死に際後悔する前に…今をどう生きるか。
2020.1.29. #195日目
乱世の武将たちの死際を見ていると、人というものは驕り高ぶった時点で「痛い目に合う」ことを決定するものなんじゃないかと思いました。驕りと自信は違うものね。
こんばんは。米田です。
今回は、人間が死際に後悔するランキングで出回っているものをネタに今何を考えるかを探求します。
01.自分に正直に生きればよかった
02.働きすぎなければよかった
03.自分の気持ちを伝えればよかった
04.友人と連絡を取り続ければよかった
05.幸せをあきらめなければよかった
というランキングが散り散りありましたので、これを今に活かすために、深掘りしておきたいと思います。
01.
自分に正直に生きれば…
これ、勘違いしてはいけないのが、自分を過信して傲慢に押し通せば良いということではなさそう。自分の幸せのために他人の幸せを奪うという意味ではないと感じます。
「自分が何をすることで幸せになるか」という思考のもと選択肢が常にあって、その中で変わり続け、選び取り続けるということだと思います。
02.
働きすぎなければ…
いうまでもなく、誰かにやらされている受動的な働きだけを死ぬ前までやり込みすぎる人生は誰も望みません。この時代では、受動的に忍耐だけで生きていくことは正解では無さそうですよね。
03.
気持ちを伝えれば…
残り少ない命で、限られた時間を、誰かの文句を言ったり愚痴を言って過ごすことは本当に無駄であるわけです。ここでいう感謝の気持ちであったり、御礼の気持ちであったりだと思います。普段から、文字数が決まっていると仮定すれば、何を伝えるかは限定されてきそうです。
04.
友人と連絡を取れば…
友人が少なくても、交友が、いかに大切かを物語っていると思います。アドラー心理学でも、人生のタスクとして「仕事・交友・愛」と挙げられています。それほど交友は人生における素晴らしい支えになるわけです。今の交友もこれからの交友も大切にせねば。
05.
幸せを諦めなければ…
ここでいう幸せはなんでしょうか。人間は寿命の間の時間を稼ぐ生き物です。しかし、そこに意味をつけられるのが人間ですよね。人間で生まれたからには幸せを探していたいし、幸せになるために生きていたいものです。自分が幸せになるために必要なものをピックアップするのがいいのかも。
最後に後悔することは、人生の途中途中で後悔していることも多く含まれているのだと思います。
今回のこの試みで、死際に走馬灯のように駆け巡る記憶はどんなものだろうかと想像できました!
やりきれなかった後悔もあるが、自分や他人の幸せや、大切なへの感謝であるということ。
僕らの脳は、大切なことは覚えているのです。
人生100年なのか50年なのか、わかりませんが、僕らにできることは今から既に限られている。
期間限定の人生をどう生きるか。
そこに傲りや過信ではなく、感謝や愛があふれるような、そんな時間にしたいですね。