【インタビュー】PAC CAT
PAC CAT個展「REVISED」に向けて
飄々とした態度で煙に巻く振る舞いは照れ隠しなのか、果たしてそれもPAC CATという生命体が、観察者を惑わせようと擬態したミスリードなのか。その実、本能とも言うべき少年のような遊び心を携えているのは確かだ。限りなくピュアに、欲求に対して正直なPAC CATは考える前に身体が動き、自身の行動をすべてポジティブなものに変換する。つまりPAC CATの持つ好奇心という触手はあらゆるものを呑み込み、栄養としてしまうのだ。言葉の節々に幻覚作用のある神経毒を含ませているのだろうか、気付けばPAC CATの言動や仕草に惹きつけられている。生み出す作品もまた然り、病的なまでに緻密に作り上げられた作品を目の前にしたとき、強力な引力を発する。
ほぼ初めての展覧会となる「OR×TWELVE ARTIST×OTAQUEST+DA.YO.NE.」では米原康正がキュレーションする12人のアーティストの1人としてピックアップされ、PVC素材とドローイングを組み合わせた作品でその独創的な世界観を炸裂させたPAC CAT。友沢こたお、SHIKI♡ とともにTRUNK(HOTEL)で行われた3人展「GOTH ESSENTIALS」では、写真とドローイング、切り絵をレイヤー状に重ねた新たな作品を発表し、全作品がソールドとなる。
そんなPAC CATの最新の個展「REVISED」がMDP GALLERYにて5月14日(金)から開催される。本格的に美術作品を作りはじめて約1年。躍進の1年間を総括する個展「REVISED」はこれまでに取り込み積み上げてきた感性と表現を用い、過去作品をリビルドし、カスタマイズを施した作品が中核を成している。ハイペースで制作と展示を行う、PAC CATに1年という時間はどんな変化を与えたのか。個展を直前に控えたとある日の昼下がり、この1年の活動をPAC CATに振り返ってもらいつつ、キュレーター米原康正を交え心境を本人に聞いた。
「火事自体は悲しいことだけど、焼け跡から宝石が見つかった」
—過去のインタビューではPAC CATさんはトラディショナルなものをキープしつづける一方、新しいものがどんどん生まれていて、それが自分の中で混在しているとおっしゃっていました。そのスタンスが作風はもちろん、ヘアスタイルに反映されているというのが面白かったです。
PAC:変えるっていう行為は誰でも楽しい。ワクワクするじゃないですか。変化がアドレナリンなのかな。いちばんベストを実践しているというよりは、いろんなものを探して、試してみている感覚です。これだ!ってベストなものを見つけても、そこに留まっていたくないと思います。変化はあったほうが自分のメンタル的にも面白いなと感じます。少年のような心で楽しんでやっていますね。
—切り絵とレイヤーを組み合わせたり、新しい表現や技法はどんなときに思いつくんですか?
PAC:切り絵の表現は過去にも作ったことがあって、それをあの順番で重ねてみたのは初めてでした。こんなこと言ったら元も子もないけど、納期がそれを実現してくれた感じはありますね。火事が起きていたんですよ。火事場のクソ力。やってみたらハマった。火事自体は悲しいことだけど、焼け跡から宝石が見つかったんです。
米原:夏休みの宿題を最後の日にやるみたいな。
—追い込み型なんですね。PAC CATさんのイントロデュースとして米さんは「PAC CATという生命体」と形容していました。いろいろなものを吸収して成長していく、まさに言い得ていますよね。PAC CATさんは今いろんな栄養を摂ってどんどん大きくなっている成長期のような気がします。
PAC:なんか、お医者さんみたいですね。
米:精神分析だよ。今日実はカウンセリングだからね。最後にスゴイ量の薬出てくるよ(笑)。
—(笑)。「REVISED」という個展のタイトルはどんな意味なんですか?
