第7夜・自らも作る建築家 TOPIC3|多様な視点でデザインする(伊東鷹介さん/スタジオキノコ)

長屋を軸にお話しいただいた吉永さんとは対照的に、僕は自分の活動に軸を作りすぎないようにしています。コンセプトを決めずに、自身の活動や考えがわかりやすいものにならないように気を付けています。
今日のテーマ「自らもつくる」に関してです。これは皆さんも一緒だと思うのですが、自分でつくる動機の一つに、やはり、コストの問題はあります。しかし続けるうちにそれ以外にも色々と見えてくる部分もありました。
お金がない中で何かやろうとすると、自分ができる範囲で創意工夫を重ねることになります。デザインを繰り返すうちに、「意外とこれでいけるね。」と言っていただけるお施主さんに出会うこともありました。
自分たちで施工するということは、竣工後も自分たちで作ったところをメンテナンスし続けられるということでもあり、それはつまり、改修の可能性が残るということだと思います。竣工したところで完成ではなく、「次はこうしよう」という変化のきっかけをもたせたまま、建築が出来上がることが面白いと思っています。

躯体に手をかけずともできるデザイン
こちらは、ファッションブランドの路面店で、運送会社の倉庫だったビルの1階を改修しました。

画像1©スタジオキノコ / https://studiokinoko.tumblr.com/より引用

このプロジェクトは、場所を育てながら店を作りたいので、継続的に関わる形で設計してほしい、という依頼でした。設計契約というより、通年でコンサルタント契約のような形で、ブランドにとってどんな場所が必要か一緒に考える、というようなお誘いでした。とても魅力的である一方で、予算が厳しいものでした。結果解体から完成まで僕1人で施工しています。

画像2©スタジオキノコ / https://studiokinoko.tumblr.com/より引用

外装は、一番外側についていたシャッターを残したまま、内側のサッシを全て撤去しました。そこに新たにポリカーボネートのツインカーボを2枚張りにして、引き戸のようなものを作りました。建具をつくる際に必要な枠の処理といったお金のかかる工事を、ネジで留めたツインカーボをカーテンレールで釣り、開口部には軸もとにフランス落としをつけて、あとはワイヤーにテンションを張るだけ、とパズルみたいに組み立てるだけで建築をつくる試みをしています。

画像3©スタジオキノコ / https://studiokinoko.tumblr.com/より引用

内部は、ブランドロゴが載った段ボールを壁として使っています。ショップとして最低限要求される什器とストックと間仕切りを、段ボールを積むことで代用できないか考えて編み出したアイデアです。
段ボールは解体可能なので、シーズンごとに変わる商品の量や配置に対応できます。

建築をつくることはとても大変です。建築本体には手を入れず、家具的・什器的なもので環境はもっと変わるんじゃないかと思い、試行錯誤したプロジェクトでした。
僕は、様々な方とコラボレーションしてデザイン活動をしています。単独でつくるものや、建築家の方と合同でつくるもの、施工店に依頼するものなど、活動のバリエーションや設計の前提条件をバラバラにしたいとも考えています。

画像7写真:長谷川健太 設計DDAA/プロジェクトチーム(DaisukeMotogi+SumidaKazuya+YousukeItoh)

個人的には、自分でつくることと、依頼されてつくることの違いはあまりないと考えている一方で、プロがつくるものは仕上がりや精度は高いですし、何より補償がつくなど、仕事として正当性があります。
自分でつくるために考えたディテールを、施工者に施工してもらうなど、設計者(誰かに作ってもらうこと)と施工者(自分で作ってみること)の両方の立場を行ったり来たりできることは、僕にとって重要なやり取りだと思っています。

画像5写真:長谷川健太 設計:DDAA プロジェクトチーム(DaisukeMotogi+YousukeItoh)

例えばこの作品は、自分で作ったというレベルでもないのですが、買ってきた垂木の束を一斗缶の上に置いて、ベンチとしたものです。当初は仮設の予定だったもののクライアントから常設で使いたいという話があったので、僕の方から一斗缶と垂木を固定して運べるようにしたらどうか、家具っぽくした方がいいのではないか、という提案をしてみたんです。すると、クライアントから、「そのままだからこそいいんだよ」という返答がきました。ある意味、僕たちが意図することをクライアントが的確に理解していたことに面白みを感じた瞬間でした。作り方を共有することが、プロジェクトに関わる人とのデザインに対する理解につながり、ワークショップ的な相乗効果があるのだと実感しています。

デザインに関する思考方法

ここからは、僕がデザインを通して考えてきたことを、いくつかのキーワードに沿ってお話ししますね。
・デザインとは「工夫したものをつくること」なのではないか
以前、建築家の元木大輔さんと、「デザイン」に対する明確な日本語訳が無いことについて話したことがあるのですが、僕は「工夫をしたものをつくること」ではないかと考えています。街中で植木鉢の代わりにキッチンボウルを使う人がいるように、実は色々なところで工夫があって、それをデザインと呼ぶのではないかと思います。

・インテリアと建築の二項対立
インテリアと建築は、しばしば対立構造的に語られることがあります。インテリアは表皮の問題、建築は全体を統括する問題として話がされる傾向にあると思うのですが、僕は、「自分でつくる」という行為においては、家具をつくることと、壁を貼ることにさほど違いはないんじゃないか、とも思います。プロジェクトの中では、建築を考えているつもりが、家具のことを考えていた、なんてこともありました。

・作り方を「縛る」ことから生まれるデザイン
一般的には、設計をする際コンセプトを決めると思うのですが、僕の場合は「これをしない」という縛りを設定する「縛りプレイ」と呼ぶ手法を採用しています。

画像6写真:長谷川健太 設計DDAA/プロジェクトチーム(DaisukeMotogi+SumidaKazuya+YousukeItoh)


例えば、あるプロジェクトでは湿式工法を使わず、完全乾式でつくるという縛りを設けました。すると、ディテールはボルトで留めたり、組み立てたりしてできるものに限られます。大げさに言うと、全体を塗り込んで統一された世界感の建築をつくるのではなく、1つ1つのパーツが乾いたまま組み立てられ、ディテールそのものが建築全体を逆照射する。そうしてできた空間は縛りを設けずに作った空間とは全く違うところに到達します。

佐藤:構法の意味での縛りということですか?

