第9夜 TOPIC1|凄い街をめざして(廣岡周平/PERSHIMMON HILLS architects)
そもそも我々建築家はなぜ建築をつくるのでしょうか。僕は最近、「凄い街」をつくるためなのではないかと考えています。
僕が考える「凄い街」ですが、以下のようなものを考えています。
・子供も大人も高齢者もいろんな出会いがある
・あらゆる人が街のメンバーであることが感じられる
・あらゆる人のやりたいことが実現できる
・その場所のルーツを感じられる
・できるだけ少ないエネルギーで運営できる
こういう凄い街を目指すにあたり、「まち・地域の関係性と建築」をどう捉えるべきか、どうあるべきかを日々悶々と思考しています。
そもそも、モダニズム以降の建築作品は、単体で発表し評価されることが多く、それ自体「自己完結でエクスクルーシブ」なものを扱う印象が見受けられます。しかし、建築は町に向かい自然の中に建つもの、つまり「集合的でインクルーシブ」なものだとも捉えられます。建築単体の依頼がきた際、設計者が町について考え、「周辺環境との空間的・形態的・関係的応答」をとることはもちろん大事だと思います。一方で、私が重要視しているのは、周辺環境をより広い視点で捉え、その建築が「街や地域にとって効果を発揮できるか」です。
街を形成するストラクチャーの定義
ここで参照したいのが、「H・ヘルツベルハー:都市と建築のパブリックスペース」です。ここでは、「ストラクチャー」に着目し、人の行為・ふるまいを喚起するもの、というような示唆があるものの、明確な定義がみえません。そこで、ヘルツベルハーが活動しているオランダについて学んでみると、1970年代の教育改革が浮かび上がります。対話型教育と個別教育への変更であり、1週間の学習スケジュールを児童自身が決定したり、朝にみんなでディスカッションしたりするような教育になりました。そんな教育の効果か、オランダの建築家は議論がうまいと言われています。
さて、「ストラクチャー」の意味を考えると、一つは「物だけで使われ方は保証されず、その社会で形成される価値観で使われ方が決まる」という側面です。もう一つは「その社会で未だない使われ方を生み出し、形成するもの」という矛盾した捉え方にあると思います。例えばテーブルの上に乗ってはダメということを子供の頃から教育されてきましたが、すごく大きいテーブルだとそもそもそれはテーブルなのかと見方が変わるかもしれません。私は「まだその社会で使われていないけれど新しい価値観を形成するもの」としてストラクチャーが存在していると考えています。
街を形成する関係性
街を形成する「価値観」と「ストラクチャー」と「社会全体」の関係性、そして、「自然資源」を加えたそれらの関係性を図化してみました。
「価値観」が「ストラクチャー」の使い方を規定したり「ストラクチャー」から「価値観」が学び・教育されたり、「社会全体の関係性」から「価値観」がまた学び・教育があったりと町や社会の関係性が見えてきます。これに「自然資源」の関係性も加えて考える必要があると思います。「自然資源」は、ストラクチャーをつくる際に地球にある資源をどう使っていくかということは間違いないと思うのですが、自然資源と価値観の関係性については、都市に住む我々は見失いがちのように思います。
養老孟司さんは、「人間は7年で全ての細胞が入れ替わる。自分の目の前にある畑・海も含めて明日の自分だ」と表現されていました。こういった、日本人ならではの自然観なども含めて、町との関係性を改めて考えられないかと、思っています。
そんな思考で行った実践例を紹介します。PERSIMMON HILLS architectsで設計した宝性院観音堂では、仏像の正面からの宗教性と側面からの公共性の二軸を重視し、宗教的行事のみで使われていたお寺自体が、別の公共的意味を担うようなものになりました。
上有住地区公民館では、更に地域や資源との関係性を重視し、一つの建築が周辺と手を取り合って出来上がるようなものを目指しています。また、自宅である川崎の生活場では、生活の中の素材を使うことや、既製の価値概念とは違う概念を重視したりしています。最近挑んでいるプロポなどでは、建築を通してまちがどう変わっていくのかを考えたりもしています。
©KaiNakamura
©PERSIMMON HILLS architects
僕なりの街と建築の関係を紹介させていただきましたが、「凄い街」を目指すためには、街との関係性をもう一度考える必要があるように思います。今回は、そんな、街と建築の関係をお話しできればと思います。
まずは伊藤維さん、よろしくお願いします。
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編集:中井勇気、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)