日記。5/18~5/27
5/18
9:58 起きる。気分がちょっと沈んでいて、二度寝する。
11:58 二度寝から起きる。
親元に来てからご飯をよく食べてる。親たちが食べているご飯を1口ずつ貰ってる。わたし用の食べ物も別でスーパーで買ってもらった。
枝豆、エビ、枝豆豆腐、冷凍いちご、海藻、キムチ。ヘルシーかも。
お昼ご飯を食べ終えて、朝の仕事を終えた母が昼寝をしてしまったので、置いてひとりで外に出た。
昨日は雨だったけど今日は晴れたので海に遊びに来た。
家が海辺なので、窓を開けても海だし、玄関を出ても海なのだけど、そこの「海」は韓国から流れ着いたゴミや漂流物などが溢れていて汚れているので、海で遊ぶとしたら少しだけ歩いた先にある場所に行く。観光客がやってくる場所が家から歩いて数分のところにある。
せっかくの快晴だけど、風が強過ぎて歩けないほどなので今日は海で遊ぶ事は断念した。
風が避けられる屋内の場所で、隅っこの席で、家から持ってきた本を読む。
東京では聴こえてくることがまずない方言で交わされる会話で適度に賑わっている。思っていたよりも買い物客の人が居る。今日は土曜日だった。
田舎に似合わないような派手な服装の人も居る。どこから来た観光客なんだろう。まだらでもピンク色の髪の毛のわたしが言える事ではないが。
観光客の人達にとってはこのざわめきも全部呪文みたいなんだろうな。
その呪文で作られてる会話の内容が観光客の耳にはすり抜けて、わたしの耳には届いてくる。変な感じがする。バイリンガルみたい。
窓から見える海は風に煽られていて、潮が早い。
遠くの方で白い波がざばざばと音が聴こえてきそうなくらい激しく岩にぶつかって飛沫をあげてる。岩肌に立っている観光客の人の服もばさばさと風にたなびいてる。
海が青くて透き通っててとにかく綺麗。
次に晴れた時は遊べるといいな。
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5/19
3~4時まで眠れなかったけど早起き出来た。起きたらたこ焼きと、炒り卵とウインナーの炒めものの朝ごはんがテーブルにあった。
こういうがっつりしたものは久しぶりに食べた、美味しかった。
午後、遊びに連れて行ってもらい、ゲームセンターや駄菓子屋に行った。行きと帰りの車内も含めてとても楽しかった。
家に帰ってからはウォーキングと筋トレをした。家は海辺だけど家の後ろは全部が山なので、必然的にウォーキングは海沿いの道路に沿って歩く感じになり、途中で山に向かって続く階段を登ったりした。
段々体力がついてきて階段が苦ではなくなってきて嬉しい。夜遅くて危ないからと母が迎えに来た。普段東京でもっと危ない場所でも遊ぶし、オールナイトのクラブイベントにも行ってたのに。
明日は明るいうちにウォーキングをして、山の方の階段で上の方に行ってみたい。
いい1日だった。
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5/20
起きたらあまり調子が良くなかったのでどうしたのかと思ったら天気が曇りだった。曇りの日はいつも朝から調子が良くない。
東京であまり見かけないが青森だとメジャーな食べ物のひとつに「中華ざる(ざる中華)」というものがあって、わたしはこれが好きなのだけど、先日スーパーで中華めんを見た時にこれのことを思い出し、買ってもらったものがお昼ご飯に出た。
湯がいた中華麺を薄めた麺つゆで食べるだけの、ざる蕎麦の中華麺バージョンのような食べ物なのだけどこれがとても美味しい。数年ぶりに食べた。
炭水化物を適量食べられるようになってきた。
食べたあと、昨晩寝る前に読み終えた本の読書感想文を書こうとしたけれど、読了後になんとも微妙な気持ちになってしまい、正直どこが面白くなかったかを事細かに丁寧に感想にするのもめんどくさくて一言二言しか書けなかった。
義務じゃないしこういう時はこれでいいか。
振り切って面白くなかった本の場合、どの点が面白くなかったのかも書くようにはしてるけど…。
読書感想文を書いて少しダラダラしてからウォーキングをするために外に出た。
家の前の道路は左右に続いており、最初に左のほうの道路(海沿い)を歩いた。昨日と同じコースを歩いて、途中にある山に続く階段を今日は上まで登りきった。豆柴がいるらしい家はあったが豆柴の姿は見えなかった。
