第2夜 地方楽しんでる建築家 全体ディスカッション

この記事は、よなよなzoom#2 「地方楽しんでる建築家(2020年4月11日)」でのプレゼン内容です。

こんばんは。今回は「地方楽しんでる建築家(2020年4月11日)」です。
今日はゲストに以下の3組の方々をお招きして、地方での活動がどのようなものかお聞きしたいと思います。佐々木さんは、僕が以前勤めていたSUEP.という事務所の先輩で、小野さんはY-GSAの同級生でした。湯谷さんとはほとんど面識が無いのですが、SNSの活動を拝見していて、すごく面白そうな活動をされているなと思っていました。今日初めてお話が聞けるので、とても楽しみです。

佐々木翔さん(INTERMEDIA) http://www.intermedia-co.jp
小野良輔さん(小野良輔建築設計事務所)https://orarchitecture.studio/works/
湯谷紘介さん、湯谷麻衣さん(湯谷建築設計) https://yutaniarchitects.com

TOPIC1|Between Figure and Ground 図と地の間(佐々木翔さん/INTERMEDIA)

TOPIC2|「奄美らしさ」を追求する(小野良輔さん/小野良輔建築設計事務所)

TOPIC3|伊勢の循環を感じながら造る(湯谷紘介さん、湯谷麻衣さん/湯谷建築設計)


(以下、それぞれのレクチャーを受けた全体ディスカッション)

廣岡|三者三様というか、地方と一括りにされがちですが、農村があったり海があったりそれぞれ異なります。僕は佐賀に2年くらい住んでいたことがあったのですが、その後、仕事で岩手や大分など色々なところに行く機会もあり、場所によって全く違う文化があると感じています。コンテクスト自体も独特なんですが、皆さんがどういう大学で学んで、どういうコンテクストを拾って設計しているのか、といった読み解き方もそれぞれオリジナリティがあってすごく面白かったです。

さて、ここからはフリーでお話ししようと思います。僕の場合、関東圏でお仕事をしていると、どうしても厳しい条件の中でパズルみたいに組み立てていくこともあります。そのパズルを組み立てている中で「こうだ!」と思えることもあるのですが、皆さんのお話を聞いて、もっと大きなコンテクストや文化について考える重要性も学びました。

佐々木さんと湯谷さんは自分の生まれ育った場所で活動していますよね。そのコンテクストを見出す感覚は身体化されているのでしょうか?それとも学校で習ったり、事務所など別の場所で修行したりして、「今までは全然感じていなかったけど、こんなことがあったな。」と思われる部分もあるのでしょうか。

佐々木|僕は大学生や社会人になって一旦地元を離れたときに、改めて地元を客観的に見られる時間がありました。それが再発見する良い機会でした。地元にずっといたら気づかないことが結構あったかもしれないです。

でも伊勢や奄美に比べると、島原のコンテクストって濃いようで薄いです。例えば伊勢だと杉材がありますが、島原ってどこにでも建ちそうなサイディングの壁が多いです。昔のトタンの波板が多くあった時代はまだ農村的でいいと思うんですけど、今は良くも悪くも強い特徴が無い印象もあります。だから設計段階で拾える具象的なものがあまりないんです。

これは島原の歴史の短さが関係していると思うんですよ。天草次郎が起こした島原の乱が400年くらい前で、キリスト教信者約4万人が亡くなりました。その処刑のために、幕府が島原城などを建設したんです。でも400年って長いようで短いです。

だから具象的なコンテクストを拾うより、もう少し抽象的なものを拾わなければいけなくなります。それが地形です。
また、田舎には建物を造るときに、必然性が見つからない土地に遭遇することが多くあります。例えば広すぎてどこに建てたらいいだとか。そんな手掛かりがあまりにもないとき、島原・長崎にとって地形は抽象的でありながらも特徴的なものになります。
大きな地形だけでなく、微地形にも腰掛けられるとか、些細な特徴があるような気がします。

このような僕の抽象的に話を掘り下げる感覚は、おそらく地元を離れて得たものですね。九州芸術工科大学では具象的なことを抜きにしてスタディをする文化があるので、その影響を受けています。あと、末光さん(SUEP.)の事務所時代も抽象論が多かったので、そういうところからきているのではないかと思います。

