「ありがとう」と「これまで」【退社後の1年を想起して、皆さんにメッセージを】
2020.3.18.金 #242日目
物事は確かに複雑だけれど、伝える時にはシンプルにしたり、前提条件を踏まえるようにしたりと、要点まとめて伝えるのは「優しいなぁ」と思う京都の米田です。
昔からの読者さんには同じ説明をしているので、聞き飽きたかもしれませんが、僕のこの1年のことを改めてお話しします。
職業は、この数ヶ月から1年の間、
絵描きとスイミングコーチとしてきました。
最近では「みんなが何か一歩でも進める勇気を贈りたい」という気持ちで人生の仕事へ向き合うようになってきたのです。
そんな、僕の進展は、僕自身の中ではこの1年なかなか大きかったです。
(*進展どころか、退却じゃないかお前っと見做している方もいらっしゃるかとは思いますが、それはこの際一旦置いておきます。)
僕のこの1年の進展の想起。
やっぱり人生を歩むと、挑戦と改善が何度も機会として訪れます。
僕もほんの些細なことから絵描きになることに決めたんです。
絵本を読んだある日の夜、部屋で感動の涙を流しました。
モノクロ絵画の絵。
黒地に白文字の文。
僕のなかで何かが刺さって、
「絵を描いて生きていくことはできないか」
と潜在意識みたいなものがウロウロしはじめたのです。
人間関係というありきたりな理由ではありますが、心療内科に通うほどに疲労してしまっていた僕がどうしたか。
いつしか運動を始め、ウォーキングや配信活動を始め、貰っていた薬をゴミ箱に捨てていまひた。
病院の定期診察を断りました。
とある日
「絵描きになります」
と言って会社を辞めたのです。
そして、今、
絵本を挫折したり、絵描きとしての活動に不安になったり、お金の稼ぎ方がわからなくて路頭に迷ったりしつつも、
こうして数人のコアな仲間や友人、数百人のフォロワーさんの中でもいつも見てくださっている方に支えられてここまできました。
例えば、展示会で横浜で2回の計4週間出展し、SNSで発信しつつ、Youtubeを開設してみたりしています。
1年ちょっと前までは、会社で悩み疲れ、
家族や、面談上司の前で感情的になって、涙を流すこともあった自分です。
病院で、母親に付き添われ、心療内科の先生に涙を流して「もう気持ちがしんどくて」と声を震わせて泣いていた人間だった僕がです。
スイミングコーチとしては、お客さんに名指しで呼ばれ、「コーチしてほしい」と言われるようになってきたりと嬉しいことは沢山あります。どうしても大人を警戒しがちな子どもからも寄り添ってもらえるようになってきました。
大学生の時に目の前の子どもと向き合って、怒鳴ってもうまくいかない理由が分からなくて、悩み疲れていました。
それでも、
「なんとか仲良くなれないか」
といって、いつしかアドラー心理学に辿り着き、哲学から心理学、子どもの教育についても「学んでは、実践しては、失敗」を繰り返して、やってきて、本当に良かったわけです。
お気づきでしょうか。
人は、過去の苦難を美化して、
自分の歴史とすることができる。
だから、今の苦難は後に体験として美化されると身をもって僕は証明しています。
「今を生きる」というのは、これを踏まえてこそ、できると思います。
過去は美化される体験フィクション。
未来は妄想される未体験フィクション。
現在は?
僕は、自分のこの1年を想起して、
ここまで読んでくださったあなたにどうか何か一つでも持って帰っていただきたいと思います。
人は、職業に縛られなくてはいけない生き物ではありません。ただし、誰かを頼って分業することしかできない弱い生き物です。
だから、
過去を他人のせいにせず、
過去の自分を哀れむことなく、
これからをどうやって生きていくか。
昨日は、もうとっくにフィクションとなっています。
明日には、ほどほどに備えおきつつ、
今日また一歩進もうとして踏み出せたらそれでいいじゃないですか。
昨日は、扉の内に居たのに、
なんとか玄関先まで出たのですから。
まだ家族に付き添われ、
まだ家族に心配されて、
家族に迷惑をかける1人の人間。