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第5回麻雀最強戦 読者大会 in 1993

最強戦のVHSテープ

    初めて買った麻雀映像メディアは、竹書房が通販で発売した「第3回麻雀最強戦・上下巻」のセットである。当時はDVDなど無かったので、媒体はVHSテープ。僕の記憶が正しければ、価格は1本14,800円だったので、上下巻2本で3万円弱。かなり高額だが、その時の僕にとってはそれだけの価値があったので、迷うことなく購入した。第4回、第5回まで購入したので、都合6本買ったことになる。それぞれのテープを10回以上は観たので、元は取れていると思う。
    ただ、その6本のテープは、全て友人に貸したまま返って来なかったので、現在手元には無い。この記事を書いていて、人に物を貸す時は、返って来なくても惜しくないものに限定しようと、今更ながらに思った。もし、この記事を読んで心当たりがあるリアルフレンドがいたら、返却してくれ。

    インターネットが世の中で普及する前、麻雀の大きなタイトル戦の結果や経過を知るには、近代麻雀を始めとする紙媒体の記事に、頼るしかなかった。昔の近代麻雀では、最高位戦のAリーグのリーグ戦の記事が掲載されていた。第1回・2回の麻雀最強戦も、近代麻雀の紙面でその結果を知った。第3回麻雀最強戦の映像がVHSテープで販売されたことは、当時としてはエポックメイキングだった。麻雀はエンタメとして、新たなるステージへと向かっていた。

黎明期の麻雀最強戦

    黎明期の麻雀最強戦は、1日で決着が着く大会形式であった。決勝出場者の選出は今の様に、1年を費やした予選を経ての決勝というスタイルではなかった。竹書房が一定の基準で本選(今でいうFinal)出場者を選出していた。メンバーを見ると、漫画家の西原理恵子氏やパチンコライターの山崎一夫氏が入っていることから、お祭り的な要素が多分にあった。ただ現在と同様に、初回より読者である我々に、アマチュア枠がひとつ用意されていた。ただし、アマチュアはプロや著名人と違って予選があった。それが、読者大会である。
     本戦(Final)は出場者16名が半荘4回を戦い、上位3名がディフェンディングチャンピオンへの挑戦権を得る。決勝は勝ち上がった3名と現最強位で半荘2回戦を闘う。最強位の連覇確率は現在のシステムと比較すると、単純計算で4倍高くなっているものの、当時のシステムで連覇した最強位はいない。このような超短期決戦の麻雀のタイトル戦で連覇することの難しさは、時代が変わっても不変なのである。

麻雀最強戦への挑戦

    初めて麻雀最強戦に挑戦したのは、第5回の「読者大会」で、今から30年以上前のことである。
   挑戦しようと思った契機は単純明快である。第4代最強位の佐々木秀樹さんの麻雀を映像で観て、感動し感激したからである。僕と同年代か、一回りくらい下の世代の方には説明するまでもないが、佐々木秀樹さんは、桜井章一会長の弟子で、雀鬼会を代表して最強戦に出場していた。
    その強さはMリーガーの大介さんの著書にも書いてある通り、圧倒的であった。若かりし頃の大介さんが、佐々木秀樹さんと数十回対局して、一度たりともトップを取らせてもらえなかったという。桜井会長の教えを受けた若干20歳の青年が、百戦錬磨のプロたちを、正面から力で捻じ伏せた闘牌は圧巻だった。
    自分もこのステージで闘ってみたい、単純ににそう思った。僕は今までこのような東京で開催される大きな大会や、タイトル戦に出場した経験は皆無だった。

    この読者大会への参加は、抽選という不透明な方法ではなかった。参加希望者が申し込みのハガキに最強戦への想いを綴り、編集者の方々がそれを読んで、選出するという極めて稀な方法だった。文章を書くのが好きな僕にとっては、ある意味 有利な選出方法で、運良く出場権を得ることが出来た。
    この読者大会は、所謂ワンデー大会で、数十名の出場者が半荘4回戦を闘い、上位4名が決勝に駒を進める。そして、決勝戦は半荘1回勝負で優勝者が決まる。
    ただし、この時は選出された読者に加えて、漫画家の先生の方達(推定30名)も参加したことが、対局中に判明した。只でさえ確率が低いのに、更にハードルが上がり、最初は不満を先に感じたが、近代麻雀に連載している漫画家の方々と同卓できるのは、ある意味僥倖であると考え方を改めた。ちなみに1回戦では押川雲太朗先生と、2回戦では日高トモキチ先生と同卓した。参加者は少なく見積もっても総勢で100名はいたので、決勝に進むには4連勝が必須条件だった。   

