第13夜 街の景観と建築| TOPIC3 建物の空間と人の営みがリンクする風景(藤木俊大さん、佐屋 香織さん/PEAK STUDIO)
この記事は、よなよなzoom#13:街の景観と建築(2020年11月21日)でディスカッションされたものを編集しています。
建物の空間と人の営みがリンクする風景(藤木俊大さん、佐屋 香織さん/PEAK STUDIO)
@PEAKSTUDIO
こんばんは。写真一番右の佐屋です。神奈川県の鎌倉出身で日本女子大学、日本女子大学大学院に進み、山本理顕さんの事務所に勤めたのちに独立しました。
私は鎌倉で育っていたのですが、電車に乗らなければお金をおろせないほどの不便なところに住んでいました。電車に乗れば都内にいける距離ではあるものの、かなりの田舎での生活というのが、私の原風景になっています。
藤木です。僕の生まれは福岡県の大牟田市という炭鉱の街で、その後東北大学に入って、小野田泰明研で大学院まで進み、山本理顕さんの事務所に入りました。その時の同期が佐屋と佐治です。辞めたタイミングは皆バラバラなんですがその3人でPEAKSTUDIOをやっています。
僕の地元は大牟田市というところです。人口の増減によりある時期に栄え、その後衰退した街です。爆発的な開発と高齢化が進み、結果として、ボロボロのビルがいっぱいある状態があまり好きではありませんでした。僕が風景として最初に意識したものは、東北大学に入った理由の一つでもあるのですが、仙台の欅の並木道かなと感じています。
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PEAKSTUDIOは川崎に事務所がありますが、パーシモンヒルズさんの川崎と少し違って、多摩川に沿っている川崎の真ん中あたりにあり、緑が多く、川を渡れば世田谷区というような地域です。武蔵小杉と武蔵溝の口という駅の間の武蔵新城という駅が最寄り駅です。鉄道が通って20年ぐらいたった武蔵新城ですが、現在は全体的に同じような住宅地が広がっていて、駅の南側には商店街があります。武蔵新城は駅の南と北で性格が違っています。南はアーケードがついている商店街が何本もあり、お祭りも活発に開催されるなど人がたくさん出てくる昼間人口もかなり多いまちです。一方で北側は南側ほど賑わっていません。事務所はその北側にあります。
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武蔵新城に引っ越してきて5年経っているんですが、色々なことに関わってきました。武蔵新城は面白い活動をしている人が集まっている恵まれたまちだと感じています。
これは、僕の好きな絵本「旅の絵本」です。
旅人が街の入り口から入っていき、色々なところを通過してから町を去るという様子が、文字が一切なく描かれています。風景や景観を考えた時に、このようなひとの活動が溢れていて、建物や空間とリンクしている姿がいいなあと思っています。おそらく、こうしたひとの活動が場所を作っていったであろうし、場所がひとの活動を引き出していったのであろうし、このような双方向の関係性が美しいなあと思っています。
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お題目の「風景と景観」について、PEAKSTUDIOなりに考えてみました。我々は、風景というのは刹那的であったり、人の営みや記憶に左右されるものという印象を持っていて、景観は世代を超えるとか長いスパン立ち続けていたりと人の営みを超えるものではないかと考えました。
刹那的に変わっていく先程の絵本の風景や人の営みですが、それらさまざまな風景の重なりを受け入れるような建築側の骨格、フレームを作ることで振る舞いが長く続いていけるのではないかと思いました。
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そのフレームが強い骨として残ることで最終的に景観に変わっていくアプローチになるのではないかと。風景か景観かの二択ではなく、風景が長い時間をかけて景観になっていくのではないかと考えています。風景とは人や物など、瞬間的で主観的な感情が常態化していくことで目に見えるものになり、共通の心象風景になっていくのではないかと思っています。
山本理顕事務所の時から一貫して、建物の空間と人の営みがリンクして生じる風景を作りたいと思っています。
人の活動がそこにあり街に開かれる/飯塚の住宅
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炭鉱の街である福岡県の飯塚市、その中の郊外の、交通量の多い国道に面した敷地です。周辺の敷地に対して、人の活動がそこにあり、それが街に開かれていくような住宅を目指し、骨格を考えました。交通量の多い道路側には騒音に対して塀のように長いボリュームを作り、東側には水田などの開けた緩やかな風景に対して生活の場を作りました。
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施主の家族が大切にしていた食事の場であるダイニングやキッチンをボリュームとして飛び出させ、ハイサイドから漏れる光により人が暮らしている様子を道路側にも見せていけることはできないかと考えました。
