19年ぶりに瑠美さんに会いに行った♪【前編】
立っていたフラグ
会社の麻雀同好会の活動初日、会員の一人が急遽休みになり、活動開始日が延期になった。それを聞きつけた社長(弟)から電話が入った。取引銀行の新しい担当者が、麻雀やMリーグを好きなので、親睦を兼ねて17:30から19時まで時間を限定して、卓を囲みたいという。
新しく買った会社の備品である全自動卓は、開封して動作確認を行ったものの、対局にはまだ一度も使っていない。取り敢えず、テストを兼ねて自動卓使ってみるのも良いと思い、気が進まなかったが承諾した。面子はA銀行の担当者、社長、幹部社員D、僕の4人である。
Dが10分ほど仕事で遅れるということなので、銀行の新担当者と雑談をしながら、待つことにした。まずは名刺交換をした。彼は「二階堂」という姓だった。『二階堂姉妹と親戚?』、『鎌倉出身?』と訊いてみたが、予想通り全く無関係だった。Mリーグは、サクラナイツを応援してるという。岡田紗佳プロ推しかと思ったら、意外にも渋川難波プロ推しだった。渋川プロより、奥様の早川林香プロを応援した方が良いよ、可愛いし・・と、テキトーなアドバイスをした。また、今後はBEAST Xも応援するよう厳命した。銀行の支店内に、BEAST Xのポスター(手製)とBS10のチラシ(カラーコピー)を張るよう要請したが、申し訳なさそうな顔で断られた。
そんなこんなあり、10分遅れで始まった対局は、南3局の途中で時間切れコールドゲームとなった。全く以ってどうでも良いが、1位 社長、2位 僕、3位 二階堂氏、4位 社員Dという結果だった。大洋技研のAMOS JP‐EX COLOR の性能と、使い勝手の良さを体感できたのが、今晩の成果だった。
Xで目にした瑠美さんのポスト
翌日は「最高位戦フェス2025」のチケット予約争奪戦の決戦日だった。発売開始2分で売り切れたと、最高位戦の別アカウント「メディア情報局」がポストしていた。麻雀イベントで知り合った方々と情報交換したり、フェスのことを検索したりで、いつもよりXを見る時間が長かった。そのような状況下で、偶然目にしたのが、下記のポストだった。
noteに記事を書き始めて、約2か月が経過した。30作以上投稿した記事の中で、ビュー数がダントツなのが「まりしゃんに会いに行った♪【前編】」という、パチンコ店にゲストに来た高宮まりプロに会いに行ったことに関する記事である。(下表参照)
昨日のA銀行の二階堂氏と麻雀することになったのは、この展開を神様に示唆されたのだと悟った。会場までの車での距離を調べてみると、パチンコ店ガーデン大宮北まで46km。県内の高崎市まで約40km。ついでながら、群馬県にある世界遺産「富岡製糸場」まで約50km。問題なく行ける距離である。noteのビュー数のカウントはともかく、尽きかけている記事のネタ作りのために、さいたま市へ遠征することにした。
と、見栄を張ったものの、最大の目的は二階堂瑠美プロに再会することである。勿論ご本人は、僕のことなど1mmも覚えているはずはないのだが。
2005年10月 バビロン高崎店
時は19年前に遡る。二階堂姉妹の姉、瑠美プロが群馬の高崎に来ると知ったのは、近代麻雀の広告を目にしてのことだった。当時の僕は、熱心にMONDO TVの麻雀チャンネルを視聴していた。既に有名な麻雀プロの名前は、近代麻雀を通して知るに至っていたが、新鋭の麻雀プロに関しては、このMONDO TVがその存在を知る恰好の媒体であった。
ただし、二階堂姉妹については、それよりかなり早く、馬場裕一プロ・片山まさゆき先生共著の『バカヅキ・タイフーン』で、その存在を知っていた。
気まぐれではあるが興味が沸き、瑠美プロをゲストに迎えるこの麻雀大会に参加する意思を固め、電話で予約を入れた。平日の大会だったので、当日は半休を取り、一路高崎へ向かった。
受付を済ませると、店長らしき人から「今日はどちらからお出でですか?」と訊かれた。『大泉です』と回答すると「え?そんな遠くから?遠いところ、ありがとうございます」と、思い切り恐縮されてしまった。会話を継続して判明したことだが、店長さんは東京から転勤で高崎に来ており、邑楽郡大泉町の存在を知らず、僕が練馬区の大泉から来たのだと勘違いをしていた。(群馬県の大泉町は、高崎まで車で1時間10分程度)
大会開始の15分前、瑠美プロがスーツ姿の男性を伴って会場入りした。おそらくその男性はマネージャーだろう。二階堂姉妹は芸能人並みなんだなぁと、畏敬の念を禁じ得なかった。
意外だったのは、瑠美プロの服装である。トレーナーにジーパンというラフな格好。いつもMONDOでは、煌びやかな衣装を身に纏っていたので、TVとのギャップが非常に大きかった。