そのまま山を歩く事にした。海沿いと違い、広い道路は真ん中を歩いても人も車も居ないから歩きやすくて、海沿いよりこっちのほうがいいかもなあと思ったけれど、そういえばここは熊が出るエリアだった、ということを思い出してしまった。
時間はお昼の14時前で、恐らく昼間に熊は出ないだろうが、こんな人通りの無い場所で突然音がしたらその音につられて出てくるのではないかと急に不安になり、ファブルと金カムの熊との邂逅シーンをめちゃくちゃ脳内再生してイメージトレーニングをしてしまった。
イヤホンも片耳だけ外して、万が一に備えた。大真面目である。
山の中では道路脇のところどころに、藤の花が咲いてた。藤の花、木自体は寿命が無いんだっけ?良い香りがした。
藤の花の次くらいに多く咲いてたのがやや濃いめのピンク色の桜のような花で、綺麗に咲いてた。これが山桜なのかな?わたしが好きなシャンプーのいち髪が山桜の香りだった気がするけど、この花なのかな。
香りをちゃんと嗅いでおけば良かった。
しばらく歩いたら山の上のほうに着いて、集落が見えてきた。
昔行ったことがある、おばあちゃんがやっていた個人商店は辞めてしまってた。そのまま引き返す事にした。
山を下りた頃、ちょうど家から持ってきたお茶がほとんど無くなっていたので、おととい行った「観光客の来る場所」の自販機で新しいお茶を買った。ついでにお店の中に入って見つけたシフォンケーキを買いそうになったけど今日は買わなかった。
家まで戻る道を歩く。
その途中、山の上の商店で買い物が出来なかったことをなんとなく思い出して、買い物したいなー、となってきた。
さっきの場所で何かしらお菓子でもジュースでも買えばいい話なのだが、「わざわざ長い距離を歩いた先に着いた”新しい”お店で何かひとつ食べ物を買いたい」という気持ちがむくむくと湧いてしまった。
今は、家から見て左側の道路(海沿い)から家に向かって歩いている。反対側の右側の道路(海沿い)をひたすら50分くらい歩くとそのうち右側の最寄り駅に着く、というのをなんとなく知っていたので、家を越えて歩いてみるかという気持ちになった。
14:46
家から少し歩いたところで頭上に看板が見えてきて、右側の最寄り駅まで5km、の表示があった。
この時既に3.8kmを歩いていたので、行って帰ってきたら14km近く歩く事になる。
急にわくわくしてくる。
田舎過ぎてそもそも道路が歩道(?)ですら所々が人が歩く事を想定していないような舗装だったりするので、普通にちょっと危ない可能性があるのだけど、
片道5kmの最寄り駅に歩いて行ったらどんな気持ちになるんだろうという好奇心に負けてしまった。
日が少し出ていたので日陰を見付けたらなるべく少し休憩をして、お茶を少しずつ飲みながら、熱中症にならないように気を配りつつ歩いた。
道中色々あったが歩き続けて、右側の最寄り駅に辿り着いた。道中色々あったが達成感がすごい。ほんとに色々あった。
夕方に差し掛かっていた。日が雲に隠れてしまい少し寒い。お店のおばちゃんに観光客だと思われて声を掛けられて店に連れられて色々買わされそうになったけど、このあと歩いて帰るからポシェットに入るサイズのお菓子だけ買いたいと伝えて、ブルボンのチョコクッキーをひとつ買った。
それから店を出て、岩肌だらけの海の入口に立った。本当はここで少し遊んでから帰りたかったが、道中色々あったために時間がなくなってしまっていたので泣く泣く帰ることにした。ので、見渡すように眺めた。
海から吹いてくる肌寒い潮風が清々しい気持ちの追い風になっているような達成感。嬉しい。
広々とした海への入口はとても開放感がある。
その反対側に、右側の最寄り駅もある。
帰り道は帰るだけなので寂しい気持ちになりながらひたすらもと来た道を辿って帰った。
日が落ちていたので休憩せずに歩き続けて帰りは5kmの距離をほぼ1時間で歩いた。
家に着いてすぐシャワーを浴びた。右足の靴下に穴が空いてた。穴のすぐ下の足の裏にマメが出来てた。お母さんがわざわざ繕ってくれて穴を塞いでくれた。東京から持ってきた靴下はこれを含めて3足しかない。