PAC:改訂するとか見直すっていう意味ですね。制作し始めてから一年。なんかちょうどいい節目だなと思うんです。社会という映画を観る上で、字幕を無視することはできない。奧にある物語は字幕越しに見なければいけないんです。その中でのノイズみたいなものがコロナで、一年経ってそのノイズにも慣れてきてしまっている気がします。ノイズがないことの方が違和感を感じるくらい。常識というか規範みたいなものはそのときの状況で簡単に変わってしまう。そんな変化の1年を、作品を通して振り返ってみたらどうなるのかな?っていうのが今回の展示のテーマでもあります。
—過去作品をカスタマイズしてアップデートした作品が展示されるとお聞きしています。
PAC:そうですね。過去の作品に加工をしてカスタマイズしています。僕は技法を変えているので、過去の作品を見ると「このときのコレか!」というのが鮮明に蘇ってきます。そういうシークエンスの把握ができるのは自分でやっていて面白い。それは単純に画の話だけではなく、気持ちとか。この作品は大切に作ってたんだなって。そういうことあんまり言いたくないけど。
米:クールにいたいもんね。
—やっぱり作品を通してそのときの心情が読み取れたりするんですね?
PAC:髪の毛の1本1本とか、網タイツの編み目とか、よくやったなーって思います。なぜこんなことをしたのか、自己分析じゃないけどさっき言ってたようにカルテを作りながら、それに手を加えて作品を作っていますね。なかなか面白い作業なんですけど、昔の自分と会話する難しさも感じます。10年だったら変化は大きいからもっとスッと向き合えるかもしれないけど、1年っていうスパンが絶妙に複雑。たかが1年されど1年で、1年前の自分とすら話が噛み合わなかったりする。その上で思ったのは、もっとキャリアが長い人が、作品を回顧するだけじゃなくカスタムしたら面白いんじゃないかなと思いますね。
米:その1年という期間の絶妙なズレを今のPAC CATが補正する、そこが今回の展示の見所だね。
PAC:今、1年前の自分をAIにインプットさせて会話することもできるみたいなんですよ。死んだ人とそうやって会話するサービスがあるらしくて。実験として死んでしまった人の友人と、死んだ人をインプットしたAIが会話したら本当に話しているかのようなすごい精度だったらしい。
—「攻殻機動隊」みたいな世界観というか、PAC CATさんは自分のゴースト(魂)を作品が宿していることを今回の制作で認識したと。
PAC:絵画のように身近にそういうことを出来る方法って他にはあまりないなと気付きましたね。AIは割と大がかりだし。画が大がかりじゃないというわけではないですが貴重な体験が出来ているんじゃないかという手応えはあります。
緻密に暗号化された、言葉にできない言葉を描く
—日記で自分の過去を振り返ることはありますけど、日記を再編することってまずしないですもんね。自分の作品と向き合って、手を加えるというのは絵画ならではかもしれません。
PAC:文章だと無意識に良く書いてしまうみたいなところもあると思うんですよ。昔、先輩の森下くるみさんから、「言葉にできない言葉ってあるよ」と言われたのがずっと残っていてそれってたぶん存在する。形容できないというかね。本を書く文章を書く人がそういう言葉を言うのはすごく説得力があると思いました。それが絵画にはあるのかもしれません。テキストの情報とは質が違うというか。
—それは具体的にはどんな部分ですか?
PAC:まず自分にしか分からないというか、暗号化されていますよね。悪い意味ではなく、文字に起こすと彫刻のように編集がなされていて、例えるとしたらベストアルバム的な部分が残るわけじゃないですか。繊細な感情の機微を一語一句文字に起こしたらとんでもない文字量になってしまうから。書いた人自身はその出来上がったものを見てもテキストの裏にあるアレコレ分かるのかもしれないけど、絵画はひとつの作品の中にすべての情報が生のまま残っていると思います。あとは、逆に文字が与える情報が物事の本質を惑わしてしまうこともあるのかな。
—PAC CATさんは鑑賞者の考える余地を残していて、あまり答えを明確にしないというのは以前からおっしゃっていますよね?
