間違ってラーメンの話をしそうになったけど、その前に信頼を失うコーチの話【アンガーマネジメント】

2020.4.11.土 #266日目

そういえば、「昨日食べたご飯を思い出す」なんてことは日常で一切無い米田こと「ラーメンからのラーメンでも全然いける」です。

さて、本題に。

今回読んでもらって、
イライラして「怒る」は、震源になって結局自分が損するからやめよ。って思う機会になればいいな〜と思います。


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今回はラーメンの話じゃなくて、「怒る」ことの意味を考えていきましょう。


「怒る」という感情って、突発的に来るくしゃみ的な現象と思いませんか。

またはジワジワ溜まって爆発する火山みたいな。

僕も、スイミングコーチをやっている中で多々子どもを叱るのは当然だと思って指導してきました。

でもね、これ、
どうやら、間違ってるんです。

そもそも、
「怒る」っていうのは、場合も意図も関係なく「叱る」も同じことだったんです。


よく言われるのは、
「怒る」は実弾発射。
「叱る」は空砲発射。
とかです。


おかしくないですか。
ゆっくり落ち着いて考えてみましょう。

叱る際に目指しているのが、
「相手をよりよくするため」
という大義であるなら、相手にこちらの言葉を信じて貰わなければならないんです。

信用してもらわないといけない。

なのに、その「よりよくあってほしい相手」に向けたのは空砲の銃口。

相手の気持ちになればわかるはず、

「こいつ、銃を突き付けた先に何がしたいのか全く意味不明なコミュニケーション能力の破綻した奴だ」

相手にとって、銃口を向けられた時点で心から信頼することも、信用することも無くなるわけで、その信用を失った人間の言葉など無意味です。

そりゃ、銃を構えたその先に平和な未来は無いわけだ。

「叱る」っていうのは、良かれと思ってやってる人間が多々居て、これは一生その叱るという行為をし続けて永遠に信用を失い続けるって話です。


さぁ!
長くなってきましたね。笑
まとめていきます。

最初に言ってた自分が震源になるというのは、ようは空砲を構えて突き付けた時点で、周りもそれを観ているし、その事実が残るんです。

そうすると、叱られている彼からは見離される上に、叱っている人に誰も耳を貸さなくなっていくんです。


叱るとは。

常に、
「死にたくなければこっちにこい」
という台詞を吐いているようなもんです。


僕の場合、
「叱る」という行為の罰を受け、償い、信頼を完全に取り戻すのに1年はかかったくらいに苦労しました。

中には取り戻せなかった信頼もあるほどです。

そして、叱られる側になったことも数多あるんです。だからこそ、叱られる側の気持ちもわかるし、叱る気持ちもわかる。

だけど、銃口を向けたら、それは自分の立場を崩すことになってしまう。

そう捉えて
他人に対して、「怒る」「叱る」を出来る限り排除していかねば。

あなたは、どう感じますか?


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