第4夜 この建築家知ってんのか?海外建築家紹介| TOPIC3 Vilanova Artigas,brasil arquitetura,NITSCHE(大庭早子さん/大庭早子建築設計事務所)
この記事は、よなよなzoom#4「この建築家知ってんのか?海外建築家紹介(2020年5月14日開催)」でのプレゼン内容です。
簡単に自己紹介をさせてください。
生まれは佐賀県の武雄市です。山と川に囲まれた農家が多い地域で、建築といっても大きな建物はなく、民家や小屋しかありません。ただ、小屋にはその家の生業や家族の趣味などが現れるので、子供の頃から小屋を探検するのが大好きで、私の建築の原点だと思ってます。
©︎大庭早子建築設計事務所
©︎大庭早子建築設計事務所
高校生までは建築についてはよくわからず、でも、暮らしについての興味は大きかったので、日本女子大学の家政学部住居学科に進学し、そのあと、横浜国立大学の大学院(現 Y-GSA)に進学し、卒業後長谷川豪建築設計事務所に勤めました。「浅草の町家」や「経堂の住宅」を担当しました。そんな中、長谷川事務所でイワン・バーンさんに写真を撮ってもらった縁から「BRASILIA-CHANDIGARH」などの写真集や、Lina Bo Bardiの写真集を良く眺めていました。ブラジル建築の大らかな大空間と階高を抑えた空間が隣り合っていたり、回遊性や開放感があったりという
建築的興味と、上記の写真集でみていたブラジル人の生き生きとした暮らしへの興味から、身一つでブラジルに押し掛けました。
©︎大庭早子建築設計事務所
事前にサンパウロの設計事務所6社にポートフォリオを送り、返事のあった二つの事務所で働かせてもらうことができました。
最初は、「Nitsche Arquitetos」という40代くらいの三姉弟でやっている事務所です。その後、Lina Bo Bardiの後半の設計パートナーだったMarcelo FerrazがFrancisco Fanucciと共同主宰している「brasil arquitetura」という事務所に勤めました。
大庭早子さんの海外建築家紹介|Vilanova Artigas
今日は、その二つの事務所の紹介の前に、彼らサンパウロの建築家たちに建築を教えていたプロフェッサー・アーキテクトの「Vilanova Artigas」の紹介から始めたいと思います。
これは私が趣味で少しずつ書き加えているブラジル建築の年表です。
©︎大庭早子建築設計事務所
Vilanova Artigasは、1915年に生まれで、30代からはすでにサンパウロ大学で教育に携わっています。
写真はアルチガスが設計したサンパウロ大学建築都市学部棟(1961-68)の外観です。大きなキューブの塊が特徴的な柱で支えられています。内部で特徴的なのは全面トップライトとその下の大空間、そしてそれらをつなぐ幅の広いスロープです。図書館以外はドアで仕切られず外気に直接面しており、独特な内部空間を生み出しています。人々が思い思いに過ごせる居場所が至る所にあります。「建築教育の場は個室に入ってするものではなく、いたるところに学びの種がある。そして、いたるところで対話があるのが重要である。」というアルチガスの思想のもと、設計がなされています。
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
少々ナイーブな話ですが、このサンパウロ大学でのアルチガスによる建築教育は1961年からスタートした一方で、1964年からブラジル国内は軍事政権に移行します。ブラジルの建築家の多くが左翼的こともあり、このような民主的でおおらかな建築に挑戦していたアルチガスは、軍事政権の間、教育の場に立つ権利を剥奪されてしまいました。彼の作品自体も、色々な社会の影響を受けて建築の方向性が変わっていきます。
アルチガスは、大きな建物だけでなく、住宅も70軒くらいやっているんです。ここからは彼の住宅を紹介します。
これは軍事政権前(1949年)に完成した自邸で、内部空間と外部空間が連続した開放的な住宅です。
バタフライ型の屋根で低い方が寝室、真ん中が水回りコア、高い方にリビングとテラス、登って書斎があります。リビングは壁に囲われつつもハイサイドライトから光や緑が。
彼は奨学金をもらって1年間アメリカに留学していたそうで、フランクロイドライトの影響も受けています。
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
