あの日「よねはんらしくない」と指摘してくれてありがとう。【いいねの良さと怖さ】
2020.3.24.火 #248日目
今日は、寝起きに早速音声を録音して、家族の良さをガラガラ声で皆さんにお届けした「京都の絵描きよねはん」こと米田です。ちなみに、これです。https://u8kv3.app.goo.gl/sviYL
「いいね」の良さと怖さについて、考えていきましょう。
SNSで「いいね」や「ハート」などの「見た人がgoodと思った意」示すボタンの価値を再度両側面から考えるきっかけになると思います。
では、まず、僕の失敗談。
「いいね」の数は、当然多いと嬉しいもので、承認欲求をうまく煽ててくれます。
そうすると、
「次も良い投稿をしよう」
「次も面白い投稿をしよう」
「次も意味のある投稿をしよう」
と思わせてくれることが多々あります。
そうして、みんなのいいねに合わせて、改善していく先に、楽しさの隙間を狙ってこんなことを思うようになります。
「あれ?誰のために撮った景色?」
「あれ?これ、面白い?目立ちたい?」
「あれ?なんかイライラしてない?」
と、だんだんと「いいね」を貰えるか貰えないかで、自分の体験や投稿の価値を決めようとしていたことでイライラしていたのです。
「いいね」が無いと、飽きられたような気がしてくる。興味を持ってもらえないのではないかと思ってくる。
そうなると、当初の主体的に投稿したものよりも、より目立とうとしたり、より大きく見せようとしたりしていた。(*これが特に1年や半年前のこと)
幸いにも、こういう目立とうとする投稿は、不要だと思えるようになりました。
なぜなら、「いいね」の数で決めた投稿、多数決で決まったものは、みんなの妥協点に近くて、みんなの中間点という感じ。
誰にもちゃんと刺さらない。
つまりは、個人を感動させるものではないからです。
僕がやりたいのは、絵に参加してくれる人たちを大切にすることだったり、一緒に人生観を考えてくれる人たちだと気がついた。
まとめていきます。
今、「いいね」の数で一喜一憂して、「次はもっと目立とう!」としなくなった。当然、Twitterでイライラすることは、無くなりました。
僕が、他人を傷つけるような言い回し(ディスったり)をすると、縁切りを覚悟して「なぜそんな言い方をするのですか、よねはんさんらしくない」と指摘してくれる仲間が居る。
そして、その仲間との関係に不安になった僕に対して、どちらの言い分も含めて「大丈夫、冷静に素直に思いを伝えてみれば?」支えてくれる友達も居る。
「いいね」の良さは、
嬉しくてモチベーションになること。
みんなが応援が目に見えること。
「いいね」の怖さは、
自分らしい道を目立ちたさで、踏み外すかもしれないということ。
みんなの応援が目に見えないと不安になり感情的になることすらあるということ。
僕たちは、自分のために、
そして、
大切な仲間と友人などの人のために
生きている。
今支えてくれている人の価値は高い。
「いいね」の価値よりも、
下になってしまわないように。
思い直してくださる方がいればいいなと思います。