第9夜 TOPIC 3|そこにある技術と動的な場(市川竜吾/市川竜吾建築事務所・東京都立大学)
今日は建築家同士のプレゼンということで、私の話は、お互いに影響し合う斥力が働く内容になればと思い、用意をしてきました。
私は設計事務所をしながら都立大学で研究者として活動しています。都市と建築の分野で、フィールドワーク・リサーチ・デザインの3つの領域を行き来しながら、設計と研究を行っています。
東京藝術大学の助手時代に「House M:乾久美子建築設計事務所+東京藝術大学乾久美子研究室+市川竜吾」の設計で、都市空間の一部分にどう住むのか、ということを考え始めてから、ずっと建築と都市の関係を考えて続けています。
さて、今日は、研究側から設計を見た3つのプロジェクトを紹介します。
私は、都市の様々なものの中にある「技術」に目を向けながら活動しています。ものが存在するということの背景には、人の関与や自然の現象があると思っています。それらを「技術」として見つけ出すことで「場所」がもう一度新しくつくり直せるのではないか、という仮説を持っています。
杉の子通りプロジェクト|日野市程久保地区のまちづくりと空き家改修による集会所計画
日野市程久保地区は、丘の上に立地し、半径150mくらいを自治会圏としている地域です。2015年頃から東京都立大学の饗庭研究室がワークショップを重ねており、世代間交流の乏しさ、急な坂道、空き家・空き部屋の発生、歩行空間の魅力の必要性、共有スペースの欠如などの住民ニーズが抽出されています。饗庭研究室がマスタープランを作成した後、身近な通りから街を元気にするようなプロジェクトへと発展していきました。この街では、各世帯の活動が敷地の奥や2階で行われているという課題があったので、それらを道沿いに誘導できないかという目標のもと活動が展開されていきます。
ワークショップを重ねる中で、老朽化がすすむ木造アパートを壊して、地域の人が管理する、防災や移動販売の拠点となるような広場にするプロジェクトが始まりました。この後から私も参加することになります。この広場は、人々の持ち寄りによって構成されているのですが、最も印象的だったのは砂利です。
©市川竜吾
この地域には、昼間、地域を掃除したり見回っている定年退職後の男性がいらっしゃいました。ある時、お金がないけど広場の舗装をどうしようとなったとき、この男性が日々アスファルト道路の掃除をしていて、出てくる砂利を少しづつ溜めて広場一面に敷き詰めたんです。その瞬間の彼はヒーローですよね。以降、広場の管理やプロジェクトを進める中心メンバーになっています。
この経験は「自分たちの日々の生活の積み重ねで、場をつくることができる」と参加者たちが気づいた瞬間だったように思います。プロジェクト開始当初から集会所の必要性が議論されてきましたが、この広場が大きな契機となり、隣接する空き家のオーナーを説得して、集会所にするプロジェクトも具体化していきました。集会所の計画に際しても、地域にどんな技術があるのかを探る、様々な社会実験を繰り返しました。社会実験を続けるうちに、当初はそこまで協力的ではなかった周辺住民が、空いているガレージを自発的に貸してくれるなどの変化が起きたのが印象的でした。
©市川竜吾
集会所は、道路を挟みながら小さな庭と道向かいのガレージを一体的に使える計画としました。社会実験を繰り返すうちに、平日半分お母さんたちの寄り合いで使ったり、2週間に1回のコーヒー提供などの具体的な要望も出てきました。これらを許容しながら外部に開いていくような改修計画としています。コロナでプロジェクトは停滞していますが、今後、地域の人と学生が協力しながら施工を進めていく予定です。
©市川竜吾
はじまりの広場|大船渡市綾里地区のまちづくりと、震災復興コミュニティ広場計画
大船渡市の綾里という地域が対象です。この地域では、明治・昭和の津波後の復興で形成された高台の住宅地があったため、多くの住宅が残る地域です。ちょうどはじまりの広場の西側にある住宅群が過去の移転地です。一方で、津波被害を受けた低地には広大な荒地が広がっています。そこに市が取得した2400㎡の土地を広場にするプロジェクトでした。
