台湾の民主化過程を考えてみるnote ⑤ 李登輝総統時代(1988~2000)「民主化時期」→陳水扁~蔡英文総統「民主化確立時期」
ようやく台湾の民主化を考えるnoteも佳境にやってまいりました。
民主化の転機といえばやっぱり出てくる李登輝がでてきました。
今回は李登輝総統時代の民主化の動きがみられる「民主化時期」から、今現在の総統である蔡英文までの「民主化確立時期」について、ポイントをかいつまんで書いていきたいと思います。
出来るだけシンプルに、出来るだけシンプルに。。。
李登輝総統時代(1988~2000)「民主化時期」
李登輝といえば、なんといっても7回に及ぶ憲法改正!
総統としては3期12年務めた李登輝ですが、その間になんと7回の憲法改正を行います。そのほとんどが民主化を進めるための内容です。いくつか代表的な改正内容を示します。
・動員戡乱時期臨時条款の廃止
1948年に蒋介石総統によって臨時的に定められ、臨時的にもかかわらず1991年までなんと43年間続いた定めですが、李登輝時代にようやっと廃止されます。
この臨時条款によって公権力を軍に委譲し、憲法の効力が停止ししていたわけですが、ようやく憲法がきちんと効力を発揮することとなります。
・国会の全面改選
驚くべきことですが、国民党政権が実権を握ってのち、40年以上もほとんど同じ議員が議会に座り続けていました。彼らを全面的に改選したのも李登輝の大きな成果と言えます。
・総統の直接選挙の始まり
憲法改正により、1996年から総統の直接選挙が始まります。はじめての直接選挙では李登輝が再選することとなりますが、その後の政権交代が現実となる新たな台湾の礎となった憲法改正です。
他にも、地方政府の見直し、直轄市と省長の民選、国会改革、総統権の拡充、司法権の独立などなど多岐にわたる改正を進めました。
中華民国の台湾化
台湾の歴史を調べていると、「台湾化」という言葉が見られます。それは、日本による植民地支配、それから外省人による外省人に向けた政治などを経験してきた台湾が、民主的で経済的にも独立した今日の台湾となった、というような意味合いで使われてい(ると私は思ってい)ます。
李登輝は、民意を汲み取り台湾のための民主化を進めました。この憲法改正による民主的な政治のルール作りが、まず一つ中華民国が台湾化したといえる点だと思います。
また、その結果として、李登輝時代から自身を「中国人」ではなく「台湾人」であるという認識を持つ人が増え始めます。
(こちらの記事で、台湾の方々のアイデンティティ調査についてみることができます)
過去に台湾人というカテゴリーの中に本省人と外省人という大きな隔たりができた台湾で、多くの人が「自分は台湾人だと思う」ということは、本当に素晴らしい変化だと思います。
このマインドチェンジが可能だったのは、エリートとして登用された李登輝が中国国民党の人間でありながら、本省人の人間でもあり、民意を汲み取りながら政治を進めたからだといえると思います。
ただ、李登輝時代から「台湾は中国とは別の国だ」という認識が生まれながらも、中国との輸出入には依存しながら経済を維持しました。そのため、現在、「台湾は独立国家となるべき」「台湾と中国は1つの国家となるべき(中華民国こそが中国だ!)」「台湾と中国の関係は現状維持(曖昧なまま)でよい」という三つの大きな考えが台頭しつつも、事実上中国との輸出入に頼ってしまっている、そういった現状を作り出した原因であるともいえると思います。
この「台湾化=Taiwanize」という言葉は本当にパワフルで、民主化というものはやっぱりこの李登輝時代にほぼ確立されたんだなぁというのが私のここまで書いてきた感想です。
陳水扁総統時期(2000~2008年)「民主確立期」へ
陳水扁!覚えておられるでしょうか。
美麗島事件(1979年、内容はこちらで確認!)でデモ活動の弁護団だったあの陳水扁ですね。この方が総統になるというのは台湾民主化にとって大きな意味を持ったのですが、そうも上手くばかりいかないのが、世の常。悪いこともたくさん起こります。
陳水扁総統政権が生まれたことの大きな意味は、直接選挙で総統が選ばれるようになって初めて政権が交代したことです。