そのあと買ってきたクッキーと、昨日駄菓子屋で買ったきなこ棒を食べてから、晩ご飯を食べた。
長距離散歩楽しかったな。癖になりそう。
また明日も右側の最寄り駅に行けたら行きたい。
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5/21
5時半頃まで眠れず。
11:30 起きる。
親たちが遊びに行くということで着いていった(お留守番の選択肢は無い)。駄菓子屋できなこ棒をたくさん買った。
ファミマで見た事ないポケカ(ポケモンカード)のスターターデッキが売ってた。一昨年に元上司がくれたデッキとは違う小さい箱のもの。ちょっと欲しかったけどやめたのに、にゃんこ大戦争のウエハースは買ってしまった。
帰りの車内で急に具合が悪くなってくる。薬を飲む。効いてる気がしなかった。
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5/22
9:30 二度寝して起きた。
また知らない学校の学園祭の夢を見た。わたしは友達を探す為に長い廊下をひたすら走ったけれど結局会えなかった。
朝ご飯を食べる。
食べた後、お母さんと旦那(義父)にチャーハンを作ったら美味しいと言って全部食べてくれて嬉しかった。
また右側の最寄り駅に行って帰って来る長距離散歩をしたかったのだけど、足に出来たマメが思ったより大きくてやや痛いので、断念。
代わりに海に行った。
風が凪いでいてちょうど良いかと思って海辺で本を読み始めたらすぐに寒くなって、砂浜のほうに移動した。岩場を渡り歩いて海を覗き込むと水が澄んでいた。魚は居なかった。
貝殻を拾った。ゴツゴツした大きな岩が砂浜のところどころにあるのだが、この岩の周りには何故か割れてない小さな貝殻が集まっている事が多い。なるべく欠けや穴が無い綺麗めな貝殻を拾い集めた。
色褪せた青っぽい巻貝や、トラ柄みたいな巻貝がたくさん落ちてる。
ガラスもたくさん落ちてた。シーグラスの赤ちゃん。
集めた貝殻は小瓶に詰めてプレゼントにしたいな。
貝殻拾いをやめて、立ち上がったらちょうどお母さんが来てた。
ふたりで「観光客の来る場所」で割引になってたクレープを食べた。美味しかった。
明日の夜行バスで東京に帰る。
なんだか長い時間ここに居たような気がする。
東京に戻ったらすぐにまた都会の生活に馴染んで、一人の生活にも馴染める。そうしたらまた家から5分のコンビニに行く事も普通になって、ライブに行くようになって、こうやって最寄り駅まで5kmもあるだとかインターネットが通ってないだとかの日々が遠くなってって、遠くなっていく事を寂しいのかも知れないと思う事もなくなるはず。
多分それは今のわたしにとって、良いことなんだと思う。
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5/23
何度寝かを経てやっと起きた。
昨夜、ベッドに横になったあと、起きてる意識と眠りに入った意識の狭間ですごく怖い夢みたいなものを意識下で見て、スマホをお腹の上に乗せた体勢のまま動けなくなった。
お母さんのガワを被った化け物がベッド横に来て、天井を指差しながらわたしのほうに向かって、「上へ行け、上へ行け」と言い始めた。まるで死を想起させる仕草のようで、天井を指す指の爪は人間のものではないくらい長く、恐ろしかった。
絶対に今は目を開けてはいけないような気がして、目をかたく閉じてジッと動かないようにした。
1:46、お腹の上のスマホがブブッと鳴った。意識が戻り、その1分後にまたブブッと鳴ったタイミングで飛び起きた。どちらもXの通知だった。
起きれた事に心底ホッとした。そのままサウンドクラウドを聴きながら丸まって眠った。
昼過ぎ、地元の青森駅前に着いた。
駅前に着いてから、寂しい気持ちが膨らんでいった。親たちとまたしばらく会えない寂しさではなくて、この駅前にある生まれ育った実家には二度と入る事はないんだろうなとか、子供の頃にわたしを可愛がってくれていた人達がやっていたお店が商店街からどんどん無くなっていってることだとか、そういう寂しさで、
街を歩くといたる所にそれらがこびりついている事に気付いてしまった事への残念さだった。
何も思わず、もっと軽やかに地元を歩きたい。
もっと身軽に。