大会開始5分前となり、ルール説明が始まった。半荘5回戦で制限時間は50分+1局、一発・裏ドラは有りで、赤ドラは無し。参加者は36名だったような気がする。20歳台の若い子が大半を占めていて、アラフォーは僕くらい。僕より年配者も2~3人居たような気がする。20年近く前のことなので、記憶が曖昧で断言はできないが、概ね間違ってはいないと思う。唯一記憶に自信を持っているのは、3着・4着のマイナスのウマが付かないという特殊なルールだった。詳しく説明すると、1位+50、2位+10、3位±0、4位±0となる。これは、逆連対者に有利なルールである。
定刻となり大会がスタートした。この日の僕は好調で、いきなり2連勝した。そして3回戦目で瑠美プロと同卓となった。
麻雀プロと初めての同卓
瑠美プロとの対局で、最も印象的だったのは、リーチの発声である。瑠美プロは、店内に響き渡る大きな声で 「リーチー!」と叫んだ。その声の大きさは、村上淳プロの比ではない。大会を盛り上げるための、瑠美プロの心遣いの現れである。そんな些細なことからも、彼女のプロ意識が伺えた。
瑠美プロは南家、僕は瑠美プロの下家(西家)のスタートだった。東2局、親番の瑠美プロからリーチが入った。この時の僕は雀鬼流の影響で、「ベタ降りは漢(おとこ)のする事ではない、放銃は罪ではない」という思考で麻雀を打っていた。安全牌はあったが、降りることを潔しとせず、無筋の9筒を切り飛ばし御用となった。メンピン表・裏の12,000点の献上である。その後失点を回復することなく、この半荘は約10,000点を切るラスに沈んだ。
得点表に記載が終わって、スタッフに用紙を提出した後、僕はボソッと独り言を言った。『2連勝だったのにラスを引いちゃったか・・』その言葉に反応した瑠美プロの言葉は一生忘れない。「ごめんなさいっ!」彼女は謝る必要が全くないのに、僕に悪いと思ってこの言葉をくれたのだ。お客さんに麻雀大会を楽しんで貰いたいという、プロとしてのサービス精神から発した言葉なのであろう。
僕自身は、初めて麻雀プロと同卓できて嬉しい、やっぱりプロは強いな・・としか思っていなかったのだが。
瑠美プロに話しかけてみた
規定時間より10分ほど早く終わったので、勇気を出して瑠美プロに話しかけてみた。『お話しさせてもらってもいいですか?』という問いかけに、瑠美プロはいいですよと、快諾してくれた。今でこそ図々しく麻雀プロに話し掛ける僕だが、この時は勇気が必要だったのである(笑)。
『さんクイーンカップの優勝おめでとうございます』瑠美プロ「ありがとうございます。でもあれは2半荘でしたから」と謙遜した。さんクイーンカップとは、「麻雀さんグループ」がスポンサーになって、MONDOで放映された女流プロ限定のタイトル戦で、瑠美プロは第3期の優勝者だった。この時は12名で争われ、3卓のトップ者とワイルドカードとして、2着の最も点数の高い者1名を合わせた計4名が決勝戦に進める。「2半荘」とはそういう意味だった。
『でも1回戦の南場の猛攻、大逆転はすごかったですよ?』瑠美プロ「あれは燃えましたね。東場で大きく失点してしまったので」
『収録は1日だったのですか?』瑠美プロ「そうです。1日でした。半年くらい前に収録は終わっていたのですが、オンエアーまでの期間が長かったなぁ」
『今回もトップでさすがに強いですね』瑠美プロ「たまたまですよ」
『麻雀にたまたまは、ありませんよ。片山先生のマンガにも、そう描いてありました 😀』瑠美プロは苦笑した。そして、ここで会話が途切れた。
繰上げ準優勝?
残るは4回戦と5回戦の半荘2回。この日は本当に出来が良く、麻雀牌が僕の云うことを良く聞いてくれた。瑠美プロに3回戦で土を付けられたものの、残りの2半荘を連勝し、この大会は4トップ1ラスという、まずまずの成績で終えることが出来た。
最終成績の集計中に、瑠美プロが各卓を回った。何かと思ったら、参加者全員にトレーディングカードを配っているではないか。この記事の表紙の写真がその一部である。全部で6枚あった。残りの3枚は【後編】で掲載する。10代の亜樹プロとの2ショット写真もあるレアものである。
瑠美プロは一人一人丁寧に声を掛けて、トレカを配っていた。思いがけぬプレゼントは、やはり嬉しかった。しかし、我ながらよく大事に保管していたものである。
いよいよ、結果発表の時が来た。1位は黒子のスタッフさん、2位は二階堂瑠美プロ、僕は4位だった。最後まで順位が発表された後、司会を務めていた店長からアナウンスがあった。「うちのスタッフと瑠美プロは受賞を辞退します」このアナウンスで、僕の順位は4位から2位に繰り上がり、準優勝の賞品を手にした。
しかし、瑠美プロはやはり強かった。これだけの人数の大会で、運要素が強い麻雀のゲーム性を考えると、そうそう2位は取れるものでない。
この当時のゲストを招いての麻雀大会では、サイン会や写真撮影会などなく、そこで一旦お開きとなった。瑠美プロはあと、あと2半荘ほど打つらしく、大会で同卓できなかった人を優先に、瑠美プロがホストの卓が立った。
しばらく瑠美プロの麻雀を後ろ見した後、僕はバビロン高崎店を後にした。
(【後編】に続く)
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