第7夜|自らも作る建築家 全体ディスカッション
よなよなzoom第7夜(2020年6月20日)。今回は、「自らも作る建築家」です。
僕も施工をちょっとだけしているのですが、他の人がどのような施工をしているのか、それが設計とどう関係があるのか、といったことを話せればと思います。
それでは、個々のプレゼンテーションに入っていきましょう!
TOPIC1|自らの手で作ることによる発見(廣岡周平さん/PERSHIMMON HILLS architects)
TOPIC2|マイナスから建築を考える(吉永規夫さん/ofea)
TOPIC3|多様な視点でデザインする(伊東鷹介さん/スタジオキノコ)
TOPIC4|多国籍のコラボレーションで建築を考える (佐藤直樹さん/如是アトリエ)
(以下、それぞれのレクチャーを受けた全体ディスカッション)
廣岡|お話を伺うと、佐藤さんと伊東さんは真逆だと感じました。伊東さんはスタンドアローな感じな印象がありますが、佐藤さんはチームワークを大切にしていて、その点は吉永さんも似ていますね。
伊東|結局は施工者の方がいての私達ですし、設計者といいつつも、あくまで第三者的に皆と関わる調整役みたいなところがあるじゃないですか。活動自体はインディペンデントでありつつもプロジェクト全体はチーム感があります。活動の在り方は同じですが、チーム感に違いがありますね。自分が作るからと言って職人さんとのつながりがないかといえばそうではなくて、むしろ職人さんたちと1人ひとりいる中で、全体に生かされていないスキルは沢山ありますよね。それを知ると、自分の計画がまた違う方向に一歩走り出すので、それを知りたくて作り方を学ぶうちに、自分でものを作り始める、という流れなのかもしれないです。決して自分だけでできると思っているのではなくて、あくまで設計のスタディの手法の1つとして施工をしています。
廣岡|現場で「これできるんだ」という発見をすることはたしかにありますね。現場を経験することで見え方が広がる瞬間、みたいなものもあるのでしょうか。同時に、自分の手で作ると、他の人にどう伝えるのかを考えるようになり、それがある種の「ふるまい」みたいなものに派生していく感覚があります。共有されていく存在というか。
伊東|「ふるまい」を「習慣」と置き換えるとしっくりきます。僕はもともと保存修復の研究室だったので、ふるまいの再読、みたいなものに興味があるのかもしれません。同時に、作ることの確かさもあって、作ることとふるまいを考えることを横断するのが重要な気がしています。
伊東|昨年、高山建築学校のサマーセミナーに参加したのですが、ものづくりについて真剣に考える、良い時間でした。
廣岡|ふるまいを考えると、どうしてもチームワークになります。吉永さんは本当にふるまいの人だと思います。吉永さんは施工をするということに対してどうお考えでしょうか。
吉永|自分で作るということはすごく否定が難しい側面があります。自分でやるとその場しのぎの場所がどうしても出てきます。「壁紙も自分で貼るとよくなる」とドットアーキテクツの家成さんも仰っていましたが、良いところでもあるし悪いところでもあるので、全てを受け入れないようにするのも大切な気がしています。
廣岡|西沢さんが自分でスケッチを書かなくなった、という話を利いたことがあります。自分の手を経たスケッチは愛してしまうから、スタッフの書いたスケッチにコメントをするスタイルになったと言います。反対に、学生時代インターンで行っていた伊東豊雄さんの事務所では「伊東さんにスケッチを書かせたら負けだ」とスタッフは話していました。でも、同時に、そうするとバナキュラー的なものと乖離していくというような思いもあります。農村部にいくとおばあさんが畝を作ったりする姿があり、そこには暮らしの必然性があって、それにも魅力を感じてしまいます。建築家にとって必要なのは、その両義性を判断するのに、一度立ち止まってそれがいいのかを考えることだと思います。
今日の話に出てきた施工と設計を横断したり、作ることと許すことを考えることなど、視点を横断することが重要なんだと感じました。他者的な視点を挿入することで、街や都市に視点が向かっていきます。
伊東|ノスタルジーを排除して設計者としていいものを探求するのが重要です。いいことをしているといい建築だ、と評価することもあると危機感を持っています。
廣岡|今日の話を聞いて、作ることがただ甘えているわけではないのだということを理解したと同時に、建築家として大切なスタンスだと痛感しました。設計者と施工者という関係を超えて言い合えることは本当に大事ですね。
(編集:佐藤布武、伊藤萌/名城大学3年)