第2夜 地方楽しんでる建築家 TOPIC3|伊勢の循環を感じながら造る(湯谷紘介さん、湯谷麻衣さん/湯谷建築設計)
この記事は、よなよなzoom#2 「地方楽しんでる建築家(2020年4月11日)」でのプレゼン内容です。
我々は伊勢で湯谷建築設計という名前で、夫婦でやっています。僕が元々伊勢出身なので、結婚して彼女がこっちに来てくれて、2人でやっている状況です。伊勢市駅が目の前に見えるところでして、毎日電車を見ながら仕事しています。
©︎湯谷建築設計
僕は福岡生まれの伊勢育ち、彼女は福岡生まれのつくば育ちで、僕たちは福岡の大学で出会いました。学部を卒業後、僕はスイスの大学院に行き、彼女は4年くらいフィンランドで家具と木質材料二について学びました。彼女の両親が家具販売をやっていて、仕事の関係でフィンランドとも取引していたこともあり、そこで彼女は木質材料工学で修士の学位をとりました。
僕は大学院卒業後、現地で1年半働いて帰ってきました。父が伊勢の設計事務所で店舗や住宅を造っていたのでそこで働いたのですが、実務経験が無かった僕は「習うより慣れろ」といった感じで実践をコツコツと重ねていました。2013年からはYUTANI DESIGNとして活動を始め、2019年から湯谷建築設計と名称を変更しました。
スイスでのこと(2007-2009)
さて、ここからは留学時代のお話を少ししますね。
スイスとフィンランドは2381kmあって、意外と遠いんですね。彼女に会いに行くのに5時間くらいかかるという感じでした。日本列島で言うと北海道から鹿児島を縦断するくらいの距離です。
さて、スイスは人口854万人で、そのうち外国人が25.1%で移民が多い国です。文化圏は4つあり、大きさは九州と同じくらいです。26の州と約2352のゲマインデ(地方自治体)があり、小さい集落の集合体がスイスという国です。言語はドイツ語圏が65%くらいで次いでフランス語圏、イタリア語圏と近隣国の言語が多いです。ロマンシュ語圏というのはスイスの地方で独自に使われた言語で、公用語として守られていく必要がある言語とされています。
僕が住んでいたところはグラウビュンデンという一番大きな州でした。当時、その州に設計事務所は120くらいありました。人口は33000人なので、ものすごい数の設計事務所ですね。スイスの建築家で有名な人たちはグラウビュンデン出身の人が多くいます。
©︎湯谷建築設計
この写真は6年前に再びスイスに行ったときに撮った僕のボス、ラファエル・ズーバーと撮ったものです。彼はヴァレリオ・オルジアティの一番弟子の一人で、当時オルジアティの考え方に興味を持っていた僕は彼の門戸を叩いた訳です。実に沢山のことを教えてもらいました。
そういった修行時代をへて、いま興味のあることは「いかに循環して物事をつくるか、物事を選択するか」ということです。
地域資源や社会、人の考え方は循環しています。一方で、自分たちの人生は一直線で、矛盾する社会とは成り立ちが違います。社会の循環をいかに感じながら、ものの選択をできないかということをすごく意識していながら、設計活動に勤しんでいるといった感じです。
日本での設計活動
2009年秋に日本に帰国して地元の伊勢に帰ってきました。伊勢で創作活動するうえで、バックグラウンドとして効いていると思うことが2つあります。それは、極めて理にかなった形態の伊勢町屋というものと、動線美の伊勢神宮別宮です。
・なぜ伊勢町屋が理にかなった形態なのか(make sense)
©︎湯谷建築設計
これは設計資料集成にも出てくる資料です。奄美ほどではないですが、伊勢も風が強く「雨が下から降る」という表現をするくらい風が雨を巻き込んで軒裏にかかってくることがあります。それを防御するために「張り出し南張り囲い」や「軒雁木板」というものが造られました。これは全て杉板が使われているのですが、杉の鎧に住宅が囲まれているとも言えるわけです。
なぜ杉板が使われているかというと、三重県は林業が盛んな地域で、檜と杉がおなじくらい生えているからです。特に南部の尾鷲や熊野では沢山生えていて、壊れたり火事で焼けたりしても、南から供給量が沢山あるから随時更新していけるということで、「刻み囲い」が採用されています。地域の風土や文化がよく現れた形態だと思います。
・伊勢神宮の別宮の動線美について
これは僕の実家の近くにあるのですが、今我々が住んでいる境界と神域をどう区分けをするかがよく考えられていると思っています。この月夜見宮は伊勢市駅のすぐ近くで人間社会の中にポツンとあるのですが、その中で神域へと入っていく行為の神聖さ、切替えが表現されています。また、月讀宮のようにくねくね曲がって神域へ導き方もあります。
©︎湯谷建築設計
©︎湯谷建築設計
