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Y:64 やりたいことdriven

41歳になった。地味だ。去年は「不惑突入」みたいな特別感があったけど。今年は41って誰?という感じだ。

毎年、歳をとる時期に、自分のあり方について考える。今年、頭に思い浮かんだのは努力を引き出すがおっくうになってきたなということだ。

私は、まじめな人間だと思う。自分で言えるのは別に、それが自慢できると思っていないからだ。ちょっと、つまらないと思う。私はどちらかといえば準備を怠らないように、コツコツやるように、瞬発より継続、そういう生き方をしてきた。それが性に合っていると思っている。

だけど、最近、少し疲れたなぁ~と。別に何か嫌なことがあったとか、落ち込んでいるというわけではない。ただただ継続的に勉強をしたり、仕事のための知識を身につけたりすることに対して、以前よりエネルギーを要する感じがしてきたのだ。腰が重い感じ。毎日がよっこらしょなのだ。

「好きなこと、やりたいことをする」というより、「やれそうなこと、これをやると生きのびれそうなことをする」方面を走ってきた気がする。楽しさとか、わくわくなんてものは、仕事に求めてはいけないと。世の中そんなに甘くないと考えている。そっち方面に行くと、私は生きていけなくなるような、そんな不安を20年近く持っている。

大げさなんだけど、私のライフはちょっとした修行感があって窮屈なのだ(もし、許されるならさぼりたいのだ)。行動を引っ張り出すことの限界を感じる時がある。と同時に、好きなことや楽しいこと、自分の快の感情が自然に流れる勢いを利用したライフの方が、もっと自分を伸ばせるのかなと。

「好きなことを仕事に!」とYoutuberがよく宣伝で言っている。そんなの楽な方に流れてるだけじゃないか、私は騙されないぞと思っていた(笑)

そんな私が、快の感情の流れの価値を見直してもいいのかなと考えるきっかけになったのは、先日書いたヨーロピアンシュガーコーン(以下、ヨロコン)の記事だ。

この記事を書く中で、書いた後で気づいたことがある。

一つは、そもそもこの記事を書くきっかけとなった、ヨロコンのデザインだ。いつも、気づくと買ってしまうヨロコン。その理由は食べ始めから食べ終わりまで、何も考えずにただ幸せに向かわせてくれるデザイン。食べることに認知的負荷が一切ないのだこれがいかに心地よいことか、理にかなっていることか、自然なことかに私は気がついた。

最近の生活に感じるよっこらしょの原因は日々の習慣の「やる(継続) or やらない(さぼる)」の選択の多さに、認知的資源を使い過ぎているからなのかもしれない。もしくは、認知的資源の総量が減っていて、日々の選択の多さで資源が枯渇しやすくなったことで起こっている気がしてきたのだ。

つまり、何かを一生懸命しようとすること(努力)は大事なのだが、できればやりたくないことだと、それは重力に逆らったり、水の流れに逆流したりするようなもので、それでも続ければ、力強くなれるかもしれないが、体験としては不快寄りなのだ(目標にたどり着けばおもしろいが)。

それよりも、「努力」と意識しないようなすべり台を滑るような感覚、川の流れに身を任せるような感覚、楽しくもっと遠くへ行くやり方もあるのかなと少し思い始めた。まだ、少しだ。

そして、記事を書いた後で気づかされたことは、楽しさやおもしろさに導かれたアウトプットが他の人に評価されたうれしさだ。このヨロコンの記事で私は初めて読者からサポートをもらった。5年くらいnoteを書いていて初めてだ。すごくうれしかった。

実は、ヨロコンの記事を書いた時、こんなものを世の中にさらしていいのだろうかと思っていた(笑)いい歳して、こんななんの役にも立たない、共感も得られないようなアイスクリームの話を世界にさらして、自分は大丈夫なのかと(笑)

ただ、この記事は時々、書ける楽しく思いつくままに書けた記事だ。だいたい私が楽しく思いつくままに書いた記事は、とんでもなく、くだらない。でも、それが評価してもらえたのだ。

書くことは好きなので、一生懸命、継続している意識はない。気づけば書きたいと思い、やるべきことをやらずに、どうでもよいことを書いている。書くことは快の気持ちに流されてしていることなのだ。

もういい歳だし、ただ快に流されて、役にも立たないことをするのは時間やお金の浪費に思えて、これまでできるだけ見ないようにしてきたものがたくさんある。欲望サイドに落ちていくんじゃないかと恐れていた。今も恐れている(笑)

だけど、この直感的な快の感情をあまり抑えないことで、努力云々感じずに今までたどり着けなかった所まで滑っていけるような、そういう道のりもあるのかもな~と、うっすら思い始めている。やりたいことdrivenということだ。

手始めにマンガを大人買いしてみた。生まれて初めてしたことだ。やはり罪悪感が残る(笑)

それでも、41歳は役に立ちそうだからやるとかあまり考えず、気持ちや体が自然と動く方向に動いてみようと思う。これが、いま私のやりたいことだ。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!