りゅうちぇるのこと

コロナウイルスが流行り始めた2020年、日に日に増える感染者数を声高に読み上げ不安を煽るニュースばかりだった。それに嫌気が差して、ニュース番組を一切見なくなった。

それ以来、世間で何が起こっているか全くわからない状態になったわたしだったけれど、りゅうちぇるが離婚したとどこかで耳にした。ニュースを見ていないのに耳に届くくらい、衝撃的な知らせだった。わたしはすぐさまインスタグラムをチェックして、その報告を、そのまま受け止めた。新しい家族のカタチ。そういうことか。応援してるよと思った。熱烈にファンだったわけではないけれど、YouTubeに投稿されている動画を何度も見返して楽しませてもらっていたから、応援しない理由がなかった。"それ"が実現できたら、どれだけ素敵なことなんだろうと想像して、全然関係ないわたしも楽しみだった。

ニュースを見ないわたしだけれど、りゅうちぇるを批判する意見が多いことも知った。行き過ぎた批判が多く目についた。批判というより否定だった。息子のリンクくんが不幸だと可哀想がる、ありがた迷惑な大人で溢れかえった。ここでりゅうちぇるを応援していると言ったら、わたしまでアンチに叩かれるような、恐怖があった。それくらい大きな炎上だった。

信頼できる友達にも、りゅうちぇるのことを話せなかった。もし友達がりゅうちぇる否定派だったらと思うと、怖くて言い出せない。家族にだけはりゅうちぇるを応援していることを話したけど、弟と母親は否定的な意見だった。りゅうちぇるの生き方を、新しい家族のカタチを理解できない人も居るんだろうなと思ったし、むしろそっちの考え方の方が今は主流だから、否定的な意見があるのは仕方がないことだと思った。強要するものでもないし、それ以上何も言うことはなかった。ますます友達には言えなくなったし、SNSには絶対に書き込めなかった。否定派は各種SNSで、大きな声でりゅうちぇるを否定した。今思えばこのとき肯定派もたしかに存在していたけれど、自分の身を守るため、その話題をタブーとしていたんだと思う。

それから約1年が経って、りゅうちぇるが亡くなったと知った。自殺だと知った。悲しかった。大衆に殺されたんだと思ったから。

「心にぽっかり穴があく」って、こういうことかと思った。今も書いていて涙が出てくる。
りゅうちぇるは、新しい家族のカタチを実現できる、最先端でただ一人の人だった。何よりももう、何度も見返していたメイク動画が更新されることはないし、仲の良い友人とだべるだけの動画も、過去のものになった。


わたしが悲しんでいるのと同じように、それまでりゅうちぇるの話題をタブーとしていた肯定派が、「本当は大好きだった」と打ち明け始めた。あのときアンチが怖くて言い出せなかった。ごめんね。守ってあげられなくてごめんね。みんな言いたいことは同じだった。

するとアンチがまた騒ぎ立てた。「今まで何も言わなかったくせに、死んでから言うのかよ。嘘じゃねえの。」と。
「本当はりゅうちぇるのことが好きだったと今言うことで、死んだ人に便乗して自分がバズろうとしてるだけなんじゃないの。」と言い出す奴まで現れた。


お前らが怖くて言い出せなかったんだよ、お前らがりゅうちぇるを殺したんだ!リンクくんのことを勝手に不幸だと決めつけて騒ぎ立てて、今本当にそうなってしまって嬉しいか?望むとおりになって嬉しいか?喜べよ、りゅうちぇるが死んで嬉しいって言えよ!そう言えないなら、最初から生半可な気持ちで言葉を振りかざすな。一生懸命生きている人を、お遊び程度で踏みにじるな。
アンチに言いたいことはたくさんあった。

りゅうちぇるのことがあってから、大切な人には気持ちを伝えることに決めたという人を何人も見た。わたしには、そんな決意はできなかった。やっぱりSNSって嫌だなと思う気持ちのほうが強かったし、りゅうちぇる以外に「好き」と伝えたい芸能人が居ないことに気がついたからだ。

わたしって思ったよりりゅうちぇるのこと好きだったんだなと今更ながら思う。もう遅いかな。あのとき言い出せなくてごめんね。

ようやく世間が落ち着いて、りゅうちぇるの話題を聞くことがなくなった今だから、これを書けると思った。誰かに伝えなきゃと思った。わたしはりゅうちぇるを応援している。死んでしまったけれど、いつか日本でもいろんな家族のカタチが共存し得るかもしれない。りゅうちぇるの夢はまだ終わりじゃない、絶対。


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