PAC:たとえばそこにある作品に文字があったとしてもその真偽不明な部分を文字に惑わされることなく考えてほしいなと思っています。どういうロジックでそうなっているか、疑った方が楽しい面もあるじゃないですか。ストレートに受け取った方が心地イイことももちろんあるけど、角度を変えて見たら思うことって世の中にたくさんあると思います。
—PAC CATさんとしては展示にあたって作品の解説キャプションみたいなものは必要ないですか?今までの展示では一切ないですよね?
PAC:キャプション自体を否定しているわけではないですが、自分としてはあまり必要ないかなと思いますね。僕の展示に関しては、その方が視覚的にもスッキリするし仮にキャプションがあったとしたら、その文字情報で全部なの?と思わせてしまうかもしれない。逆にめちゃくちゃ文字情報がブワーっとあったら面白いですけど。
米原:キャプションを含めてより作品が魅力的になるアーティストもいるからね。さまざまだよね。
PAC:僕は文字に全てを託すことはしないかな。それがコミュニケーションのきっかけになるのはイイと思いますね。制作者と鑑賞者で話をしたい。僕が人の作品を観るときも、文字の不確かさの中にある部分を突っ込みたくなってしまうし、裏面にいく楽しさがありますね。
—「+DA.YO.NE.」のレセプションパーティでPAC CATさんをお見かけしたとき、積極的にゲストとコミュニケーションをとっているのが印象的でした。
PAC:それも僕じゃないかもしれないですけどね(笑)。PAC CATというイメージで見ているからそれを逆手にとったパフォーマンスかもしれない、みたいな想像って楽しくないですか?
米:かなり高度だけどね(笑)。PAC CATの影武者立てるなんてめちゃくちゃ大変だよ。
—PAC CATさんは人との会話の裏を楽しんでいるという小悪魔的な部分も含めてコミュニケーションが好きなんだな、と思っていますがいかがでしょう?
PAC:TRUNK(HOTEL)での「GOTH ESSENTIALS」ではそれにすごいエネルギー使うんだなってことも勉強になりました。同じことを同じ熱量で伝えたいというのもありつつ、人によってアプローチを変えてみたり、楽しかったです。何回もコミュニケーションを繰り返すことで自分の中にアイデアが閃くこともありました。不思議なんですけどそのときしている話とは全く関係のないところからボコってアイデアが生まれる。でもそれをやっていたから、そこに行ける。マップの中に隠しステージが出現する感覚。何事も無駄はないんだなって。あら探しするのも好きなんだけど、どんだけダメでもイイところを探したい、そういう癖はあるかもしれない。
—めちゃくちゃポジティブで素敵だと思います。
PAC:基本的にポジティブなんですよ。行くか行かないかで迷ったらとりあえず行っとけっていう。行ってつまんなくても行ったんだからイイじゃん。と言い聞かせます。どんだけ退屈でもそこから面白さを探す。仮に何一つ面白くない、完璧に純度の高い退屈が存在したとしたら、それはそれで美しいですよ。美しいという言葉に置き換えることで退屈もポジティブに捉えられますよね。なんか自己啓発トークみたいになってるな(笑)。
カッコイイ、かわいい、だけじゃない不確かなものがテーマ。「僕の作品を疑ってほしい」
—今回の個展はどういった流れで決まったんですか?ORで行われた+DA.YO.NE.、TRUNK(HOTEL)での「GOTH ESSENTIALS」のときから規定路線として決まっていたんでしょうか?
