青年や、大志を抱かねば。
2020.1.26. #192日目
絵を描き、絵本のプロットを考えたあと、一日中あらゆる三国志に出てくる君主や将や軍師の人生や目標への向き合い方を客観的に見たのですが、僕に足りないものは文武両方であると痛感しました。
こんばんは。遼一郎です。
さて、文武両道とは、才智も武芸も達者であることを意味すると思いますが、僕は両方足りなかったのです。
なぜ、そう感じたか。
結論を申しますと、
「俺は、才智も武芸も怠っているし、リアルタイムに文武両道を目指す積み重ねができてねぇな」です。
と、言うからにはこれを機会に僕の文武をここにまとめて示しておきましょう。
まず、文・才智の持ち合わせはどうか。
偉人に言語両断で罰せられるほどにそれを怠ってきたように思います。情報は仕入れているがそれを仕入れることに満足しがちで、アウトプットの量が少ない。そして、他人に使うことも少ないからです。
大反省すべきも甚だしい。です。
情報は、使いこなしてこそ、できるならば使い方も見せる気概がないと才智はただの知見です。そう。情報は知っているだけでは、意味がない。持っていても、うまく使わなければ、昔であれば命すら危ういほどです。
誰かに説教する必要はないが、誰かのために使うことや、自分たちの担う時代のために使うことは今後とても必要だと落胆し再起しました。
次に、武・武芸はどうなんだろう。
これに関しては、悪くはないが並大抵で全てをやめている。スポーツは全てそうだ。今でこそスイミングには関わっているが…。ここでは、武力つまり体力的にもですが、芸としても持っているものが少なすぎる。
時代が時代ならば、いわゆる功績を全然残していないわけです。となると、今後は、体力増強策「2020体力オバケ計画」も作品完成策「2020絵本作家計画」もより一層具体的に進めていかねばなりません。
お気づきかもしれません。
どちらも「心・仁」の分野が必要です。
心が必要であるし、善き人間関係も必要です。
「何のために生きていて、何がしたくて、どういう人間になりたいか」です。
というように、終わりを見据えた人生観を持った上で人と接することで、具体的に文武両道を歩いていくことができるのです。
終わりを見据えた人生観を持つためには、やはり、一晩では叶いません。
戦地に出向くための一年は過ごしてきたはず。
出陣する手筈も整えて、調練してきたはず。
だったら、今までの少しの経験と少しの知識を頼りに前に出るしかない。
そして、失敗して失敗して成功するのです。
文武両道を歩いてみつつ、文武両道を極める他やり方がないわけです。
だったら、やりたいことはやるべきで、やりたくないこともやりたいことに変えるほどの志が大切になりそう。
それを昔ならば、「大志」と言ったのかもしれません。
僕の大志とは何だろうか。
それは、ここで淡々と軽々しく語れるものではないのですが、文武両方ともに手をつけて歩んでいく内に、頭では常に「僕の大志とは」と呟く必要がありそうだ。
だから、このブログは、やはり続ける。
やれることをやってみながら、日々の素朴な日記に活路を見いだせるよう精進して参ります。
誰かに説教されたい。
「青年よ、大志を抱かれよ。」と。
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