湯谷紘|僕は長崎の地形が羨ましいと思いましたよ。ないものねだりかもしれませんが(笑)。
佐々木|お互いにそうなのかもしれないですね(笑)。

湯谷紘|伊勢にもサイディングで造られた家が建っていて、実際は杉を選択する理由が少ないです。三重の南部に豊富な木材の文化があることを知らずに人々はサイディングを選択していますが、それは日本全国どこでも同じようなことが起きていると思っています。
一方で、実際に杉を使った家も残っています。伊勢には頑張っている製材屋さんや、林業に携わる人がいて、彼らの顔が見える関係を作れていることは僕にとってモチベーションになっています。

あと、スイスにも木造はあるのですが、地盤が固いからコンクリート造を選択することが多いんです。
それを踏まえると、日本では木造が一番理にかなっているんじゃないかと思います。特に伊勢は地盤が緩いところが多いですし。今のところ僕はコンクリートと鉄骨の建物をやったことがないです。もしかしたらやらずに一生を終えるんじゃないかと思うくらい、木材以外の選択肢が僕にはないですね。お施主さんからの強い要望が無い限りは、金額のことも考えて地元の木で造ると思います。

僕としては、大壁を採用していても「中の木材は地元のものを使っているんですよ。」とさらっと言えるのが理想です。今のところ真壁の住宅が自分にとってハードルが高くて、もっと色んなマナーなどを勉強しないと踏み出せない気がしています。だから今は地元の構法を使いつつ、大壁でも新しい空間を生み出せたらいいなと思っています。将来、地元のものを絶対に使うんだという意識をみんなで統一できるようになったらいいですよね。

廣岡|コンテクストの捉え方が、ぱっと見える具象的なものだけではなくて、大きい循環で感じ取られているのが面白かったです。
僕は今、岩手で物件をやっているのですが、木材が盛んな地域だと木材について生産者さんが情感たっぷりにお話されるじゃないですか。あれは現地に行かないと分からないことだなって、自分で初めて当事者意識を持てた出来事だったので、すごく納得しました。

プレゼン中の、「杉は裏表がない素材」という捉え方が、僕にとって新しい発見でした。杉は製材されているものだから、フローリングになると表裏があります。それが構造材などある厚みを持った瞬間に、表裏がなくなるとかっていうことを感じていらっしゃるのかなと思いました。それがコンクリートの場合、固いところに型枠を使ってフリーなものを建てますよね。このような形式と、そこに対する材料とか循環のギャップをすごく考えられているんだなと思いました。

小野|奄美の場合、木材は現地で採れたものではなくて、鹿児島県産材っていう扱いになるんですけど、それが地元で採れたものですってなったとき、大工さんの木に対する知識も変わってくるのかなと感じています。
例えば数寄屋大工とか宮大工とかそういう出身の大工さんは色んな木を知っていて、木目が多い木であれば、カンナをかけるスピードが変わるとか、そういう話が出てきたりすると思うんですけど、そういうのによって設計が影響を受けたりしたことはありますか。

湯谷紘|今のところそこまではありませんね。使う材料が特殊材ではなくて、製材所が既成品として販売しているものを選択するようにしています。
あと伊勢の場合宮大工さんは、普通の大工さんは住む世界が全然違うんです。宮大工は神宮に雇われている人たちで、地場の工務店の人たちが、「あれだけ時間をかければ良い物できるよね。」と話しているのを聞いたことがあります(笑)。

少し話が逸れますが、奄美の建物で、軒裏が張られずに垂木がむき出しになっていたと思うのですが、あれって飛んでしまうからなんですか。伊勢の観点で言うと、雨を防御するにも、垂木を隠すために軒下を張ることが多いので気になりました。

小野|今造られているものは、張られているものが多いですが、昔のものは何をしても飛ぶんですよね(笑)。飛んだら直すっていう方が近いのかな。ただ経済的に苦しんでいたというのもあって、最小限の部材で造られたものがよくあります。

廣岡|小野さんの今日のプレゼンを通して、客観的に奄美の物事を捉えている印象を持ちました。自分としてはかなり中に入っているつもりでも、客観的に捉えてしまいがちになるのでしょうか。

小野|僕はむしろ意識的に客観的になっています。島生まれ・島育ちの建築やっている人と話をしても、意外と気づいていないことが多いです。僕はそう言った背景がありませんので、ゼロからです。この年でゼロからスタートすると、その土地の歴史など体系立てて勉強しないといけないじゃないですか。そういうところに面白さを感じています。

