第12夜 建築家と構造家の間の議論|TOPIC1 人類の経験をつくる構造(廣岡周平さん/PERSHIMONHILLS ARCHITECTS)
この記事は、よなよなzoom#12:構造家と建築家の間の議論(2020年11月13日)で、ディスカッションされたものを編集しています。
人類の経験をつくる構造(廣岡周平さん/PERSHIMONHILLS ARCHITECTS)
まずは僕がどのように構造に挑戦しているかを少し紹介できればなと思います。
これはお寺のダイナミックな構造を荒木美香さんと一緒に考えた建築です。
©︎PERSHIMONHILLS ARCHITECTS
こちらはいま住んでいる自邸です。昔からある建物なのでかなり補強が必要でした。そこで、構造計算には乗らないけども構造的に効果のあるルーバーを計画しました。ここでの挑戦は、建築基準法の考え方とは違う「弱い構造」であり、こう言った考え方も構造として重要なのではないかと考えています。
©︎PERSHIMONHILLS ARCHITECTS
もう一つご紹介したいのが、円酒さんと一緒にやっている僕の自宅のプロジェクトです。これも構造として派手なものではありません。がらんどうの空間を作る最低限の構造を考えてもらい、その後に僕が別のものを貼り付けていき構造を強化していくというストーリーを組んでいます。
©︎PERSHIMONHILLS ARCHITECTS
さて、ここからは今回議論したい構造に関する考え方をお話しします。
今回は、「建築を成り立たせる存在基盤」という概念についてお話しできればと思っています。
そもそも構造とは何なのかという問いには、「人の命を災害から守るもの」という、正当な答えが頭に浮かびます。しかしながら、この視点を追求していくと、構造設計には「コストパフォーマンスが高い設計」しか無くなってしまう気もしています。
内藤廣さんの素晴らしい言葉に、
「計算が要領よくできたり仕事を適当にさばけたりするのが本当のエンジニアではなく、工学的な境界線に立った時、予想外のことが起きた時に適切な判断ができるのが本当のエンジニアというものです。」
というものがあります。我々建築家は工学的な境界線に立つときが多いのですが、同時に、「どのような構造が創造的といえるか?」という問いを、人の命を守るという大前提に立った上でやっていかなければいけないと思っています。
その上で、以下の二つの構造の考え方があると思っています。
「こんな構造がありうるのか、という驚き」→脈々と続いている建築の系譜
「これを構造と呼ぶのか、という驚き」→2010年以降に顕著
上は、例えば寺院建築でスパンを飛ばしていくようなアクロバティックな、脈々と続いている建築の系譜だと思っていて、下は2010年以降に顕著になってきたものと考えています。
僕がいる後ろのルーバーを考えた時も、構造力学の構造計算上で言うと、計算としてはあった方がプラスにはなりますが、それを構造と呼ぶのか、というと疑問符がつきます。でも、最近、そんな構造に対する柔軟な解釈が、なんとなく増えてきた気がしているんです。
本日紹介していただく403architecture [dajiba]の3人の作品では、「これを構造と呼ぶのか」という感覚を幾度となく味わいました。それはもしかしたら、「人類の経験をつくる構造」と言い換えられるかもしれません。
色々と前振りをしましたが、今日は、「現在の構造設計と建築設計の境地は何を開拓できるか?」という部分にも触れてお話しできれば面白いなと思っています。
今、実は、構造家の方たちは過渡期にいるんじゃないかなと思っています。
それでは初めていきましょう!
その前に...、みなさん。乾杯!
では、円酒さんの方からプレゼンをお願いします。
編集:中井勇気、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)