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最高位戦プロテスト受験記(ただし90年代)③

実技試験【Part弐】

    あっという間に8半荘が終わった。親の連荘は和了のみなので、半荘に要する時間は必然的に短くなる。その道中、様々な事があった。
    4回戦の対局中の出来事だった。僕が和了り、点数申告をした。「3900・・」すると、訪れた一瞬の沈黙を破るかのように、僕の視界の中で一人の運営スタッフが、続きがあるよと、ジェスチャーで教えてくれた。「・・は4200」と言葉を繋げた。
    その優しいスタッフは、村田光陽プロだった。村田光陽プロは、その後  最高位戦を離れたものの、今はMリーグの審判等で活躍を続けられている。
   
    5回戦では面接官を務められた阪本俊彦プロが、黒子として僕と同じ卓に入った。阪本プロに最大の警戒心を向けて対局に臨んだが、阪本プロは受験者を慮って、終始おとなしい麻雀に徹してくれた。

    6回戦では1卓だけ長引いていた。その卓にはギャラリーも多数付いていた。親が猛連荘をして局が回らないのだ。僕もその卓を観戦すべく自席を立った。その卓の主役は1・2回戦で同卓した坂根さんだった。その半荘でこの日全体のハイスコアを叩き出し、1・2回戦の不運とも言える失点を大きく挽回されたようだった。

     僕の実技試験の着順は、3―2―2―1。上出来と言えるが、素点が重要な競技麻雀においては、トップを3回取ったとしても、Mリーグルールとの比較で、さほどのアドバンテージにはならない。
     運営スタッフさん達が、最終の集計結果を模造紙にしたためる作業に、真剣な面持ちで没頭していた。

結果発表

  80余名の受験者のうち、最終審査に進めるのは、8半荘で獲得したポイントが上位12名の者達。結論から言うと、僕は8位通過だった。麻雀の神様が、僕を選んでくれたのだと思った。
     そして、密かに気に掛けていた坂根さんも、通過を果たしていた。2ラス スタートからの、見事な巻き返しであった。麻雀強者の底力を感じた。次に当たっても、勝てる気がしなかった。 
    実技試験を通過した12名だけが会場に残された。実技試験の責任者である福島治プロが、最終審査の説明を始めた。最終審査も麻雀の実技試験らしい。
   手渡された案内状には、最終審査の日時と場所と試験会場の地図が記載されていた。試験会場は、銀座に所在する某雀荘だった。雀荘の名前は・・失念した。

                                             ( 次回、最終審査 前編 に続く)


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