客観視できないことが地続きの風景を殺してしまっているのかなとすら感じています。例えば、「ちょっとずつ変わっていくこと」が起きないのって閉じたものを見ているからで、外を見てきた人が全く違うものを持ってきて「面白いね、真似しよう。」となってしまうと、切断が生まれてしまうのかと。
新しいものをどんどん取り入れていける時代になっているからこそ、外で作られているサイディングの家が良い物という風潮もあるのではないでしょうか。

あと、奄美にはハウスメーカーが無いからか、建築家っていう呼び名がほぼ使われなくて、設計士と呼ばれます。それもあってか、建築家に設計を依頼するモチベーションとのギャップをすごく感じています。例えば、ラワンで仕上げるよりクロス張りが良いとか、杉板よりサイディングがいいと言うお施主さんに対して、異を唱えるのも違うなと思ってしまうシーンが結構多いです。

廣岡|そうは言いつつ、3組とも平面図自体を抽象的に捉えていますよね。地域のことを考えているけれど、形式のことをすごく大事にされています。建築的思考で行き当たりばったりつくるのではなくて、空間性を統合するように、もしかしたら素材の前にプランがあるのではと思ったんですけど、皆さんプランと素材の検討はどういう順序でされますか。

小野|場合によるんですけど、素材が最初にくることはあまりないです。
「奄美の往倉」では、1階の小さなプランから作ったのが始まりです。そもそもあまりお金をかけずに小さいものを造りたい、という要望だったので、2階のボリュームを絞っていました。1人ないし子供と2人で住める場所で、あとは小屋裏に2,3人入れたらいいかなという想定でした。

廣岡|そうなんですね。形を見ているとそうは見えませんでした。

小野|でもその後、お施主さんが大人数呼びたいという要望がありました。そこからドライブして2階を広くしましたが、1階のボリュームは変えませんでした。基本的にはお施主さんの要望と、コンテクストとが組み合わせられるか、という考え方が多いと思います。

例えば、今やっている別の住宅だと、海の目の前だから1本も柱を落とさずにリビングから海を見たいという要望がありました。しかし、木造だともたないので1階をRCにして、それほど大きくない2階を木造にしました。このプランから吸い上げて構成しています。吸い上げて造ったものをどうコンテクストとすり合わせて編集をかけるか、というところを重要視しています。

廣岡|佐々木さんはいかがですか。

佐々木|僕も素材よりもプランニングというか、構造体から入る傾向にあります。僕は少し大きめの公共施設のプロジェクトもやることがあり、例えば県立の図書館だと、収蔵庫としての機能を守るために台風や雨水をしっかり防ぐRC造を選びました。また、単純にコストの理由で木造を選ばざるを得ないこともあります。
構造体から主要なマテリアルが決まって、それを表すのか隠すのかを考える中で、その場所特有の素材がないか探します。基本的には構造体→プランニング→素材という順番ですね。ですから、素材とコストの関係がかなり強いです。そこに地域性を盛り込めたらいいなとは思っていますが。

小野|奄美の中でも色々な土地性があるので、その中でコンテクストを1番に持ってこられるプロジェクトとそうじゃないものはあるなと感じています。今日お話を聞いた中で、佐々木さんは地形や段差というところから始まり、そこで説明しきれるようなダイアグラムが背後にあるような気がしました。どこかしら自分の中で共通するものがあるのでしょうか。

佐々木|地形に接するところってよっぽどの理由が無い限りコンクリートで受けます。基礎の立ち上がりが大きいということもありますけど、その上で全部コンクリートにするのか、2階を木造や鉄骨にするのか、みたいな選択は多いですね。

あと、僕と小野さんで意外なところで共通していて、構造家がほぼ一緒ですよね。僕はその方にほぼ依頼しているので、その方の思想や姿勢、「柱を落とさない方が合理的だから鉄骨でいこう。」みたいな感覚も大きいと思います。

小野|それはあるかもしれないですね。

湯谷紘|僕も素材よりまずプランを考えていますね。お施主さんからの要望やキャラクター、あとは長期的にどうか、という視点で。
僕が建築家だった父親から受け継いだ仕事はほとんどなくて、受け継いだものといえば面倒なメンテナンスくらいです。ウッドデッキが雨で腐っている現場に向かった経験を何度もしました。ですから雨仕舞とかも含め、どうやったら長期的にもつか、ということを考える癖がつきました。その点も気を付けながら素材選定をしています。
ただ、お2人のプレゼンを聞いていて、コンテクストや情報の拾い方にびっくりしました。僕たちはそういったものが無くて、土地と風景だとか周囲のちょっとしたことにしか興味がないんです。プラン自体はどこにでも置けるようなもので、見える風景や風土から外装とか装備されていくものが決まっていきます。

