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▶声優の研究生時代

見つけてくれてありがとう🎉新人脚本家のよなかまひるです。
(来て下さった方のホームにも後ほど見に行かせて頂きますね!)
そして、前回の自己紹介で声優志望だったとお話ししました。
詳しい話は前回から→

今回は、その人生の半分以上を費やした声優の研究生時代の事をお話ししたいと思います。

▶声優の研究生時代

実は私、声優養成所には3箇所通いました。ほぼ毎日アルバイトを掛け持ちして、なんとか貯めたお金で、高3の時に声優志望者なら誰もが知っているであろう大阪の日◯レの基礎科に通いました。(◯意味あるか?笑)
レッスンは、ボーカルと演技のクラスの週に2回です。年間60万円くらいだったかな?
今思えば、高校生でよくあの費用が払えたなって思うんですけど、養成所は初めて通ったっていうのもあって、何をやっても楽しかったです。基礎科時代はがむしゃらに頑張りました。
基礎科→本科→研修科→所属!
という具合に、日◯レは年度の終わりに進級審査兼所属オーディションがあり、そこで所属審査に合格すれば学年関係なく事務所に所属出来るというシステムです。
勿論、私は進級審査を受けました。
(本科は何クラスかな〜😆)
なんて呑気に考えながら、通学中の電車の中で審査結果の封筒を開けていた私。
しかし、結果は

基礎科留年


でした…。゚(゚´Д`゚)゚。
基礎科から本科にはよっぽどじゃないと落ちることはない。落ちるやつは声優の才能がないやつだ。
と、風の噂で聞いていたので、その直後に味わった絶望感は未だに忘れられません。

そして、日◯レを辞めることを決意して。季節は春になり、私は定時制4年になりました。
新しく映像系のワークショップを見つけ、高校を卒業するまで通いました。そこを選んだのは金銭的に通いやすかったのと、お芝居関係で何か学んでいたかったからです。

養成所では、滑舌の悪さを指摘されていたので、歯列矯正をする事を決めました。というのも、私は前歯の裏側にも歯が生えてるくらいに歯並びや咬み合わせが悪かったのです。
高校を卒業したら、東京で声優になる夢を諦めてなかったので、歯医者を東京で探して大阪から東京まで夜行バスで月1、2回程通いました。矯正費は約50万弱です。
矯正始めたては、すぐに歯が動く事もあり、毎週通う羽目になったりして交通費など出費が痛かったのですが、夜勤も始めたりして目標の為に頑張りました(矯正費用は分割で5年払いで何とか払いました😂)
4年生も終わり頃、そして、声優事務所Мの養成所試験を受けました。結果は補欠合学という辞退者が居ないと入学出来ないものでしたが、何とか入所の連絡を頂き無事に入所が決まりました!
(個人的にはこの事務所の養成所を蹴れる人達、落ちこぼれだった私にはめちゃ羨ましすぎでした😂)で、心を新たに上京して2回目の養成所生活!

通信の大学通いながら、夜勤で働いて。日中は養成所の週2〜3回レッスンに行って。個人でワークショップも受ける。
……という、超過密スケジュールな毎日だったのですが、またしても進級ならず……。結果1年で養成所生活はおわりました(そこの養成所は進級で出来なかったら、すぐ退所の決まりだったんです)

養成所時代はクラスで一番下手だと、講師に何度も言われました😭
台本ぼろぼろになるくらい書き込んだり、いっぱい本を読んだりワークショップに通っても、レッスン休みがちだったり、メモすら取っていない子よりも私は下の実力だったのが凄く悔しかったですね。毎日泣きながらレッスン受けていました。

М養成所退所後は、養成所に通わず個人レッスンに通いながら、どうするか考えていました。
その時は、年齢は21歳。女子のタイムリミットは23歳辺りだと聞いていたので、内心めちゃめちゃ焦っていました。
そして、その年の冬、レッスンの先生から勧められ、受けた3つ目の養成所。そこで合格を頂き、研究生になりました。

そこでの出来事は本当に辛くて辛くて💦
良くも悪くも、人生を変えるきっかけになりました。
そうです。声優志望から作家なるきっかけとなった時代のお話です笑
この話は長くなりそうなので次回にお話しいたします。

ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます!
今後も、少しでも読んで下さった方の魂の傷を癒やせるような記事を届けていきたいと思います!ぜひぜひ次回もよろしくお願いします✨️

次回
▶声優志望から作家になったきっかけ!

本日のイラスト






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