まずは、広場をつくることにどういう意味があるのかを住民と探りました。街の人と我々外部の人が一緒に歩くまち歩きなどのワークショップを重ね、綾里がどう成長するかの全体像を作成し、その上で、綾里の一部分として広場をどう位置付けるのかを考えました。
©市川竜吾
ここからは、広場の具体的な話です。一周120メートルのランニングコースが様々な機能や要素をつなぎとめていくという構成になっています。いろいろな平面計画を検討したのですが、なるべく図的には弱いものになることを目指し、周辺低地に心地よく草原が広がり、街とどう強く繋がっていくかということに注力しています。
©市川竜吾
「ジル・クレマン:動いている庭」「今福龍太:ヘンリー・ソロー野生の学舎」などを参照し、動的な秩序によってできる庭を実現できないか、と考えました。その具体的な例として、植生計画があります。この地域では、草原や畑を荒らす野生の鹿対策としてフェンスが造られるのですが、我々の計画では、鹿が介入して草取りの手間が省けるシステムを作れないのかというようなことを試行錯誤しました。
では、このときに私が建築家として果たした役割はどこかというと、一つは、地面の断面設計です。地域植生と鹿の介入の実験結果も取り入れつつ、フェンスがない境界をどう曖昧に実現できるかを考えました。生物の動きや荷重条件などを考慮し、広場が草原として心地よく広がっていくようにデザインしています。建築の設計の職能を生かしながら、自分の技術を提供して広場の設計をした事例となります。
©市川竜吾
上海のフィールドワーク|人が生きているということの発見と、居方から見えてくる”場”の原型
最後は、リサーチから入り、街の中でどういった建築を作ることができるかと考えた上海のフィールドワークを紹介します。たまたま宿泊したホテルがあった老街がとても面白かったのが始まりです。老街は、唐の時代に米や綿花などの商業の場所としてできた古い街で、今は、いわゆるスラム化してしまっている地域です。中国は土地の所有が国で、個々人は使用権だけ借りて使うという状況があるのですが、その影響か、他人の建物の上に隣の建物が乗ることや、道端にものが飛び出す風景がよく見られます。日光にあたって過ごしたり話す姿や、道路空間と私有空間が曖昧な様子など、街が、ある厚みを持って様々に使われていることが面白いと感じました。
©市川竜吾
こちらは、三人が路上のリヤカーで共に語らう場を作っているシーンなのですが、ある時、このような人の「居方」というものが私たちの建築の「場の原型」であると気づいたんです。中国では、スラムの中で生じてしまう不都合をどうにかクリアしようと工夫している姿が見られますが、そんな人の欲求が直接的に「居方」となって現れている姿に強い興味を抱きました。
©市川竜吾
いくつか紹介しますね。例えば、街を歩いていると、通りにキッチンが突き出ている風景が見られます。この要因を考えると、インフラの未整備という不都合があげられます。キッチンを出すことで排水を道路排水口に出せることや室内で火を使う危険性を回避できるというような合理性が内包されている訳です。
©市川竜吾
もっと奥に入った混沌とした住宅の密集した狭い道では、道が、庭の風景となっているような姿が見られます。小さな路地では、車と車に挟まれたスペースと洗濯物の木陰が人の居場所を作っているようにも読み解けます。小さな操作ではありますが、そういったところに「場の原型」が見えるような気がします。
©市川竜吾
私たちの生活と比較してみると、いかにして都市や建築は、こうした日々の生活の瑞々しさと豊かな居心地を排除してしまったのかという、思考回路と空間構造を見て取ることもできました。
この最後のリサーチは、前二つのプロジェクトの時期と重なっているのもあり、振り返ると、リサーチで見つけたものが設計に転用されているような部分が多分にあります。アジアでのフィールドワークは、元来、建築に求められている場の原型を、再発見・再認識するものとして大きな可能性があると思っています。
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能作淳平さんのレクチャーに続く
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編集:中井勇気、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)