小野|雨仕舞の話でいうと、プランを考える時にどの解像度で考えるかが重要だと思います。奄美だと西日や台風があるので、プランの時点で危ないかどうかはなんとなく分かります。そこで無意識に素材を考えているのかもしれないです。実はプランから考えているようでも、バックグラウンドに素材の思考がどこかにある気がします。

廣岡|佐々木さんと小野さんに関していうと、プランがシンプルにまとまっていくように思ったのですが、湯谷さんのプランは何度見ても不思議です。「玉城の家2」で大きなカーブでボックスがずれて、最終的に屋根ではフラットになるのはすごいなと思いました。
僕たちはプランニングをするときすごく大きな話をするけれど、微細な部分でシンプルさを優先するのは、もしかしたら経済的な理由やシンプルに見せようという気持ちが強すぎるからかもしれないと思いました。
今の小さい風景のお話もありましたが、大きいカーブによって奥が見通せないっていうのは、周囲の風景と連動している気がします。どこまで対象にしているのかは、プランだけを抜き出されているから僕たちには読み切れないんですが、逆にプランを見ただけでその周囲を想像させるのが面白いです。実際にはどの解像度でやられているのかとても気になります。

湯谷麻|屋根を決めたのは周りの集落と呼応するためだったので、平面から出てきた形状ではないんです。平面は平面として考え、それを覆う屋根をかけた、という感じです。

湯谷紘|複雑なプランには複雑な屋根をかけがちですが、それは雨仕舞の関係からもやりたくないです。絶対にどこからか雨が漏れてきますから。そう考えると、1枚の屋根をかけて統合させることは、複雑性をまとめていると思います。

佐々木|確かに立面からは全く複雑に見えないですね。平面の複雑さとのギャップがあります。

廣岡|佐々木さんのお話からも、長崎は地形が複雑だから平面自体が地形のコンタラインを拾った結果複雑になることがあると思います。しかし、湯谷さんたちが設計されている三重は、比較的平地が多いですが、人が住むところは砂浜に近く、勾配がほとんどない場所だと思います。奄美もどちらかというと海際の平たい土地で建てていますが、シンプルにしていく側(小野さん)とシンプルにしていかない側(湯谷さん)っていう違いが面白いです。

情報の拾い方と抽象度の度合いが興味深くて、立面は周囲に合っているんだけれど、中に入ると豊潤っていうのは内部の関係性、人同士の関係性で決めているだけではなさそうだなとも。
一方で、小野さんが複雑じゃないのかといえば、細かいルールがあるんですけど、外形はシンプルにする志向が働いているように感じました。お2組がどういう案の育て方をしたのか気になります。

小野|シンプルにしよう、というのはコストの問題が1番にあります。
店舗の案件では、結局どれだけ手順を減らすかということが重要でした。依頼から4か月でオープンするために、解体、下地工事、仕上げ工事を全てやろうとすると、どうしても間に合わなかったので、なるべく職人さんたちが干渉せずに同時に工事を進められるように工夫しました。さらに、いじるところを減らすために、矩形を極力生かす形を選択しました。
住宅に関しても、なるべく小さくする思考からシンプルな構成になりました。一方で、今やっている物件だと2階が込み入っているので、ケースバイケースなのかなと思います。
でもシンプルにすると表面積が小さくなるので、台風にも強くなります。自分自身、強風に対する恐怖心があるので、自分で住みたくない家は提案しないようにしています。

湯谷紘|僕たちはお施主さん「要望シート」というものをお願いして、必要な所室などを細かく書いてもらっています。これがコンテクストみたいになって、リビングやダイニングなど諸室に名前が付いてきて、それに付随した家具が置かれる感じでしょうか。でもそうするとありきたりな住宅になってしまう危険性もあります。だから、名前を付けにくいような場所、「名前のない空間」を作っています。こちらが想定していない使い方ができる余白をプラスするようにしています。