米:そうだね。3人展として行った「GOTH ESSENTIALS」はホップ・ステップ・ジャンプで言うところの“ステップ”だったんだよ。今回の個展でいよいよ“ジャンプ”だね。点数もすごい多いし、やっぱり作品が売れるというのがアーティストの評価だと思うんだ。PACは知り合ったときからずっと思っていたんだけど、作品の割にすごく評価が低かったんだよ。「ちゃんとやろうよ」って声かけたんだよね。
PAC:評価が低いというか“無”でしたからね(笑)。知られてすらいなかった。
米:だから、「+DA.YO.NE.」ではとにかくPACのことを知ってもらうという目的があった。そこからの「GOTH ESSENTIALS」で、作品売れなかったら俺やめようと思ってたもん(笑)。
PAC:〆切+αのプレッシャーですねえ(笑)。
米:まぁそんな具合で、イイアーティストがちゃんと評価されてほしいという気持ちで一貫してやっていることなんだよね。いよいよPACは今回の個展に辿り着いたという流れだね。
—場所も、米さんが決められたんですか?
米:そうだね。アーティストによってどこのギャラリーが合うかということは考えながらやっていて、今回作品点数を多くしたかったから広いMDP GALLERYに決めました。
—会場を観ていかがでしたか?アドレナリンは出ました?
PAC:出ていたと思います。こぼれたアドレナリンはちゃんと掃除しましたけどね(笑)。とにかく大きく感じました。いろいろな意味で。恐竜の影に飲み込まれそうになって、ただただその場で佇んでいるイメージ。僕は具体的に作品をどう展示するかというのは後半で決めていくので。
—PAC CATさん会場でピアノを弾いてましたよね?ミュージシャンとして活動していたこともあり、時折ピアノを弾く姿をSNSでも投稿していますが、ピアノを弾くというのはPAC CATさんにとってどういった儀式なんでしょうか?
PAC:厳かな意味はなく、単純に音が出て楽しいからです。この前はMDP GALLERYの地下に置いてあって弾いたんですけど、アドレナリンをこぼした瞬間です。儀式をやろう!というつもりは全くなくて、目の前にピアノがあったから衝動的に弾いてしまったんです。そこにピアノがあるから楽しさを感じる前に弾いてしまったというか。カッコつけてるわけじゃないですよ(笑)。
—PAC CATさんはミュージシャンとして活動していたときは、ボーカルでしたよね?ピアノ歴は長いんですか?
PAC:小さいときは習ってましたけど、発表会で「そよ風」という曲を弾いたくらいですね。適当にイジっています。なんとなく、石が飛んできたら避けるみたいな。こことここ押せばこんな音が鳴るかな、くらい。
米:切り絵はいつからやってるの?
PAC:去年の年末からですね。
米:それ以前はやっていない?
PAC:そうですね。水分で紙が歪まないようにするための策としていろいろ考えていたときに、ペンで書くだけだと味気ないなあと思って切ってみたんです。完全に思いつき。
米:ピアノにも通じるよね。目の前に紙があったから切ってみたっていうかさ。切り絵専門にやってたわけじゃないのに、普通、あそこまで細かくやらないよ。どういう道具使っているの?
PAC:最初はデザインナイフだけでやっていたんですけど、それだけだと手が腱鞘炎になっちゃって握れなくなる。今は直線は超音波カッターで、曲線や細かい部分はデザインナイフというように使い分けています。「GOTH ESSENTIALS」で一緒だったこたお(友沢こたお)とのコラボのときは同じところを同じように切って5、6枚重ねたり、大変だったけど、自分だけじゃないし、やり直しも効かない。手が痛いとか言ってる場合じゃないなと思って頑張りました。じゃないと失礼だから、男としての生き様というかね(笑)。
米:そーんなこと言って嘘だからねえ(笑)。
PAC:本当ですよ(笑)。こたおの作品が赤ちゃんをモチーフとしているから、家族を守らなければという思いを刃に込めていました。
—「REVISED」でも切り絵の作品は見られますか?
PAC:はい。まさにフライヤーも切り絵です。
米:大きい作品はある?切り絵やっぱりイイよねー。
PAC:「+DA.YO.NE.」のときのPVCの大きな作品をカスタムしようと思っているんですけど、そこに樹脂を流し込んだ作品を作っています。これもある意味切り絵だなと。過去の作品とはいえ、自分の作品を切るっていうのはなかなか断腸の思いというか、躊躇するんですけど、切り始めるとクセになってくる。
—カッターズハイですね。
PAC:やっちゃいけないことをやっているような背徳感もあいまって。当時だったら成立しないと思うんですけどね。一回作品として完成させた段階を経ているからこそ、切ることに意味がある。完成させた当時のその場に、未来からの僕が来てジョキンって切られたらショックですもん。それをやれている今の感覚は素敵だなと自分で思っています。
—PAC CATさんが「REVISED」に込めた思いや、こんな風に個展を楽しんでほしいというのはありますか?