「みえ木造塾」というものの運営委員も担当しています。林業や製材の人、設計者、工務店の人など、多くの木造に関わる人が集まる環境で、色んなことを教えてもらっています。工務店さんに「この木はここからきてあの人が入れてくれる」ということを教えてもらったり、顔の見える仕事ができるようになりました。
ジャミセ/JAMISE
©︎湯谷建築設計
©︎湯谷建築設計
これは、僕が最初に設計したカフェです。いつも設計では「境界をどのように分けるのか」ということを考えています。ここでは、外部とお客さんと調理する側の3つの空間が、どのように溶けて交わっていくかということを考えていました。円弧のカーブや、5度傾けたカウンターがあることで、狭い所・広い所ができるようになります。
めし勇/Meshiyu
続いて、先ほどのカフェを見て、半年後くらいに同じ通り沿いの商店街でお願いしてくれた精肉店です。もともとは動線が整理されておらず、おじさんがコロッケをわざわざ前の冷凍庫に取りに行っていました。
©︎湯谷建築設計
こちらも杉を使っているのですが、このお店は地元の人たちが沢山買いに来てくれるところだったので、格式を上げずに庶民的な感じを伝えたく、檜より杉を多用しています。
©︎湯谷建築設計
©︎湯谷建築設計
答志島ブルーフィールド/Toshijima Blue Field
これは僕の今までのプロジェクトで唯一模型をつくらなかったプロジェクトです。一級建築士を取得した年の8月に話が来て、10月に竣工しています。すごい年でした(笑)。
©︎湯谷建築設計
敷地は鳥羽市の答志島という離島にあり、島の北部でこの島の中で1番過酷な環境にあるのが答志島ブルーフィールドです。
この仕事が来たのは、僕の高校のサッカー部の先輩が鳥羽商工会議所で働いていて、「こういう面白いことをやるんだけど、やってくれないか。」というお誘いを頂いたことが始まりでした。
答志島は太陽信仰と関係があると言われている島だったので、敷地に対して真東に三角形の一点を向けて太陽を見られるような場所を提案しました。床の高さを1m上げて、いつもの海の景色が変わって見えるようにしています。上がった先に壁が立っていて、座ると壁に囲われて海だけに集中できるようになっています。これはできた当初の写真です。今は経年+塗装の塗り重ねでグレーになっています。
もともとここは土地を返さないといけなかったので、最初は半年で壊す予定だったのですが、すごく気に入ってもらえて、ずっと置いておきたいと言ってもらっています。
安濃の家/House in Ano
これは2016年から始まった安濃の家です。敷地の裏側が史跡指定されていて、今後ほぼ間違いなく家が建たないという借景が取れる敷地でした。
©︎湯谷建築設計
床面積は100㎡くらいです。道路側に窓は設けていなく、トップライトがあります。ダイニングでは、奥のすごくきれいな借景を取り込みました。土間リビング以外で生活は完結しますが、土間リビングを設けることと、真ん中のウッドデッキと繋げることで床面積以上の広い効果を与えたり、東西南北4面に対し窓を開けて特別な部屋を生み出す設計としました。
©︎湯谷建築設計
これがダイニングから史跡指定とウッドデッキが見えているところです。段々になっていることで徐々に室内に入っていくような感じです。杉板の外壁にしているのですが、もともとお施主さんが造園をやっている方でウッドデッキも自分で作れる技術がある。外壁に何かあった時も彼自身で直すことができるだろうということと、経年変化を感じられる家にしたいという要望があったので杉の外壁を採用しています。
©︎湯谷建築設計
玉城の家2/House in Tamaki 2
2019年10月にできた玉城の家2について話します。
©︎湯谷建築設計
ご両親が右側の家に引っ越して、若夫婦が真ん中の母屋に住むという予定で、「母屋にこの家の仏壇だけは置きたい」という要望を受けました。この要望を受け、和室の左側のコの字の部分、南側のリビングダイニングに向くように設けました。
©︎湯谷建築設計
なぜ今回カーブする壁を入れているかというと、東側にご両親世帯の家があるのですが、ここに嫁いでくる奥さんからするとご両親とは初めて一緒に住むわけです。ご両親たちとの関係と自分たちのプライバシーを完全に切り離さずにしたいだろうと思ったのと、また、緩やかにつなぐには大きなカーブとそれにプラスして南側で地域の人たちがふらっとやってきて腰かけて話したりもするのでその緩衝地帯にもなるような場所が、カーブの前の空間にできています。玄関から奥に行くに従い、空間の広いや狭い、高い低いを使いわけながらパブリックからプライベートへと繋いでいます。
©︎湯谷建築設計
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編集:伊藤萌、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)