自分の価値
自分の価値の指標として、収入があります。
これは生きるために、必要なことです。
今の日本は、ベーシックインカムはありません。生活保護も、手続きをして初めて手に入ります。
自分が得る収入ってなんなのでしょうか。自分の時間が収入。または、自分の苦しんだ時間を数値化したものが収入。そう考える方が多いのではないでしょうか。
すこし、そこに疑問を持ってみませんか。
そもそも、この世に一人きりであれば、お金なんかなんの価値もない。
無人島で暮らす一人きりの人生ならば、「自分が何を欲しいか」が価値で、「自分の行動」を対価にして得るわけです。そこに工夫をして早く効率的に行うことで得られる価値を拡大していく。
けれども、一人きりなんてありえない。なにしろ寂しすぎる。
千差万別の社会、世界はもとより、同じ電車に乗る人々にも、言葉は通じても感じ方や言葉の意味は微妙に違う。意思疎通がとても困難な社会の中で生きていかなければなりません。
そうすると、価値と対価を共有するのに、便利な道具として、お金があります。
これだけ人間が多くなって、経済も色々な形で語られています。そのなかで、金銭で価値を語るのはとても簡潔でわかりやすいです。なにしろ金銭的に富んでいればほしいモノを自由に手に入れられますからね。
しかし、そのお金の使い方はひとそれぞれです。何に価値を見出すかは、その人、その時間に応じて変化していきます。
では、お金ってなんなんでしょうね。
自分が使うお金。自分が得るお金。二面性があります。
なんのために、お金を使います?
自分のどんなことに、お金を出してもらいます?
誰かを必要とすることかもしれません。
誰かに必要とされることかもしれません。
自他が必要とする「価値」には、色々な面があります。
存在への価値、人脈への価値、アイデアへの価値。知識への価値。経済力への価値。若さへの価値。肉体への価値。苦しみへの価値。喜びへの価値。欲望を満たす価値。時間への価値。
その色々な「価値」が、この社会では「お金」で語られます。
「お金」というのは、「価値」の一面でしかないものの、必要なものというわけです。
ではその「お金」をいかに手に入れるか。
自分ができることは、時間とその人の技術で限られています。そこは、無人島の生活そのままです。
それによって、社会でどれだけ必要としてもらうかということにつきるのではないでしょうか。
自分が行う一つの行動が、どれだけ必要としてもらえるか。それが、収入であり、自分の価値であるわけです。
裏返せば、自分が必要とするものを得るために支払うものが、支出であり、対価であるわけです。
だれも欲しがらないものを作り続けて、多くの時間を対価に収入が少ない。当たり前です。
多くの人が欲しがるものを作れば、少ない対価で収入が増える。当たり前です。
苦しまなければ収入に値しない。という人もいますが、それとは別次元の話です。
自分ができることの中で、どれだけ多くの人を喜ばせるか、多くのファンに応援してもらえるか。それが自分の存在の価値であり、その一つの側面が収入なのではないでしょうか。
楽しみを、多くの人にお裾分けできる人の人生って、困難も含めて楽しんでいそうですよね。最後に宝石があるとわかって進んでいるのと、銃剣で脅されながら進んでいるのでは、同じ困難でもその当人にはまるで逆なんです。
色々と記してきましたが、自分の思う価値とそこからの収入をまとめます。
多くの人は、「自分の価値=自分の時間、収入=苦しみの時間」のようです。
僕がここで示すのは、「自分の価値=自分へのファン、収入=ファン × 人数」です。
ファンを拡大していけば、お互いに楽しそうですよね。
※ちなみに、ここで言っている自分の価値というのは、社会的な価値に限っています。もちろん、自分自身の存在価値というのは自分だけのものであり、比べるものでも測るものでもありません。