良きライバルは要らない気がする。【競争心と承認依存が尽きない世界はヤダ】
2020.2.26.水 #222日目
今日は「良きライバルは持たない方が良いかも」という話をしていきます。
なんでなの、って思う人が多く居そう。
だって、悟空にはベジータが居たし、サトシにはシゲルが居たし、ボクにはアイツが居るし、実際に実体験として切磋琢磨してきたんだよって。
僕もそう思う節もありますが、これ、実は教育でそう思うように仕向けられたのかもしれないのです。
いや、その言い方は教育を否定するようで、語弊があるかな。
自分たちが「競争しないといけない」と思い込んでしまっているという感じがするのです。
成績を比べたり、点数を比べたり、スピードを比べたり、級を比べたり、順位をつけたりする。
競争の先にあるのは、「みんなどこかで自分の敵だ」という人生観です。負けた相手をどこか敵対視したり、嫉妬したり、時には傷つけたり、騙したりしてしまうそんな「競争ライフスタイル」が身についてしまっている気がしませんか。
でも、僕たちは、本当は自分のことにもっと目を向ける方がよいと思うんです。
例えば、
「○○くんがあんなにも努力しているのに、自分は全然だめだ」
「アイツは結婚したぞ、オレは、まだ独身フリーターやってるのか」
などという比べる意識がどっかで動いてしまってると思うんです。
そんなことよりも、
「昨日はできていたんだから、今日もできる努力をしよう」
「今は結婚を意識せず目の前のことに集中しよう」
というように今の自分を承認してあげると、変な「誰かに認めて欲しい!」という承認欲求がはたらきにくいと感じます。
大切なのは、競争よりも、協力。
これは、自分で一つ一つ競争意識を捨てていかないと無理だと思うのです。
自分のできることはできることととして自分で認めて、他人をライバルとして競う気持ちを捨てる。
相手を抜かすことに目を向けるよりも、相手を手助けし続けることに目を向ける。
「誰かに認めてもらいたい」
「褒められたからやる」
「叱られたからやらない」
「褒められないからやらない」
「叱られたからやる」
となってしまったら、もはや承認欲求と承認依存になってしまって、「認めてくれないのはみんな敵だ!」となっちゃうかもしれない。
「自分は自分の承認の元にある」
「やりたいからやる」
「やりたくないからやらない」
「やるべきだからやる」
「やるべきではないからやらない」
と自分基準で、自分の行動をとる方が自立した1人になれる気がします。
誰かのために動くと貢献した気持ちで幸せになれるだろうし、
誰かがいなければ動けない自分になると果てしなく承認欲求や競争心は消えない。
一つ一つ、自分の承認の上の行動か、他人の承認をもらうための行動かを考えてみたいところです。
最終的には、競争するライバルよりも、協力する友人の方をもっともっと大切にしていくほうが良いんじゃないかなぁと思うお話でした。
アイツが居て、オレが居る。
じゃなくて、
アイツも居て、オレも居る。
という関係で十分なんじゃないかなぁと思う。
そういうお話でした。