PAC:毎回思っていることではあるんですけど、一歩二歩先、もしくは後ろに下がって、その裏にある何かを感じ取ってほしいです。カッコイイ、かわいい、だけじゃない不確かなもの。それをテーマにしています。僕自体の作品を疑ってほしい。何かあるぞ、という。
米:せっかくだから聞くけど、PACはアーティストとして具体的に将来こうなりたいみたいな未来像はあったりするの?
PAC:やっぱりPAC CATという“生命体”を自分の手で殺すことはないかな。違う表現を見つける可能性はありますけど。
米:たとえば、作品ひとつに何千万っていう価値をつけたら引退する、とか。人によってはそれがゴールだったりするわけ。ないならないでいいんだけど。
PAC:作品の価値が上がることは嬉しいですけど、特に、これをしたから創作をやめるっていうことは考えていないですね。
米:俺もそうなんだよね。生涯現役。アガったら死んじゃう。
PAC:同じです。描くこと、創作することは心臓の鼓動と同じ。
米:おっ。カッコイイね。好きになりそうになっちゃった(笑)。
PAC:「GOTH ESSENTIALS」のときにお客さんから「あなたの作品からは音楽のリズムが聴こえる」って言われたんですよね。「マジ!?」って思って。「目で聴くリズム。きっと音楽をやられてたんでしょうね」って言われて、そこまで分かるのかと感心したんです。感じ取る人は感じ取るんだなと思いました。僕が作品を作っている行為自体が、今までの自分の積み重ねで、無意識の内に作品にその血が脈々と流れているんだなと気付かされました。瓦礫の塔じゃないですけど、必要なものも必要じゃないと思っていたものも、全部含めて作品が成り立っている。
—最後にキュレーターとして米さんが思う「REVISED」、ひいてはPAC CAT作品の見所を教えていただけますか?
米:PAC CATの作品は、なぜか写真に撮っちゃうと良さがうまく伝わらないんだ。実際観てみるとこんなに細かい作業、作り込みをしているのかという発見がある。作品としての力はすごいものを持ってると思ってるんだけど、PACが言うように言葉にしちゃうと嘘っぽくなるから、とにかく自分の目で実物を観てもらいたいと思っているね。
コロナパンデミックという地球規模で起きた未曾有のイレギュラーから、突然変異的に生まれたアーティストPAC CAT。キュレーター米原康正をして、「PAC CATという生命体」と形容されるほど、旺盛な好奇心を媒介にその姿とかたちを有機的に変えていく。それは決して比喩ではないのだ。「REVISED」では注意深く観察することで作品からその変化の過程を垣間見ることができるかもしれない。
一方、PAC CATは過去の自分と対話し昇華していく作業の中で、我々観察者の目をよそにきっと新しいアイデアを閃いているに違いない。そしてその姿とかたちを変えながら、これからも好奇心の赴くままに創作し続けるのだろう。PAC CATという生命体にとって創作は心臓の鼓動そのものなのだから。
インタビュアー/望月智久
2021年5月14日(金)より、中目黒MDP GALLERYにおいて
米原康正キュレーションによるPAC CATによる個展
『Revised(リバイズド)』を開催いたします。
【開催概要】
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期 間:2021年5月14日(金)~ 5月30日(日)
会 場:MDP GALLERY NAKAMEGURO(東京都目黒区青葉台1-14-18 1F)
時 間:11:00~19:00 ※最終日は18:00まで/月曜日休廊/入場無料
電 話:03-3462-0682
URL:http://mdpgallery.com
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