偉大なる群馬県出身の麻雀プロ
群馬県が偉大な理由
冒頭に群馬県を「偉大」と称したのは、何も歴代総理大臣を4名輩出しているからではない。あだち充先生のマンガの中に出てくる、名も無き脇役の社会の先生が「今日は偉大なる群馬県について学ぶ」という台詞の一部を流用したに過ぎない。あだち充先生は、群馬県伊勢崎市の出身であり、群馬県愛を作品の中に所々散りばめている。読んでいると、自分にはそれが自然と伝わって来る。
これは僕の持論であるが、群馬県民は他の都道府県民と比べて郷土愛が強く、そして深い。大学に進学して他県の友人達とつき合い、導き出した結論である。
ちなみに一番郷土愛が薄いのは、神奈川県民である(笑)。本人達もその自覚がある。横浜市民と厚木市民が、旅先で出会っても、同県人と遭遇したことに対する感慨を抱くことは全く無い。群馬県民はそんな薄情な民族でなく、同県民に出会えたことを嬉しく感じる事、この上ない人種なのである。
上毛かるた
群馬県民の郷土愛の源は、なんと言っても「上毛かるた」という郷土かるたの存在が大きい。
上毛かるたは、戦後間もない昭和22年(1947年)に誕生し、翌昭和23年には第一回の競技大会が開催されている。この大会は今尚継続され、地域の子供会(育成会)を母体に、地区大会やその先の県大会へ向けての練習が、毎年11月になると始まるのが年中行事であった。
かるたの読み札は、群馬県の歴史や文化や自然が織り込まれており、ネイティブ群馬県民は、この読み札全てをナチュラルに、頭の中に刻み込まれている。筆者もその例外ではない。戦後生まれの子供達が、既に老人と化している今、群馬県で生まれ育った人々は、老若男女問わず上毛かるたの読み札を暗記していると言っても過言ではない。
日本に数多くの郷土かるたはあれど、これほど長い間県民に愛され、地域と生活に根付いたものは、上毛かるた以外に無い。僕の群馬県愛の源は、この上毛かるたにあることは間違いない。あだち充先生も、きっと僕と同じ理由で、群馬県愛を持ち続けているのだと思う。
群馬県出身の麻雀プロ
そろそろ本題に入ろうと思う。
ChatGPT先生に「群馬県出身の麻雀プロの人数は何人ですか?」と質問したら「20人です」と答えてくれた。もっと多いような気もするが、残念ながらを正確な人数を調べようがない。
Mリーグ機構がプロ麻雀団体と認めているのは、日本プロ麻雀連盟、最高位戦日本プロ麻雀協会、日本プロ麻雀協会、麻将連合、RMUの5団体だが、実際はそれ以上のプロ団体が複数存在する。
調べようがないと云ったのは、多数の麻雀プロを擁する日本プロ麻雀協会が、ホームページで所属プロの出身地を明かしてない(おそらく個人情報に配慮した)という理由がひとつ。更にはMリーグ機構に認定されていない麻雀プロ団体は、選手を紹介するためのホームページを持っているかどうかも、怪しいからである。
ここでは、名の知れた群馬県出身の麻雀プロについて紹介しようと思う。群馬県民は心して読むように(笑)。
沢崎 誠プロ(日本プロ麻雀連盟) 安中市出身
KADOKAWAサクラナイツが誕生した2019-2020年度のドラフト会議で、誰もが予想し得なかった第3指名選手である。当時のMリーガーで、最年長だった前原雄大プロを上回る64歳。サクラナイツの森井監督のサプライズ指名が、正しかったことが、沢崎プロの活躍により後に証明された。
2021-2022シーズンで、瑞原明奈プロと直接対決でMVPを競った試合の後、勝者となった瑞原プロに、沢崎プロが「おめでとう」と手を差し出して握手を交わしたシーンは、今でも語り継がれる感動的な名シーンである。(下記写真参照)
沢崎プロは長い麻雀プロ歴の中で、十段位、麻雀マスターズ、最強位、麻雀日本シリーズ等、数々のタイトルを獲っている。
「熱闘Mリーグ」で、タレントの武田雛歩が、熱烈な沢崎ファンであることを明かし、後に沢崎を慕って連盟のプロになった。武田雛歩プロには、沢崎イズムを継承し、麻雀プロとして、今後大きく飛躍してくれることを長い目で見て期待している。
沢崎プロは、長きに渡って在籍した自団体の最上位リーグであるA1リーグを、今季 陥落してしまった。しかし、病と老化を蹴散らして、来季のA1復帰を目指して頑張って頂きたい。