こちらは私が好きな住宅で、1967年にできた、大学教授の家です。軍事政権真っ只中なので、外観は閉鎖的で内側に開いた住宅になっています。基本的に文化人はみんな左翼的なので、そういった人たちがこっそり集まる場所でもありました。家の中央の明るい中庭は室内なのですが天井にスライド式のガラスの天窓があり、まるで外のようです。家の真ん中の奥が一番明るいという反転した構成をとっており、その周りにいろんな居場所や回遊性があります。
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
最後は、アルチガスがサンパウロの郊外に作ったバスターミナルです。これも柱が不思議な形をしていて、構造部分は力を支える部分なので暗くなりがちですが、建物の中で一番明るい花のような造形となっています。ものすごくかっこいいです。この建物にも幅の広いスロープがあり、斜めの視線や人の動きが見え隠れする、多様な空間体験ができる建築です。
Vilanova Artigas HP:http://vilanovaartigas.com/cronologia より引用
アルチガスは、住宅も公共建築も共に魅力的な建築家です。。ニーマイヤーがフランスでの亡命期間も含め国際的な活躍を見せたのとは対照的に、、アルチガスは軍事政権の影響もあり、ブラジル国内でのみ活躍した建築家です。私は、サンパウロに住んでアルチガスのことを知り、彼の建築を見て、どんどん好きになりました。ぜひ日本でも展覧会をして欲しいです。
大庭早子さんの海外建築家紹介|brasil arquitetura、Nitsche Arquitetos
ここからは私が在籍していた事務所の話をしますね。brasil arquiteturaは、素材や手仕事に対するリスペクトが強く、先に話したLina Bo Bardiの影響も色濃く、ヴァナキュラーなものとモダニズムは相反するものではなく共存できるものだ、という思想が根底にあります。
brasil arquitetura HP:http://brasilarquitetura.com/ より引用
brasil arquitetura HP:http://brasilarquitetura.com/ より引用
これはサンパウロのセントロという旧市街地で、浮浪者も多く、治安はあまりよくないエリアのプロジェクトです。右が古いサンパウロの中央郵便局です。旧市街地なので、昔は建物が密集していましたが、古い建物が取り壊され、歯抜け状に建物が建っていていたり、古くて放置された建物が浮浪者に占拠されてしまったりしていました。その歯抜け状の場所に、芸術や文化の拠点となる建物を挿入したプロジェクト「舞台芸術センター(2012)」です。
brasil arquitetura HP:http://brasilarquitetura.com/ より引用
既存の古い建物なのか新しい建物なのか、また、広場なのか建物なのかわからないくらい、アメーバ状に入り込んでいます。なんというかブラジル人の図太さはすごくて、あるものを上手に使っていくんです。Brasil Arquiteturaは、そんなブラジル人らしくその場にあるもので、活かせるものを適切に選択していく建築家です。彼らは建築だけでなく、木工部門の工房を持っているのも特徴です。地元の木を使い、職人さんと一緒に仕事をしています。ブラジルの原住民が使用していた家具をヒントに、デザインしているものあります
brasil arquitetura HP:http://brasilarquitetura.com/ より引用
もう一方の事務所「Nitche Arqitetos」は、若手建築事務所です。
Nitsche Arquitetos HP:http://www.nitsche.com.br/ より引用
ブラジルのサンパウロは、日差しは強いですが、湿度はなく日陰に入れは快適です。また、夏はスコールがあるので、屋根や軒の出は重要です。軍事政権が1980年くらいに終わっているので、40代の建築家は海外からの影響を大きく受けています。手塚夫妻の影響も大きいみたいですよ。どこか日本的ですよね。木造の場合、羽蟻がいるので杉のような柔らかい木は使えず、ユーカリなどの硬い材料を使う必要があるため、木造の方がRC造より施工費が高いです。
