

日本でも数年前からマインドフルネスとか、瞑想が流行り始めた。たぶん、シリコンバレーあたりから流れてきた気はするのだけど、瞑想そのものは、昔からあっただろうし、東洋由来な気がする。それをシリコンバレーの人たちが、これはクールだと言い出して、productivity が上がると言い、”Meditation” が流行し、それが数年して翻訳されて日本に入ってきたような、そんな流れだったと思っている。

アメリカで流行ると(よく売れる)と翻訳されて日本にやってくるんだろうけど、原著を見ると4,5年前だったりして、けっこう前の話だということがわかる。

自分の情報収集が下手なのか、興味がある範囲内のことで先を行っているのが、海外なのかわからないのだけど、日本のどこどこでやられているこれがいいから、みんなやってみたらいいって話はあまりなくって、なんとなくカタカナで入ってきた新しい概念をありがたく頂戴しますみたいな話が多い。

日本礼賛とか、もっと私たちは自分たちのやり方に自信を持った方がよいという方向に話を持っていきたいわけではない。私はそういうのも好きではない。

この自分たちのやり方が広がらず、海外のやり方を参考にするというメンタリティはもしかしたら、日本人っぽいんじゃないのかと思ったのが、今日、書きたいことなのだ。

大雑把な言い方を承知で書くのだけど自分たちで作ったよい考え方、システムがあった時に、それを

「秘伝」とか「奥義」にしちゃうのが日本(東洋)の文化で、それを"Culture"にしてしまうのがアメリカ(西洋)の文化なんじゃないかと。

例えば「瞑想」は、もとは仏教方面から来てるのだと思うけど、きっと誰でも簡単にできるというよりは、修行をしていく中で真の「瞑想」ができるようになるという考えがあるんじゃないかと思う(調べてないです)。誰でもおいそれとできるものではなかったと思う。そもそも、広めることは最重要ではなかったかもしれない。つまり、それは秘伝であり、奥義にして限られた人しかできないことで価値が生まれる。

一方でシリコンバレーの”Meditation"は、瞑想が科学的によいことがわかって、これただでできるし、コスパめちゃめちゃいいじゃんみたいな。それを誰でもできちゃうように、スマホのアプリでできるようにして、イケてる人は、みんなやってる、それが”Meditation", ”Mindfulness"、みんなやろうぜ!といった感じで自分たちの中にある良いものを広げて、Cultureを作ってしまう(自分たちが発祥(先行者)になれる)ことで価値が生まれる。

雑な二分法ではあるのだけど、そんなことを考えついた。当てはまらないこともたくさんあるだろう。アメリカの企業にだって、企業秘密はあるわけだし、何でも広げようということではないとは思う。ただ、そういう企業秘密も特許制度を作ることで、管理して広めるということを思いついたようにも見える。


で、最初に戻って、

日本人は最先端のイケてる考え方やシステムを輸入しなければいけないと思っているんじゃないかと、思うことがある。

この原因は、

①日本は自分たちで作ったよい考えやシステムを内々で伝え(秘伝にしちゃう)ことで、表に出にくい。
②今回の話では書いてないけど、日本だとうまくいかなかったときに責任を追及されるとか批判されるリスクを回避するために、自分たちのやり方を積極的に広めない。
➂そこに、Cultureにして広げることをよしとする海外のものが、ちょうどよく入ってくる。加えて、もし、うまくいかなくても、"日本と外国はそもそも違うんだよ”みたいな関係者が不幸にならない逃げ道が確保される。

この辺りが、日本(人)が、考え方やシステムを外から輸入しがちな理由なのかなと思った。隠すことで生まれる価値広めることで生まれる価値の違いが行動に表れているんじゃないかと。

老舗のうなぎ屋の代々受け継がれてきた門外不出の秘伝のタレは魅力的だが、マクドナルドのてりやきバーガーのてりやきソース(タレ)も魅力的だ。ある意味、日本の文化になっている。

時代の流れ(ツール)を見ると「広めることで価値を生む」方が有利な時代が続きそうだ。勝負ではないんだし、良いと思えば外から取り入れたらいいという考えもわかるのだけど、それが汎用性のあることなのか、それとも外国人選手の打ち方のようなものなのかは判断が難しい。

翻訳のコストだったり、常に魚の釣り方を教えてもらう側に回ることの危うさもありそうだ。ガラパゴス的進化は揶揄されることがあるけれど、私たちは独自の進化を歩む勇気とさらに言えばそれを広げていこうという気概も必要なのかなと思っている。

こういう言い方をすると、文化侵略的に聞こえる気もするのだけど、気づかぬうちに私たちは進んで侵略されているんじゃないかと思ったりもする。

私はてりやきマックバーガーが食べたくてしょうがないのだ。


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駄々こね太/ Essayist
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