小野|プレゼンの最初の方で伊勢神宮のタイポロジーを出してもらって、プランにも重なる部分が感じられました。住宅の雁行も、意識的に伊勢神宮から持ってきているのかなと感じました。室同士の関係性をフラットにみて統合しているのか、住宅の中で奥みたいなものを設定しているのか聞いてみたいです。

湯谷紘|奥のことはよく考えています。神宮では神様の位によって巡る順番が違うと言われていて、それによって動線も変化します。住宅でも玉城の家では、パブリックの玄関から1番遠いところにプライベートな浴室を設計しています。雁行配置で壁や天井高さが変化しながら奥へ進む構成は無意識の中でしていると思います。

廣岡|なるほど。普段僕たちが触れられない、試行していないコンテクストなので、面白い話だと思います。ほとんどの仏教の寺はまっすぐ入っていくので、敷地も狭いのになぜそんなことをしているんだろうと不思議に思っていました。歴史的に伊勢周辺の多くの人たちが色んなことを試して、それが重なって生まれたコンテクストを、直感的にも合理的にも捉えているところが面白いです。

湯谷紘|神宮って、とても合理的に考えられているんです。例えば、神宮の茅葺屋根は、伝統的な手法では木の板の上に茅を葺いています。しかし、その都度当時の文献を見返して、その時々に合った構法で建てている事実があり、今回の遷宮では板と藁の間に銅板を葺いています。それは、解体して再利用するときに、水を含んだ藁によって、木が腐ることを防ぐためだそうです。少しずつ更新していることが、神宮の良さの1つだと思います。

廣岡|循環しているんだけど、その循環の中でより良くなるための選択をしているのが面白いです。横軸に回転する時間と縦軸に延びていく時間の2つが上手く重なっているんですね。

佐々木さんの島原は普賢岳の印象が強いじゃないですか。いつ噴火するかも分からない彼等との付き合い方は、まちの中にあるような気がします。
あと、コンテクストが弱いというお話をされていた時に気になっていたのが、佐々木さんは木の梁を使って切妻の屋根を使われることが多いと思っているので、カステラ工場の外形に至ったのはジャンプアップしたなと思いました。
普段切妻屋根は、周辺の家形との調和で選ばれているのか、それとも噴火という大きなコンテクストが関わっているのですか。桜島のように灰が落ちるなど生活に影響があると思うのですが、どのような観点をお持ちなのかお聞きしたいです。

佐々木|最後の雲仙の噴火が1990年位に起こっていて、その前に起こったのが1790年代なので島原に住んでいる人たちにとって200年に1度起こるという認識です。だから自分が生きている間に噴火することは恐らくないんだろうな、と思いながら生活しています。その上で、今飲んでいる水も湧水場から汲んだ水も、雲仙の恵みだということは認識しています。また、農業、漁業、畜産も山があって海があってこその営みだということも感覚で理解しています。
フラットな屋根を選択しない理由として、たしかに火山灰のこともありますが、単純に勾配がゼロなことを暴力的に感じているのが要因だと思います。例えば、商業施設がキューブ的にあることは、建ち方として大事なときには必要なのは理解していますが、陸屋根とかパラペットの在り方自体が機能を度外視しているとも感じています。単純に屋根が斜めにかかっていた方が雨風を受け流して合理的だと感じるんです。あと、緩い勾配にすることで、中に入ったときに空間の大きさのギャップが生まれることを考えています。

湯谷紘|プレゼンで斜面地について説明されていたときの、上から海の方向に向かっての写真では、ほとんど切妻で海に向かって流れていませんでしたか。

佐々木|長崎市内はほとんどが山で、次第に棚田になっていって住宅化した歴史があります。だから家が地形なりに建っていてグリッドが無いんです。基本的には妻入りの住宅が多くて結果的に地形に馴染むような屋根の方向になっていることが多いですね。もしかしたら水の流れも関係しているのかもしれないです。

廣岡|今日の皆さんのお話は、僕からみると新鮮なものばかりでした。自分自身もそうですが、場所が離れるとなかなか活動が知られないじゃないですか。SNSだけではつながっていても、建築系のメディアに情報がないと活動が見えてこない部分もあります。このテーマを今後も続けて、色々な方のお話を聞いてみたいと思いました。
もう2時間半も経ってしまいましたね。今日はそろそろ終わりにしたいと思います。
皆さん遅くまでありがとうございました!

編集:伊藤萌、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)

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