信用はせざるを得ない。信頼はしなければ、されることもない。【著名人のリツイート問題】
2020.4.15.水 #270日目
ぼくの友人が「人は簡単に人を嫌うからね」と言っていて、「(嘘みたいだけど、真理だなぁ)」と思う米田こと「大学生時代ポエマー:ぺ・ヨネジュンを名乗っていた(*名乗らされていた)男」です。
おはようございます。
改めまして、京都の絵描きよねはんです。
今日の文を読んでもらえた方には、
信用することの重要さと、信用されていることの脆さを考えてもらえたらと思います。
この前した体験から話します。
ぼくか好きな著名人がリツイートしている人のツイートをみて、ついその人を信用しそうになったことがあって。
「あれ?
よく考えてみれば、信用とか信頼って簡単にしていいんだっけ?」
ってなりました。
だって、いくら信頼している著名人にリツイートされているからと言って、その数秒後にはリツイートされた彼は罵詈雑言のツイートをしているかもしれないわけで。
タイミングや条件が揃っていて、信じることはとても容易いけれど、それを踏まえて、信じられなくなる瞬間も容易く訪れるんだなぁと。
要は、信用って、いざ失う時は、一瞬なんですね。
となると、自分に置き換えてみたらどうでしょう。
信用されているからと言って、突然誰かに腹を立てて罵詈雑言ツイートをしたら、どうなるでしょうか。
そう、その誰かに言っているつもりが、いつのまにか見ている周りの人たちまで巻き込んで自分を失墜させていってるというわけです。
ここまでが、今日の日記の中心の話題じゃが、こんな悲しいバッドエンドでは終われませんな。
(*突然、村長口調)
…。
……。
まとめますね!…。
じゃぁ、信用に関して、最初から人を信じないのが正解かという話です。
結論。
信用は、大抵の場合、せざるを得ないです。
なぜなら、他人がルールを守ることを信用していなければ、車の運転も怖くてできやしなくなるから。
自分の生活のほとんどが他人との関係で成り立っているからこそ、そこに知りもしない他人への信用が求められています。
じゃないと、コンビニの商品すら怖く思えてくるからです。
具体的に今日から対策を取れるとするならば、やはり相手に信用される信頼されることを「求めず」に生きること。
そして、自分は相手を信じると決めること。しかできないわけです。
相手が嘘をつこうと、相手がルールを破ろうとも、それは僕たちにはどうしようもないし、それを必要以上に咎めても仕方ないから。
信じるしかない。
信用という意味では、せざるを得ないし、するしかない。
信頼という意味では、それをしなければ、信頼されることもない。
僕たちは、
次の瞬間相手が裏切るかもしれない可能性を持っていても、今相手を信じるしか道が無い。
そういうふうに頭を整理しておきたいところです。
今後、感染症と一緒に何年も生きていくかもしれません。