ビジネス書に見せられる「くっきりとした世界」が僕らの人生か。
2020.2.8. #204日目
くっきりとした世界を見ないといけないのでしょうか。
世界は、もっと曖昧で、複雑なもののはずではないのでしょうか。シンプルにたった一つの答えがあるのが僕たちヒトの人生なのでしょうか。
微妙ですよね。ここ。
くっきり見える道具を探すのが正解なのか、
くっきり見える自分になるのが正解なのか。
悩みませんか?
シンプルな答えは、いろんなビジネス書に掲載されています。
「たった○○だけやれば、できる」
「○○の力で、成功する」
みたいに。
ビジネス書の「答え」は厳密には答えではなく「応え」ではないかと思うのです。
言い換えるなら、
とある誰かのとある対応の一例です。
その対応した方法を載せているのが、ビジネス書だったりすると思うのです。
その通りにやれば、うまく行くなんてことは、一つもない。
答えを探して見つけた答えの通りに生きるのは、僕たちの癖かもしれません。
シンプルな答えがあるはずだと思い込んでしまうから。
でも、人間関係がある以上、シンプルなわけが無いんです。だって、往々にして人間関係は複雑じゃないですか?
ましてや、SNSを介している場合は、尚更複雑だったりします。
僕たち人間って、それほど、器用だったんでしたっけ?
そう思います。
器用じゃないし、シンプルにことは進められない。
経験してきたことも、見てきた景色も、感じたことも全て違う人間が関係を築くこの世界で、くっきりと世界を見ることが簡単なはずがないと思いませんか。
そこらへんに落ちてる7つの原則とか、5つの法則とか、3つの習慣とか、なんでもいいから、シンプルに覚えとけばいいのでしょうか。
それは、その場しのぎの事柄に答えるためだけです。
僕たちの人生は、その場しのぎの答えだけではない。その場に対してどう応えるかが、大事だったりしますよね。
くっきり白黒があるのも素敵ですが、結局誰かの目を通せば、白も黒もない。
くっきりした世界は、自分の色眼鏡を通してのみしか有り得ない。
「くっきりした世界を見ること」が、唯一の正解ではないと思えるのです。
世界の曖昧さ・複雑味を受け入れて、それを自分基準でくっきりさせようとすることは大切なのだろうとは思います。そうでもしなければ、自分が曖昧に溶けてなくなってしまうから。
でも、
過去を後悔するのは、
誰かの答えにすがり付き、
誰かの応えを真理としたから。
曖昧なことや、複雑なことは、ある。
くっきりさせるのは、それを踏まえてこそで、他人の目から覗いた気になって、他人の気持ちを真理としてしまわないようにしたい。
でないと、誰かのコピー商品になっちゃう。
くっきりと世界を見ないといけないのではなく、くっきりと世界を見られるような自分になろうとし続けることの方が大事。
メガネをみつけるよりも、目を大切にすることの方が大事。
そんな気がするのです。
すごく微妙な違いなのですが、僕は僕と向き合わないと辛くなりそうだなぁと最近思います。
誰かになりたいわけではないのだから。
とある誰かのように、世界をくっきり見るのは、後回しでいい。
くっきり見るための、自分をつくるつもりで、人生かけて自分と向き合えるといいなぁと思います。