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また、「ここにどんなものが建つことができるか」という、街の中の建築としての検討も重ねました。炭鉱の町だったこともあり、街の中には煉瓦造りの巻き上げ機の基礎があります。他にも、長崎街道にある宿場町には醤油醸造の蔵の煙突があったり、神社や石炭を捨てた御田山があったりします。このように、当時は新しかったものが風化して街のシンボルになっているのが色々な場所で見られます。この住宅も、建ち方と素材を工夫することで、風化と変化により、シンボルのようなものにならないかと考えました。
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鉄骨と木の混構造ですが、X方向、Y方向で鉄骨、木造の構造を直行させるように使い分けることで、長軸方向に耐力壁を出していません。また、可動の家具により内部空間をライフスタイルに合わせてフレキシブルに使えるようにもしています。
人の活動と空間が一体化し連続する/南三陸町庁舎
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細長く平たい一階とコンパクトにまとまった2、3階という構成の町庁舎です。
コンペが始まった頃には高台移転の方針が決まっていた南三陸町ですが、この敷地周辺は、周辺に人が集まる場所や公園すらないという状況でした。そこで、専門性の高い諸機能をコンパクトにまとめた2、3階と、ふらっと立ち寄れる平たくて長い1階で構成し、町の人が触れ合える交流しやすい場所を目指しました。人口も少なく、人の集まる場所が家以外にない状況だったので、建物を道路側に集め、人の活動が表に出てくるつくりにしました。
また、被災地には、色々な自治体から職員が応援でやってきます。なので、庁舎ができた最初の頃は職員数が多いのですが、時間が経つにつれ使われない部屋が増えていく、という危険性も孕んでいます。我々が設計した細長い一階では、応援職員が元の自治体に帰ったあとは、執務スペースを削り、市民の場を広げていけるのではないかと考えました。
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南三陸町の杉をコンクリートの型枠やルーバーに使ったり、窓口にあるパネルやカウンターに使ったりしています。3方向に開口を持つマチドマは屋内広場として計画しており、梁に沿って可動パネルにより仕切ることで利用者が色々な使い方ができます。更に、ハイサイドにより室内にいながら外と同じような環境を得られる建築となっています。
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また、南三陸では昔、食べ物などをお供えできない貧しい時に、漁師さんの安全を祈願し和紙を鯛の形に切ってお供えしていた「切り子」という文化があります。今も町の人たちが大切にしている「切り子」をパネルに貼り展示しています。
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この建築を通して、人の場所や活動と空間が一体化して連続する作りを考えました。
見える保育園/港南台のほいくえん
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この建築では、保育室から職員が働いているスペースが見え、地域交流スペースがあり、そのさきに道路が見える構成になっています。
保育士さんや起業される方と話していく中で、保育士という仕事の認識に対しての尊厳を維持する必要を感じました。また、囲み閉じることではなく、地域の人に受け入れられることで、子供たちの安全を持てる効果もあります。地域の人が入ってくることで、子供と地域、お互いにとっていい関係を持てるのではないかと考えました。
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4階建ての共同住宅の1階のテナントで、間口に対して奥行きが2倍ぐらいある場所です。法規の関係からワンルームにして縁側採光をとりつつ、地域の人が入って来れる場所や子供たちが何かを感じられるような中間的な場所を設けました。上の住宅から落ちてくる柱を利用してフレームをつくり、フレームに大きい空間から小さい空間へとグラデーションをつけ流ことで、ゆるく場所を作りました。
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道路から見える場所が交流スペースです。間接的でも中が見えていくことで、地域に対して保育園の認知度を上げていく、また、活動していく保育士さんの士気を上げていけることができないかと考えました。
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実際作ってみると、地域交流スペースでは人をたくさん呼び込むイベントまでは至っていないですが、仕事をしているとおじいさんが話しかけてくれたり、小学生が遊びに来てくれたりしていると聞いています。
