自分に強要したり、自分を否定したりしないために。【偉そうな人に出会った時に持っておきたい思考の話】
2020.3.21.土 #245日目
どうでもいい作品があるとしても、それを無茶苦茶いい作品として届けられる人間性を持つクリエイターになりたい米田です。
先に結論を言います。
「偉そうなこと言いたがる人ほど、自分の過去や努力を美化して発信しちゃう」
っていう話。
今回の日記を読む方には、
「自分の過去や努力を他人に真似るように強要していないか」
を再確認してもらえるようにしたいです。
では、お読みください。
過去を振り返って、自分を否定しないためにも、美化して記憶を掘り起こすことは、とても大切なことだと前提しておきます。
だれけど、それで失敗することもある。
例えば、語尾をとってもそう。
「○○するべき」
「○○しないのは間違い」
「○○して当然だ」
などなど、自分を美化するだけではなく、自分を正当化して相手に言葉を伝えてしまうことは、多々あります。
ちゃんとしたロジックを説明もできないのに、相手に「俺がそうだったから」の一点で強要すると相手が話を聞かなくなります。
スイミングコーチをしているとこんなことがあります。
「○○しないと下手になる」
「○○してないから合格できない」
などと、否定してしまうことがある。
僕は、それをしてしまうと
「こちらを無意識にコミュニケーション能力が低い奴だと前提する」と捉えるようにしています。
つまり、見下される。
コーチであろうが、成功者であろうが、努力者であろうが、そんなのは勝手に決められた縦関係。
相手にとっては、関係ないと捉えて置かないと、コミュニケーションがどんどん一方的になって破綻する。
(*実際に、子どもが話を聞かなくなること、友人が話を聞かなくなることは、多々経験があります)
まず、ひとりの人間同士だということ。
相手に言葉を伝える際に、
「個人の過去」
「個人の努力」
「個人の体験」
を根拠に相手へやり方の強要や態度の否定をするとどうなるでしょうか。
されたことのある方は、もうわかるかもしれません。
さあ、
結論を言い換えて今日の思考をまとめてみます。
先に述べた
「偉そうなこと言いたがる人ほど、自分の過去や努力を美化して発信しちゃう」
というのは、つまりはこういうことです。
過去や体験という「真実」を武器に、
強要や否定という「コーチ」を行う。
真実は、真実であっても、
強要は、強要でしかない。
過去や努力をして、それが「真実だから確実性のあるものだと思いたい」のは物凄く共感できる部分です。
しかし、
それを偉そうに相手に強要したら、
それを偉そうに相手を否定したら、
せっかくの人間と人間の関係が破綻してしまうことがある。
そう、
僕たちには、ひとりひとりの心があるのだから、
「これをしなければならない」
ということは無い。
だから、
人間は学ぶことを(真似ぶこと)やめない。
偉そうに言われても、
受け止めたあとには、自分なりに考えるようにしていきたいものです。