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L:31 桃を押さないでください
2023.7.31
今、自分が住んでいるあたりを人に説明する時に、「気取らなくてよくて、居心地がいいです」と言うのが定型になっている。
家の周りなら、部屋着で外に出ても問題がないというか、それが目立つような振る舞いにはならないという意味で気楽だということだ。
どこに住んでいようが、どんな格好で出歩こうがその人の自由ではあるのだけど、勝手に周りの空気を読んで、自分の振る舞いを制限して、窮屈に感じることはある。そういうことを気にしなくていいというのを気取らなくてよいと言っている。
街の懐が深いというような形容もできるかもしれない。今風というか、教科書風にいうと多様性のある街かもしれない。
私が気取らなくてもいいと思うことは、他の人も気取ってないということがありそうだ。
先日、駅前のスーパーに行ったら上下白い下着姿の男性がスーパーの前に立っていた。その隣で警察官が何かしら話していた。
翌日、駅前に行くと、初老の女性がケガをしたのか顔を血のついたタオルで押さえて、大きな声で警察官と会話のようなやり取りをしていた。
字面では、淡白に書いているが、けっこうショッキングな映像で心がざわついた。
最近、スーパーに行くと桃が売っているのだが、決まって注意書きがあって「桃はデリケートです。押さえないでください」とある。
初めて見る注意書きだった。みんなわかっていることだとは思うが、それだけ、押す人が多いのだろう。
パン売り場に行くと、陳列されているパンの棚の一番奥に手を伸ばしてがさごそして新しいパンを買おうとしている年配の女性がいた。奥から取り出したパンを見て、お気に召さなかったのか、放り出すように棚に戻していた。並んだパンがぐちゃぐちゃになっている。
ここに住み始めて混乱することも多い。この人たち、すごいなと。そしてちょっと距離を取りたいと反射的に思う人によく出くわす。
私だって、柔らかいキウイは買ってないし、消費期限が近いものはチラッと見て買うのは避けている。だから、同じことをしているのだと思うのだけど、露骨にはできない。そう、気取っているのだ。
そこを気取らない人というか、自分よりむき出しの人が多いなぁと思う。下着姿の人や、顔から血を流している人が、どういう状況かわからないのだけど、きっと他所なら家で閉じ込められていたような人も、ここでは、むき出しなのだ。(ただの推測)
多様性というのは、そんなにきれいごとじゃないと前々から思っている。それはモザイクタイルのような一つ一つのタイルの大きさが均等に境界がはっきりと、整然と並べられているようなものではない。
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むしろ、下手な塗り絵というか、境界がはみ出て、色が滲み、きれいとは言い難い、モザイクとは逆の方向の多様(雑多や混沌)じゃないかと思う。
それは、(どちらかというと敏感な私にとっては)違和感の連続で、なんならちょっとした恐怖すら感じることもある。
私の東京での生活をより正確に表現するなら、気取らなくてよい居心地の良さと、むき出しに触れる違和感の混在という方がしっくりくるかもしれない。
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