Nitsche Arquitetosは3姉弟で、一番下のジョアンはビジュアルデザインを専門としています。CADの図面表記がそのまま建築のサインに使われたり、建築とビジュアルデザインが一体的な提案が面白い事務所です。
Nitsche Arquitetos HP:http://www.nitsche.com.br/ より引用
これはオフィスです。周りに建っているのがNitsche Arquitetosがデザインした建築で、真ん中の建物は立ち退かなかった住宅だそうです。そこに1/1の詳細断面図を想像で書いて塀として住宅の外壁を囲っています。建築の要素を使ってこんなビジュアルデザインができるんだ、という衝撃を受けました。コラボレーションの成果ですよね。
Nitsche Arquitetos HP:http://www.nitsche.com.br/ より引用
次のオレンジ色のラインは、サンパウロの山並みを表現しているんですが、この黄色の一本一本はは、実はコンベックスでファサードをデザインしています。
Nitsche Arquitetos HP:http://www.nitsche.com.br/ より引用
廣岡:ものすごく面白いですね。いやぁ、世界は広いなぁ。
大庭:最近ブラジルでは、ゼネコン的というか、エンジニアが優先される生産システムが強いので、アトリエ事務所での仕事が難しい側面があります。建築を作ることが難しくなってきた状況のなか、職人側に行く人がいたり、ビジュアルデザインやアートに強く軸足をおくような人が出るなど、いろいろな若手建築家がいるのがブラジルの状況だと思います。
廣岡:最近、YGSAの大西スタジオで、パウロフフレイエという方の本を読んでいるのですが、ブラジルの方々は、自分たちのことを理解していくことを重要視していることがわかります。サンパウロの方々が自分の場所をどう作ろうとしているのか、よくわかりました。大庭さんとしては、このような建築を通して、どう自身の表現に反映しているのでしょうか?
大庭早子さんの作品紹介
©︎大庭早子建築設計事務所
大庭:すみません!すっかり自分のプロジェクトの話を忘れていました。笑。これは、Casa Sという作品です。敷地は、佐賀県武雄市で、川の支流脇で内水氾濫のによる浸水が起きるエリアで、施主は、60代で脊髄損傷し体に障害を持ってしまった男性一人暮らしの家です。
©︎大庭早子建築設計事務所
この住宅はアルチガスの真ん中に豊かな中庭があった作品の影響もあると思います。建物の真ん中に天井高さが高く明るいベッドルームを置き、その周りに生活を支えるような諸スペースが囲む構成になっています。朝起きて、季節や天気によって自分が動ける体調なのかを判断し、それによってその日の生活や行動範囲を選択できるような間取りとなっています。障害を持つことでこれまで積極的だった施主の生活の選択肢が狭まるのは嫌だなぁ、って思ったんです。住み慣れた場所で、体の障害の有無にかかわらず一人暮らしを望まれていたので、頼るところはヘルパーさんなどに頼りつつ、残りの人生をずっと楽しんでもらえるような住宅を計画しました。
©︎大庭早子建築設計事務所
良い案ができたな!というところでアンビルドになってしまったので、すごく残念でした。
©︎大庭早子建築設計事務所
もう一つのプロジェクトは、福岡の木工に強い街、大川という地域で職人と一緒に建具をの商品開発をするという3カ年プロジェクトです。
1年目はは、平面的な建具ではなく、建具を巻いて持ち運べないかな、という私の無謀なアイデアを実現していただきました。
©︎大庭早子建築設計事務所
2年目は、丸い建具を転がして、分解して厚みを持たせたりすることで自立し、間仕切りにも、家具や休憩スペースにもなる、という設計です。
©︎大庭早子建築設計事務所
3年目は、建具を空間の中央に置くことでプランニングが始まるようなものを目指しました。縦回転する建具で、重なり方の変化でで見え方や遮る/繋ぐという仕切り方という建具の様子と役割が変わって行くようなデザインです。
©︎大庭早子建築設計事務所
©︎大庭早子建築設計事務所
日本の超一流の建具職人さんに私のわがままに付き合ってもらい、試行錯誤を繰り返し、3つも実現してもらいました。どれも試作品までで終わってしまったので、買い手が見つかるのを待っています。
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編集:佐藤布武/名城大学建築学科助教
校正:大庭早子