ここ数年はいつも、夜行バスに乗るまでの時間は前々職場で仲良くなったお友達が遊んでくれてたから気付かなかった。
そういえば、こういう寂しい気持ちから遠ざかりたくて東京に行ったんだった。
それもわたしが上京した理由の一つだったから、ちゃんと遠ざけられていたんだ、という風に捉えたい。逃げでもいい。
大好きだったから色々と置いて離れた。寂しく感じてた。変わっていくことが。さびれていく街も、昔可愛がってくれた人達が年をとっていったり居なくなったりすることも、もはや全部で、そんなものは当たり前だし、そういうものを経て大人として長い時間を生きていくのが普通なのに、忘れられないものも人も多過ぎる。
夜行バスに乗った。
早く東京に行きたい。でもまた、できたら雪が降る前にまたここに戻ってきたい。
その頃には少しでもわたしやわたしの環境が変わっているといいな。
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5/24
1:50 休憩所に着いた。夜行バスから降りたら月がまあるく明るくて綺麗だった。
バスに乗ってから、理由もなく涙が出てくるのでそのままぼうっとして、疲れてたら少し寝て、また起きてを繰り返して、気付いたら外が明るくなってた。
赤茶色の遮光カーテンの隙間からオレンジ色の光が少しだけ差し込んでくるのをページに集めて、読みかけの本を読んだ。
新宿駅に着いたら一気にホッとした。帰ってきた。
今日は病院に行く日。
すぐに家に帰るのがなんだか惜しくなって、新宿のマックに行って、そこで読みかけの本を読む事にした。
夜行バスに乗る前は半分ほどあったページが3分の2ほどまで進み、物語が佳境になっていたので、そこから3時間もマックでひたすらその本を読みふけってしまった。
7、8回ほど泣いた。人前の、しかもお店の中なのに。いい大人が本を両手に持ち、その本で顔を隠しながら洟を啜っていたのを思い返すと滑稽過ぎて、もし時間が戻るならやめたい行動だったけど、もうとにかくあの場所で読み切りたいという衝動だけに突き動かされたいい経験だった。
その本を読んでいた時に聴いてたスピッツのロビンソンが、あまりにその本の内容で驚いた。
ロビンソンに後押しされて「汝、星のごとく」が特別な一冊になった。
それからずっとロビンソンを聴いてる。
ロビンソンが暁海と櫂の歌になってく。
病院には間に合った。
家を発つ前はまだあまり咲いてなかったような記憶がぼんやりある立葵が立派に咲いてて、汗ばむくらいに暑く、戻ってきたら東京が急に夏に近付いてるような感覚になった。
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4/25
朝からなんとなく調子が悪いまま夜になり、朝方になってしまった。
明日の朝のライブには行けなさそうで悲しい。
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4/26
わたしの段取りが悪く、抜けていて、阿佐ヶ谷の駅で朝のライブに行く事を断念した。
元々朝、夕方、夜にそれぞれ用事を入れてしまっていたので、体調を考慮出来てなかったことを反省した。
髪の長い状態でうのちゃんに会うのは今日が最後だったので、せっかくだからと思って巻いてみた髪や選んだワンピースがちょっと切なく、久しぶりに自撮りをした。元々出来ないし難しかった。
スマホに一応入れている加工アプリは使い方がよく分からないから、自撮りする時はいつもなんかふんわりしたフィルターをかけてスタンプで顔を隠してる。あと何枚も撮る。
今日も何枚か撮ったけど全部の写真のわたしの目に元気が無かった。
自撮りくらい元気であってほしい。
チケットは、フォロワーさんが貰ってくれたおかげで無駄にならずに済んで、最初からライブを楽しんでもらえたようでそれは嬉しかった。
声を掛けてもらえて嬉しかった。
阿佐ヶ谷で時間を潰すためにパールセンター内のブックオフで本を買った。
それを駅前の広場だったり、ゴンチャだったりで読みながら次の予定まで時間を潰した。
外は少し風があり、ゴンチャでの読書がいちばん捗った。2年振りくらいに来た。アールグレイのミルクティーみたいなのを飲んだ。
そのまま移動、次の予定の美容院へ向かう。