中里春奈プロ(最高位戦日本プロ麻雀協会)桐生市出身
桐生市出身と記載したが、実は未確認である。明らかな事実は、彼女が桐生女子高等学校卒ということだけである。
最高位戦日本プロ麻雀協会へは、日向藍子プロと同期入会(2011年36期前期)で、その縁から2人は仲が良く、YouTubeチャンネル「麻雀ウォッチ するしない」で共演している。実の事を云うと、中里プロが群馬県出身であることは暫く知らなかった。気付いたのは「するしない」を観ている時であった。中里プロが群馬弁のイントネーションで、一瞬だけ喋るシーンを聞き逃さなかった。その後ネットで調べたところ、案の定 推測通りだった。
自団体の放送対局で、実況を担当し活躍している他、「遊んで麻雀が強くなる銀星麻雀DX」というNintendo SwitchとPSPのゲームソフトの監修を、小林剛プロと共に務めている。
先日ベルバードのイベントで初対面を果たし、偶然にも中里チームに配属され、群馬県民同士でお互い親近感を持った・・と信じたい(笑)。サインを戴く時に、お土産の焼きまんじゅう(群馬県民のソウルフード)を渡したら、苦笑いしていた。翌日Xでフォローしたら、直ぐ様フォローバックして戴いた。非常に嬉しかった。😄
西嶋ゆかりプロ(日本プロ麻雀連盟) 安中市出身
友人であるKさんは、昼はカフェ、夜はバー時々ライブハウスという店舗を経営している。西嶋ゆかりプロも麻雀プロの傍ら、アマチュアとして音楽活動をしており、その音楽繋りでKさんは西嶋プロを「ゆかりちゃん」と呼ぶ仲である。
Kさんから、西嶋ゆかりプロを紹介してくれる約束をしていたが、コロナ禍でその約束はご破産となってしまった。この前その話を蒸し返したら、歯切れ悪い応えが返ってきた。誠に残念である。
話は変わるが、近代麻雀の付録には、麻雀映像が収録されたDVDも毎回付いている。数年前の女流桜花の準決勝での西嶋プロの対局シーンが、そのDVDに収録されていた。その映像を観た桜井章一氏が、近代麻雀で連載している自身のエッセイの中で、西嶋プロの麻雀をいたく褒めていた。それを読んだ西嶋プロはKさんに「雀鬼に褒められた!凄いでしょ〜!」と自慢をしたらしい。確かに自慢するに値するエピソードである。
今から約20年前、弟が(社)太田青年会議所の研修委員会の委員長の任にあり、担当例会として桜井章一氏の講演会を企画し、苦労の末、氏の招聘に成功した。その例会は一般公開されため、桜井章一氏の講演を聴くために多数の人々が、会場である太田市社会教育センターに訪れた。勿論、僕も喜び勇んで行った。その参加者の中に、場違いの若い女性が一人おり、記憶に残っていた。その女性が、麻雀プロになる前の西嶋ゆかりさんであることが、数年前の彼女のSNSで判明した。会いたかった彼女と、その20年近く前にニアミスをしていた訳である。
西嶋ゆかりプロは、第15期のプロクイーンという自団体のビッグタイトルに、一度輝いている。
西嶋プロからそのタイトルを奪取したのが、日向藍子プロである。そして、プロクイーン第16・17期を連覇した日向プロからタイトルを奪ったのが、この後紹介するする りんの なおプロである。プロクイーンは、奇しくも群馬VS長野の戦いとなっている。
とにかく、西嶋ゆかりプロは、僕が今一番会いたい群馬県出身かつ群馬県在住の麻雀プロである。
吉田光太プロ(日本プロ麻雀連盟) 高崎市出身
かつて存在した野口恭一郎賞(近代麻雀の創業者の名を冠にした新人タイトル戦)の決勝卓に、4年連続で勝ち進み、最後に執念でタイトルを勝ち獲ったことが非常に印象に残っている。(僕が宅建士の資格を4回目で合格したことに少しだけ似ている 笑)僕は吉田光太プロを、Mr.野口賞と密かに名付けていた。いや、実際にそう呼ばれていたのかもしれない。
野口賞の副賞として、MONDO TVのモンド杯への出場権が与えられる。吉田光太プロの姿を初めて観たのは、このモンド杯の視聴によるものだった。
吉田光太プロは中性的な感じのイケメンだった。モンド杯でのプレーヤー解説として出演した時も、若いながらも堂々とした、思わず聞き惚れてしまうほど魅惑的な声だった。解説も的確で、自身の考えを解かり易く織り込んだ解説をしていたことを、今でも記憶している。