初挑戦の結果

   大会開会セレモニーでは、望外にも桜井章一会長のご挨拶があった。桜井会長がこの会場に来場されるということは全く予期していなかったので、誠に喜ばしい出来事であった。我々出場者を励ましてくれる内容の挨拶であったことを記憶する。ただ、僕が座っている位置から遠かったので、良く見えなかったのが残念であった。そして、現最強位である佐々木秀樹氏の挨拶もあった。若干21歳らしい初々しい挨拶であった。お二方とも強者のオーラを放ち輝いていた。

   この大会の結果を先に述べておく。3位、3位、1位、1位で+96.6P。初戦から2連続逆連対し、決勝進出の目が無くなってからの2連勝。麻雀あるあるである。最終順位は11位だった。
    翌月発売の近代麻雀に、読者大会の結果が出場者の写真付きで掲載されていた。自分にとっては、生まれて初めての、おそらく生涯一度限りの近代麻雀への写真掲載である。比較的上位だったので、白黒ではあるが、容易に視認できるくらいの大きさの写真だった。
    この近代麻雀は実家の麻雀ルームに保管していたのだが、実家を改築する時に母に無断で処分されてしまった。当時は母を恨んだものだ。白いシャツを着た(この時はまだ)顔のラインが細く、視線を手牌に向けた自分の写真は、今でも頭に思い浮かべることができる。

     上位2割に入れた読者大会の結果は、自分の雀力からすれば、出来過ぎとも言える成績ではあったが、残念であることに変わりはない。不思議なことに、悔しさはさほど無かった。ただ、優勝者のSさんを羨ましく思った。大きな舞台で闘える権利を得たSさん。他人を心底羨んだのは、この時が生まれて初めてだったかもしれない。 

個人成績表

   物持ち良く保管していた成績表を、画像として上げる。良く見ると「麻雀最強戦」ではなく、当時は「麻雀史上最強戦」が正式名称だったようだ。「読者大会」も正式には「読者代表選抜大会」であったことが判る。
   そして、もう1枚貴重な資料が出て来た。アンケート用紙である。後日送られて来たアンケート用紙を送る前にコピーしたか、アンケート用紙の提出を忘れて持ち帰ってしまったか、いずれかだろう。

アンケート用紙

読者大会のアンケート用紙

    画像では字が拙く読みづらいので、若干アレンジしてリライトした。アンケートの1と2は、単なる個人情報なので、除外してある。


3.  あなたの麻雀の必勝法、また、好きな雀士がいたら教えてください。
・勝つという意思を持って打つ
・好きな雀士 「桜井章一」氏

4.今回の読者大会を前にしての心構え・作戦等、教えてください。
・神仏に祈りました。
・今日は3時半に起きて、さかえ熊谷店で調整してきました。

5.今回の予選の戦績とその勝因(敗因)となった一打・一局をできるだけ具体的に書いて下さい。
(1回戦 3着 △8.6P)
全員2万点台で迎えたオーラス、ダブ南ホンイツで3-6索で聴牌。和了トップの勝負手だったが、昨年の(読者大会の)決勝進出者の内藤さんに、リーチ一発で6索をツモられ3着に沈んでしまった。

(2回戦 3着 △8.2P)
同卓の日高トモキチ氏(漫画家) に採譜者が付き、やりずらかった。(言い訳)
日高氏は3,000-6,000を2回もツモるし、困ったものだ。

(3回戦 1着 +15.2P)
 南1局の南家。チャンタ三色ドラドラのペン3筒で強欲リーチ。

(ドラ  北)

(ドラ 8索)下家から6筒切りで追いかけリーチが入るが、筋となった3筒が対家から出て和了。裏は乗らず、跳満止まり。

(4回戦 1着 +18.2P)
東3局の親番、下記の手牌をハイテイで南をツモり、8,000オールの和了。

(ドラ 5 筒)

3回戦終了時、暫定4位にいた同卓者の滝さん、失礼しました。


    先に記述したが、1回戦では漫画家の押川雲太朗先生と同卓した。この時は先生の作品を読んだことが、ほとんど無かったが、今では好きな麻雀漫画家の3本の指に入る存在である。今思い返すと非常にラッキーだった。
   2回戦で同卓した日高トモキチ先生のバカヅキには、ほとほと困った。麻雀を打つ手付きはどう見ても初心者だった。採譜者の他にカメラマンもおり、更にはご本人がコスプレをしていた。いや、させられていた。近代麻雀の企画としての参戦であったことは間違いない。対局者である我々に対して、しきりに「すみません。すみません」と謝っていた。その謙虚な本当に申し訳無さそうな態度を見せられれば、許す以外の選択肢は無い。
   
 下記の写真は、竹書房さんから頂戴した大会参加の記念品である。

  近代麻雀の麻雀手帳(カバー無し・中身のみ)
日高トモキチ先生作「パラダイスロスト」のテレフォンカード

    こうして僕の麻雀最強戦への挑戦は一旦幕を閉じた。麻雀最強戦への再挑戦は、それから22年の歳月を待たなくてはならなかった。

(麻雀最強戦 アマチュア予選 in 2015に続く)



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