かかってこい、大人たち
大人は、理不尽で、傲慢で、偉そうで、忙しそうだ。
私が強かったら、すぐにその顔を殴ってやる。
そんな大人になりたくない。
頭のいい人なら、中学、小学生のころからそんなことを感じるだろう。遅刻したら反省文を書かされ、宿題を忘れたら怒鳴られる。服装や髪型にやたらうるさい。
対して大人は、授業に遅れてきてもへらへらする。資料を忘れたら職員室に取りに行く。ジャージの先生もいればスーツの先生もいる。
教科書を読めばわかることを何時間もかけて教わる。ただ歳を食っただけのような老人に。
その日の機嫌で態度を変える。
なんと理不尽なことか。
子どもに強制する大人は、理不尽で、傲慢で、偉そうだ。
そして、忙しそうだ。
何をそんなに急いでいるのか。私にはわからない。
慌ただしく、せわしなく、てんてこ舞いだ。
そうか。
大人たちもまた、理不尽と戦っているのだ。
大人たちは、そのさらに大人たちと戦っているのだ。
それは上司かもしれないし、親かもしれないし、社会、組織、国かもしれない。
世の中は理不尽の連続だ。
その理不尽に耐え続けなければならない。
これは訓練なのだ。学校で理不尽に耐える練習をしているのだ。
大人たちもまた、この訓練を受けてきたのだ。
受けて立とう。その理不尽。
署名活動、デモ、示威運動。
これらはその理不尽に抗う手段だ。
納得できない校則があれば生徒会長になるか、署名を集めて支持を得るほかない。権力もまた、理不尽に対抗できるカードの一つだ。
理不尽を甘受し、時に対抗する。
その繰り返しで強くなっていく。
大人は、理不尽で、傲慢で、偉そうだ。
かかってこい、大人たち。