政権交代は、民主体制における政党政治と競争のメカニズムが確立したことを意味しますので、民主体制の成熟が進んだといえる画期的な出来事となります。
初めて政権交代が実現し、民進党から総統が生まれるわけですが、確かに憲法改正手続きの民主化などの憲法改正が進んだものの、一方で悪い出来事もありました。
・319銃撃事件
2004年総統選挙前夜に陳水扁総統が銃撃される事件が起きます。ただし、この事件については、今もってして真相が解明されておらず、選挙のための本人と民進党の自作自演だったのではないかという話もあるようです。政治的にかなりグレーな出来事です。
また、2期目の在任中に陳総統一族の汚職腐敗が発覚し、長くメディアに取り上げられることになります。それにより退陣を求めるデモも起こり、陳水扁は退陣後も汚職により起訴され、民進党は大きく後退することとになりました。これら一連の汚職腐敗は台湾民主化の汚点であると考えられています。
馬英九総統時期(2008~2016)「民主主義の定着化」
馬英九の人物像
・1950年に家族と台湾に移ってきた外省人。
・国民党に所属し、蒋経国の英語通訳を務めた。また、陳水扁にかわり台北市長(1998-2006)を務めた。
・中国に近い政治姿勢であり、蒋介石へのリスペクトを持っていたため、いわゆる分かりやすい国民党員であったといえる。(李登輝のいい意味での異端性が確認できる)
国民党の馬英九が総統になったという歴史的意味
馬英九が総統になったことで、国民党が再び政権をとるわけですが、台湾にとっては2回目の政権交代が実現することになります。論文(「台湾における民主化と国会改革」李嘉進、2014、※グーグルで検索すればPDFでダウンロード可能)によりますと、この2度目の政権交代は「民主主義の定着化」を意味しているそうですが、大きく以下2点の特徴を持ちます。
・二大政党がともに民主体制を忠実に守り、体制内で権力の移転を行う。
・政治エリートたちと国民は政治体制を変えることを求めず、その都度、適任の指導者を求める。
この2点、民主主義国家では当たり前のことですが、これらが当たり前に行われること、それが民主主義なわけですね。その視点で改めて日本を顧みると、(二大政党制がもはや全く成り立っておらず、野党が与党に対抗できない絶望的な状態を無視すれば)、本当に恵まれた、素晴らしい制度を持った国家なんだと考えることができます。
では、その素晴らしい状態をどうやって、活かすのか。。。
ひまわり学生運動と政権交代
2014年3月にひまわり学生運動がおこり、端的にいえば、その成功により馬英九政権は交代へと追い込まれます。
これは、ドキュメンタリー映画「私たちの青春、台湾」で詳しく観れるのでぜひ確認ください。(アマゾンプライムで課金すればご覧になれます)
ひまわり学生運動と、その映画については、それぞれ別の書き物と企画でご紹介しようと思いますので、ここまで。
蔡英文総統時期(2016~現在)
実は論文が古いものなので、蔡英文政権のことはあまり触れられていないのと、これから進める新たな企画によりまして、この部分はものすごく簡単に締めさせていただきます。
・蔡英文は、民主進歩党の党員であり、初の女性総統となった。家族ともに本省人。祖母は台湾原住民であるパイワン族の末裔である。
・民主進歩党が改めて政権をとることで、3度目の政権交代。これが意味することは、おそらく、民主主義の定着の確認、民主主義が「当たり前のこと」となる。
・蔡英文は「台湾はすでに独立国家である」という考えをもっている。
これからの台湾政治と台中関係
2014年の「ひまわり学生運動」とドキュメンタリー映画「私たちの青春、台湾」について書くことと、もう少し掘り下げて台湾の民主化や、今の台湾についての企画を進めようと思うけれど、台湾の民主化についてまとめるnoteは一旦これで区切りをつけようと思います。
最近の潮流でいえば、第3政党である民衆党が支持を拡大しているようで、2大政党制で少し安定していた台湾に改めて変化の時がやってきているのかもしれません。ただ、これまでの「民主主義を勝ち取って、変化を続けてきた」台湾を想えば、台湾に住む人々のの考えが変化し、新たな民主国家として変化していく台湾は、ものすごく「台湾らしい」といえるのかもしれません。