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地域交流スペースを大きくとって、都市と子どものいるスペースの中間的な場所となって、フレームを潜ると子どものスケールに落とし込む形になっています。
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子どもが遊んでいるそばで先生や保護者の方が話したり打ち合わせをしている様子が見える関係になっています。フレームをいくつか超えて奥に進むと、静かなスペースとなり直接配膳を楽しんだりできるようになっています
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これは、有名な保育士さんを招いたイベントのときの様子です。地域の方も集まった開かれたイベントとなりました。
小さな活動と居場所の集まりが町の景観となる/第六南荘
最後に事務所の話をします。
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2016年に大家さんに「ここなら自由に使っていいよ」と、築50年ぐらいの建物の1階を借りて事務所をスタートさせました。空室が多く、住んでいる人もかなり高齢化していることあり、解体までの5年の定借、2021年解体予定で借りました。
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玄関から入って水回りを通るアクセスではなく、街に対して道路側の一番いいところからアクセスさせたいと思いました。ゆかりのなかったこの街で自分たちを知ってもらおうと、塀や手すりをとり、階段をつけることで顔を作り、地域に溶け込んでいこうとしました。
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塀を撤去すると、地域の人が見に来てくれたり、通りすがりに「何屋さんですか」と声をかけてもらえたりしました。そうこうしている内に、隣の隣の部屋をテナントとして借りたいと言う人が現れ、テナントが増えていきました。
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花を植えたりデッキを増やしたところ、デッキは近所の小学生が座るなど人が集まる場になってきました。コロナ期間は小学生がお弁当を食べたり遊んだりしていましたね。もともと塀や手すりで区切られていた境界に対して、厚みをもつ境界やヘリの部分をデザインすることで、人がよりつく場所が生まれました。
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そうこうしているうちに、近所の人や隣のテナント発信でマルシェが開催されたり、使われていなかった1号室をレンタルスペースとしてオーナーが整えたりしたことで、いろんな人が関係してくる状況が発生しました。我々も、設計者自らデッキでお茶をするようにしたりもしました。
@PEAKSTUDIO
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裏側の物干しスペースだったところを整えたら、整備した花壇に地域の人が里芋を植えたり、お茶のカフェが始まったり、僕たちが鍋をしたりと、様々な使われるようにもなりました。
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2016年に建て替え案を提案したのですが、提案した1階に小さいお店が入り、子どもの居場所やおじいちゃんおばあちゃんが来やすい環境が現状で成立しているので、提案はある種実現しているとも捉えられます。地域にとっていい場所ができていることもあり、もう当初解体予定の2021年なのですが、建て替えがもう5年延びました。
(以下、ディスカッション)
廣岡:一番初めの景観と風景の整理にとても共感しています。構成や骨格が風景から景観にかわると言うことが、まさに最後の作品で実現していると感じました。もしかしたら建て替えないまま行くのではないかなと思いました。
また、ピークスタジオとしてのマッチョな構造とは別の、まず初めにこんな風景があったら良いというものがあるのが面白かったです。南三陸町庁舎では、プロポーザルで描かれた骨格とは別の、キリコで作られた扉に対する装飾などがささやかで刹那的で、それでいて骨格となりうると感じました。最後の武蔵新城のものでは、自分たちの小さな活動からささやかな構造が増え、それが街の中の構成として定着して景観になっていると感じました。南三陸町庁舎では大きな骨格がまず初めだと思っていましたが、小さな活動があったのだなあと今日初めて理解できました。
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編集:山田侑希、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)
文字校正:藤木俊大