トイレットペーパーの芯について考える
これは、1つのトイレットペーパー"だった"モノだ。
トイレットペーパーとは一体何者か、
考えたことはあるだろうか。
どこのご家庭にもなくてはならない存在であり、捨てられてしまう儚い存在。
くるくると巻かれた薄い紙は、かつて、確かに生命の息吹と共に大地に芽吹き、生を与えられ、天を目指し青々とした葉を芳醇に讃えていただろうものだったはずだ。
「大量に流さないでください」
そんな注意分はあるものの、彼らを大切にしてくれる心やさしき人間はいない。
芯は、どんな気持ちで流れていった仲間を見ていたことだろう。
回されるたび、便器に誰かのケツが接触するたび、次は自分の番かと打ち震える紙達。
芯は、心を抉られる思いでそれをただ見送ることしかできなかったに違いない。
ここに、1つの芯がある。
とある家庭で、全ての紙達を見送った心なき芯にあなたには見えるだろうか?
それとも、やっと見送る使命から解き放たれ、やっと紙達の元へと行けると安堵した表情に見えるだろうか?
芯は思う。
「俺はただの芯」
だと。
芯以上の何者でもなく、紙を見送り続ける。
そこには何も生まれず、人間のケツに近づけられる瞬間、華と散る紙があるだけ。
紙にも兄弟がいた。
家族がいた。
そんなわけはない。
が、しかし、芯だけは唯一の友であったに違いない。水流の中、純白だった身体を薄汚く汚しながらも優雅に舞う紙達。
最後の姿はまさに、芯に感謝を伝えているように思う。
排水溝が無常にも紙達を飲み込んでいく。
トイレットペーパーとは一体何者か。
芯とは何か。
たった1つの同じ木から生まれ、役割に応じて切り分けられた同胞。
最後は同じ運命だとしても、トイレットペーパーとしての使命を全うしたことには変わりない。
それが本望か、はたまた虚無か
ただ一つ。
たった一つ、彼らに幸せがあるとしたら…
それは半額セールの安売りではなく、
「尻の拭き心地が最高だ!!」
と、満遍の笑みでトイレットロール12個入りを買ってきた、父の笑顔だったのかもしれない。
どんなに酷い運命だったとしても、絶対に同じメーカー、同じロールを買ってくる(いや、そもそも選ぶのがめんどいのかもそれないが)父の心が彼らの弔いになれば幸いだ。
これは何か。
これは、ただの紙を剥がされた
状態の悪い"トイレットペーパーの芯"です
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