・中国国民党:「中華民国こそが中国である」
という主張を一応はしています。ただ、中国寄りの政治姿勢はどこまで意味があるのでしょうか。中国からすれば「ただ一つの中国は確かに事実だが、台湾は中国の一部だろう」という考えなわけですから、国民党と中国は本来相容れない政治的思想だと思うのです。
・民主進歩党:「台湾は独立した国家である」
と蔡英文総統は考えています。ただ、貿易等で中国に頼っているという状態は過去の台湾から続いているものです。その点を無視して、台湾はすでに独立している、ということを主張するのは難しいかもしれません。武力に大きな差がある台中関係にあって、実質国交が絶たれているアメリカ(日本)はどこまで台湾のサポートを行えるのでしょうか。
・民衆党:「台湾と中国の関係は、今の曖昧なものを維持すべき」
と考える民衆党。2014年から2期台北市長を務めた柯文哲が2019年に結成しました。現在台湾で第2勢力となっています。次の総統選挙では台風の目となるのか。このあたりは次の企画で少し深堀出来ればと考えています。
とりあえずの結び
この「台湾の民主化を考えるnote」は、台湾の歴史を分かりやすくまとめていろんな人に読んでほしい、というよりも自分が台湾に関して勉強したことをまとめておきたい、という思惑で進めており、見事思惑どおりのものとなりました。誰かのために書いていないので、まったくもって第一目的は達成しているものの、それをこうしてこんな文章まで読んでいただいている方々に対しては、まとまりがない文章になってしまったことを謝罪するほかありません。
ただ、今回初めてゆっくりと歴史について学び、「台湾の民主化」という視点を中心に据えて色んなものを読んで、まとめてみた経験を振り返ると、大きく2つの学びがありました。
一つには、「歴史の複雑性」です。歴史って本当に難しい。「台湾ってどうやって民主化したんだろう」という疑問は、調べれば調べるほどに説明が必要で、説明すれば説明するほど、「民主化」という要素を補う情報が無限に発見されました。つまり、自分が思っていた以上に歴史の1要素が進むことは複雑怪奇で、様々な事情が絡み合ってその出来事にいたっているのだということ。まずはそのことを確認できたことが自分にとって大きなことでした。言い換えれば、歴史という学問は、①どれだけ多面的に学習するか、②そして学習したことをもとに、その歴史的事実の結果や自分の考えに結び付けていく。そんな学問なのかなぁと思ったりしたのでした。
もう一つ深く感じたことは、歴史について何か書くとき、それは無数にある事実や、本や、記事や、インターネットの情報を引っ張ってきて、要約したり作文したりするわけですが、誰が何を書いたとしても、「切り取られた一部の情報や、ある一定の方向からの編集にすぎない」ということです。例えば、「政権がひっくり返った」という事実があるにしても、それが意味することや、その原因なんかは文脈をまとめる当人によってまったくその書きぶりが変わります。ということは、歴史(多分そのほかの学問分野でも同様な気もしますが)を学ぶときには、同じ歴史的事実を多くの文献や論文を読むことで、多角的に検討する必要があるということだと思います。まぁ、その点においては今回の書き物は李嘉進さんの論文を中心に据えて、他の論文やインターネット記事なんかを読みながらまとめたわけですが、まったくもって本当の意味での歴史の学習には程遠かったなぁと思うのでした。
ただ、ある事象を学び、自分なりにまとめて書くことにより、その事柄について、飲み下し、腹に収めて、何か自分が思う歴史の流れを他人に見られる(自分で改めて見返す)状態にする、ということが体験できたので、本当によかったなぁと思います。こんなところまで読んでくださった方々、貴方は稀有な方(誉め言葉)ですが、感謝申し上げます。また、もう少し気楽なものもたくさん書きたいなぁ。
台湾の民主化を考えるnote、いったん終わり!!
ではまた。