所属するプロ団体も、協会 ⇒ 最高位戦 ⇒ 連盟と3団体を渡り歩いている。僕は最高位戦贔屓なので、吉田光太プロが最高位戦に移籍した時は、何気に嬉しかったし、連盟に移籍するとSNSで知った時は、少し寂しかった。
何故移籍をするのか?察するに、彼の麻雀道の目指す終着地点が、現在所属している日本プロ麻雀連盟の中にあったからであろう。
彼は右腕には龍を宿しており、それを継承したのが、弟子であるU-NEXTパイレーツの仲林圭プロであることは、麻雀ファンにとっては有名な話である。
最後にひとつだけ。吉田光太プロは、ブログで麻雀小説を連載と言う形で書いていた。リアリティ溢れる読ませる作品で、非常にレベルが高かった。現在は中断しているようだが、贅沢を言えばnoteで再録して頂きたい。
りんの なおプロ(日本プロ麻雀協会) 出身市町村不明
りんのなおプロの存在を知ったのは、麻雀最強戦2023を視聴していた時である。彼女は前年、他団体である日本プロ麻雀連盟のメジャータイトルである、プロクイーンを獲得していた。2020年に同タイトルを2連覇していた日向からタイトルを奪取して、翌年失冠してしまったが、更にその翌年、再び返り咲いたのである。その実績を買われて、麻雀最強戦に選出されたと思われる。
麻雀最強戦で、選手を紹介するテロップに、「群馬県出身」と表示されていた。それがりんのなおプロが群馬県出身ということ知った契機である。正直言って、ノーマークだった。
ウェキペディアで調べたところ、りんのなおプロの情報は非常に少なかった。判明したのは、2017年プロデビュー。2020年に第18代のプロクィーンに輝き、2021年には、自団体の新人王戦(男女混合)で優勝を果たしている。獲得するタイトルの順番が違うような気もするが、プロ歴が浅いにも関わらず、かなり強い打ち手と言える。
そして2024年、このタイトル戦の記録となる3度目のプロクイーンに輝いた。正直言って彼女の麻雀を観たのは、麻雀最強戦の予選1回だけである。彼女が所属する日本プロ麻雀協会のホームページでの公開情報も少なく、ネットで検索して出てくる情報も少ない。故にミステリアスな存在と言える。協会の有料チャネルを観る手もあるが、多忙なためそれも叶わない。会社を引退した後の余生で、りんのなおプロの麻雀をじっくり観ようと思う。
渡辺航平プロ(日本プロ麻雀連盟) 館林市出身
渡辺航平プロのことは、過去の記事で何度か触れて来た。だから、今回書く記載はダブりも多いと思うが、ご容赦頂きたい。なんなら、復習する意味で読んで頂ければ幸いである。
渡辺航平プロは、かつてQuizKnockという集団に属しており、「こうちゃん」という芸名で地上波のクイズ番組にも多々出演していた。国内における一般的な知名度は、二階堂姉妹より上であろう。こうちゃんは、1年くらい前に最近QuizKnockを卒業し、ピンで芸能活動を継続している。また、自身のYouTubeチャネルも、人気を博している。麻雀プロに友人・知人が多いことは、そこまで知られてはいなかった。麻雀プロになったきっかけは、その交友関係に依るところも大きいと思われる。
渡辺航平プロが、日本プロ麻雀連盟のプロとしてデビューしたのが、今年(2024年)の春である。その知名度から、麻雀店からのゲストオファーは、新人の男性プロとしては格段に多く、最近、近代麻雀誌上でコラムの連載も始まった。麻雀プロとして順風満帆なスターとを切っている。
今まで紹介した群馬県出身の麻雀プロとの最大の違いは、縁の深さである。まず、卒業高校が僕と同じ群馬県立太田高等学校であること。息子が渡辺航平プロの高校の一学年下であること。仕事の依頼をDMで送り、速攻で受諾してもらった後、実際に会って打ち合わせをしたこと、等々。
何と言っても、息子と同年代で高校の後輩というだけで、全力応援するに値する。渡辺航平プロには、沢崎さんの後を継いで、群馬県出身2番目のMリーガーに、群馬県立太田高等学校卒 初のMリーグに、是非ともなって頂きたい。
終わりに
この記事では6名の群馬県出身の麻雀プロを紹介したが、僕の目に留まる有望なプロが現れたら、加筆して紹介しようと思う。
(2024.12.22追記) 中里春奈プロと、麻雀イベントで2回目の対面、初の同卓を果たし、彼女が予測通り桐生市出身であることを確認しました。
(未完)