長かった髪をバッサリ切ってもらった。
切られた毛束たちが長毛種の猫の毛みたいで写真を撮ろうとしたら担当さんが撮りやすいようにわたしの近くにモップでまとめてくれた。
毛。
このあとイベントに行くと話したら担当さんが髪の毛を巻いてくれた。
美容院を出てすぐ阿佐ヶ谷ロフトAへ向かった。
大喜利を観た。
去年の5月だからちょうど1年前にもここで同タイトルのイベントが行われて、その時は猫まみれ太郎さんのことを知ってまだ1か月も経たない頃だったため会場で接触するのはまだ心の準備が出来ず、家で配信で観ていた。
4時間ほどのイベントで、最初から最後までずっと笑ってた。鬱病と診断されてから、いや、その少し前から、こんなに笑ったことは多分なかったかと思うので、心の底からエンタメで長い時間笑ったのはかなり久しぶりだったしとても楽しい時間だった。
フィッシュアンドチップスが美味しかった。
来年もまたきっとここで開催されると思うから、また来年も観に来たい。
イベント終了後、物販待機時間中にハハノシキュウさんのファンのお姉さんと知り合いお喋りをしていて、「また1年後にここで会えたらいいですね」とやくそくをした。
いい1日だった。
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5/27
遅い時間に起きる。
新宿LOFTに向かおうと17時に家を出て、その10分後にお友達に電話をかけた。
先日、新宿LOFTかMARZか、池袋のブラックホールあたりで、直近で何か無料のライブがあったら遊びに行きたいなと調べていて、今日、新宿LOFTであるとのことで行こうとしたのだけど突然心変わりして、ロックカフェロフトのほうへ行こうと思い立った。お友達を即誘ったら即OKしてくれて、一緒に行ける事になった。
歌舞伎町に着き、初めて行くロックカフェロフトの場所を探してBLAZEのほうをウロウロしたけど見付からず、ちゃんとGoogleマップで調べたら西武新宿駅からとても近い場所にあった。
DJとトークを交えながらのイベントを観て、お友達にも会えて、楽しい時間だった。ロックカフェロフトの唐揚げは大きくてカリカリで美味しかった。
その後花園神社に行った。
昨日買った凪良ゆうの「わたしの美しい庭」というタイトルの本が、神社が物語の中心になっていて、表紙にも神社のイラストが描かれており、ロックカフェロフトのイベントまでの時間に本を読んでいた時に、ふと、せっかく新宿にいるのだから行こうとなった。
夜の神社なのに花園神社は怖い雰囲気がなく、風も凪いでいて穏やかな雰囲気。
来たのは今年は3回目で、今日は1回目と2回目とは違うねがいごとをした。
わたしの中で正しいと思ったことを願った。きっとこれが正しいのだとわたしの中で精算をして神様に誓った。
神様に誓ったらもう間違えたりしないと思う。
人の幸せを願うとき、自分の幸せを願うときよりももっと気持ちがこもる。
帰宅したら玄関に7cmくらいの土色のカエルが座ってた。郵便受けを見たら、くぴぽの通販が届いてて、うのちゃんからのお手紙も届いてた。
カエルの居る階段の横にわたしも座って、お手紙を読んだ。半分ほど読んで泣いてしまった。
泣いた拍子に膝に乗せてた封筒に涙が落ちてぬれてしまった。
なんだかわからないけれどもとてつもない愛を感じる。わたしが欲しかったものを、わたしの好きな人がくれる。
手紙に一緒に入ってたチェキのうのちゃんが微笑んでる。うのちゃんの笑顔は光で、わたしのことを照らしてくれる。
でもうのちゃんがもし笑うことが出来ないような日でも、笑ってないうのちゃんのことも好きだと思う。出来ればずっとずっとこの子が笑っていられる世界であればいいと思うけれど、笑ってても笑ってなくてもどこにいてもこれから先どれだけ時間が経ってもわたしはこの子のことが好き。
きっと伝えられてない気持ちの何倍も大きな愛を貰ってしまっている、
これから先の長い時間の中でわたしからもお返ししていきたい。
来週はずっと楽しみにしているイベントがある。その準備を進めていて、ずっとそわそわしてる。
大切な日なので大切に過ごしたいな。
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