そうですね。でも、ディテールだけでなく、設計や素材でもいいと思います。自分の意識を強制的に変換させるきっかけとして極端な設定を設けることで、作り方から考えてみる、という方法です。
実はこの「湿式禁止」の縛りは7年間くらい続けていて、つい最近溶接を解禁したところです。そうしたら途端につくるものが変わって、自分でもとても面白がりながらプロジェクトにあたっています。

モダニズムを乗り越えよう
なぜこんなことをするのか、という疑問をもたれる方もいるかもしれません。僕は、現代で主流となっている「1つのコンセプトによる一貫性をもたせた空間の作り方」を、未だ続くモダニズムの残滓だと捉えています。僕自身、時代的要請から実務ではインテリアの仕事を請け負うことが多くなってきています。建築そのものをつくることより、要所要所でできることを探す時代になっているということは、モダニズムベースではない設計方法を考える必要があるのではないかとも思うんです。
1つの空間を1つのルール(コンセプト)で作らない設計を検討する手段として、「縛り」というガイドラインを設けて、空間を整えることを目指しています。

計画性とアドリブ

画像7©スタジオキノコ / https://studiokinoko.tumblr.com/より引用

このプロジェクトは三軒茶屋にあるブルーボトルコーヒーオープンに際して開催した展覧会のために製作した什器です。オープンの3日前に、その時点で現場にあるものを使って什器を作ってほしい、という依頼を受けました。そこで僕は現場にあった無印良品のスチールラックのブレースに針葉樹合板を差し込んだだけの什器を30分ほどで作りました。これはアドリブだからこそできるデザインですが、計画しすぎないからこその楽しさだと思います。
建築家は計画性が必要な職業だと言われますが、アドリブ的につくる部分をわざと残すことで生まれる楽しさを実感したプロジェクトでした。

合理性と好き嫌い
建築をつくるときには基本的にクライアントがいるので僕は合理性を重視することが多いのですが、同時に、建築は合理性だけでは作られていません。特に住宅をつくる際には、設計思想より、住人の好き嫌いの影響を強く受ける部分もあると思います。フラットな視点で合理的に物事を進める自分と主観的な自分、その2つを調整可能な状態で維持するために、設計者としての自分と自らつくる自分を行ったり来たりすることが有効だと感じています。

(以下、ディスカッション)
廣岡|プレゼンテーションを聞いて、伊東さんという人がどんな人なのか、的を絞らせてもらえないような印象を持ちました。
伊東|「スタジオキノコの人」と、固定的な視点で捉えて欲しくない気持ちはあります。できるだけ分散的な活動をしていますし、どんなものを作っている人なのかという情報をあえて掴めないようにしている部分はあります。
廣岡|「何でこんなにおしゃれにみえるんだろう」と不思議に思いました。キーワードだけを見るともっと不細工になってもいいのに、シティ感というか、洗練された印象があります。一方で同時に、吉永さんと同じような「野性味」も感じています。主観的にその場のありもので作っていながらも、使い方が絶妙に都市とマッチしていないですよね。「少ないもので最大の効果を得る」ということでしょうか。
伊東|ご指摘いただいた点は僕自身、意図的にしています。僕は設計をするときに、コンテクスト・コンポジション・プロポーションという3つに気を付けています。まず、土地の文脈や用途を読み取り(コンテクスト)、次に構成を考えます(コンポジション)。構成とは、物や配置計画、素材の組み合わせなど様々です。そして最後に寸法を整え(プロポーション)、おしゃれに見えるようにする。この3つさえ守っていれば、自分のデザインが成立し、且つおしゃれにみえると信用しています。
廣岡|あと、伊東さんの作品の写真には人がいないことが気になりました。人が使っているシーンはあまり評価していないのですか。
伊東|人が使っている様子を写真で示すと、自分がつくろうとしていることやテイストが演出的に強く出すぎてしまいます。なるべく作品をフラットに1つのモノとして見てほしいので、実体のない、つかみどころのない感じを目指しています。
吉永|伊藤さんのサイトを見ていると、Google画像検索をしたように感じました。一言で表せない、スタイルの無いスタイルを目指されているとは思いますが、それでももし、1つのキーワードとして伊藤さんの作品をヒットさせるとしたら、どんな検索ワードになるのでしょうか?
伊東|マテリアル/デザインという言葉の中に含まれるのではないかと思います。塗ったり、貼ったりするのではなくて、そのものを良しとして、それらの良い使い方を考えています。吉永さんの指摘はすごく的を得ていて、Google画像検索という言葉はまさに私の頭の中を表しているようだと思いハッとしました。
廣岡|では、最後に佐藤さんのレクチャーに移ります。


編集:伊藤萌、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)

いいなと思ったら応援しよう!