
最高位戦プロテスト受験記(ただし90年代)④
【最終審査 前編】
反省と復習
僕は二次審査の実技試験の8半荘を通して、最高位戦ルールの戦い方に関して、様々なことを学んだ。
例えばリーチについて。まず、親リーチは一部の例外を除いて、掛けない方が良い。何故なら、親リーチ➡️子3家ベタオリ➡️ツモれず流局➡️親流れ&リーチ棒没収&聴牌料収入無し・・という三重苦に見舞われるからである。
一部の例外とは、場況的に待ちが良く山に和了牌がいそう、多面張待ち、追いかけリーチ、役がない、着順を上げるための点棒が必要、と言ったところか。
最終審査の準備をするに当たって、一番痛いのは、練習相手が居ないこと。最高位戦ルールの競技麻雀を打てる場所も、群馬県には無い。仕方がないので毎日イメトレを行い、当時の最高位戦の代表であった井手洋介プロの書籍を買って読んだ。ただし、井手プロの戦略本は、一般的なルールを対象に書かれているので、あまり試験の参考にはならなかった。そして無為な日々が過ぎ、最終審査の当日を迎えた。
忍田幸夫プロを追尾する
群馬の田舎者にとって、最終審査会場がある銀座は、立っているだけで緊張を強いられる場所である。浅草や池袋とは訳が違うのである。今と違ってスマホの地図アプリなど無い時代、地下鉄の出口から地上に出て、会場の地図を凝視した。どちらの方角へ向かえばよいのか、今ひとつ自信がない。
・・・と、そこへ救世主が現れた。今は麻将連合の代表を務めているが、当時は最高位戦に在籍していた忍田幸夫プロである。最高位戦のプロテストの告知記事が掲載されていた雑誌、麻雀ゴラクの巻頭に、カラーページで紹介されていたので間違いない。
怪しまれないように、忍田プロから5メートル離れて追尾した。自分の読み通り、忍田プロは試験会場の雀荘があるビルに導いてくれた。会場となる雀荘は地下一階にあった。「ありがとう。忍田プロ」僕は心の中で呟いた。
ところがである。忍田プロはそのビルを通り過ぎ、更に先に進んで行くではないか。ひょっとして方向音痴?きっと他に寄る所があるのだと、自分に言い聞かせて、受付でエントリーを済ませた。
10分後、息を若干切らせて忍田プロが会場入りした。どうやら本当に道に迷ったらしい。「忍田プロ、声を掛けなくてゴメン」僕は心の中で呟いた。
24人いる?!
最終審査である実技試験を仕切るのは、二次審査に引き続き、福島治プロだった。福島プロに自分の顔と名前を覚えて貰えていたことが判り、妙に嬉しかった。会場内は受験者を含めて、最高位戦関係者率が高く、Away感が半端無かったからだ。
試験開始の定刻となったことが、運営スタッフさんから告げられた。すると、入口付近で起立していた青年が、一礼をして会場から去って行った。棄権者が出た場合の、次点繰り上げ待ちの受験者であることを察した。会場を去って行く彼の、最高位戦プロテストへ賭ける想いを想像して、切なさと罪悪感を感じた。僕なんかが此処に居ていいのか・・と。
そんな感傷に浸る間もなく、最終審査のシステム説明が始まった。受験者は第二次審査を通過した12名にシード選手12名を加えた計24名で8半荘を戦い、上位6名を合格とする。
シード選手、すなわち、かつて最高位戦のリーグ戦に在籍していた元プロ達である。実力、経験の差は歴然としており、合格へのハードルが上がったことを、即座に理解した。
( 次回、最終審査 中編 に続く)