1995
うたかたの日々
上の妹が高校を卒業して、桑沢デザイン研究所の2部ヴィジュアルデザイン科に入学することになり、大田区の叔母の家のアパートに下宿させてもらうことになりました。ついに念願の東京暮らしが始まりました。まずは東急線から攻めて自由が丘、代官山を探索し、恵比寿から日比谷線に乗って、六本木WAVEのおしゃれさに感動しました。
中目黒のダンキンドーナツでアルバイトをしました。地下鉄サリン事件があったときはだいぶビビったけど、少しずつお金に余裕ができてきたので、渋谷シネマライズで上映していた「うたかたの日々」(l’ecume des jours 1968 フランス)を観ました。ボリス・ヴィアン原作の小説を岡崎京子がCUTiEで連載をはじめた漫画をきっかけにリバイバル上映されました。他にもジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手に逃げろ/人生」(Sauve qui peut (la vie) 1979 フランス)や「アルファヴィル」(Alphaville 1965 フランス)、セルジュ・ゲンスブール&ジェーン・バーキン出演「スローガン」(Slogan 1969 フランス)ゲンズブール監督「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(Je t'aime... moi non plus 1976 フランス)など立て続けにリバイバル上映されていました。
「うたかたの日々」「アルファヴィル 」やスタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(A Clockwork Orange 1971 アメリカ)昔の映画の空想する未来はなんとなくポップでおしゃれで大好きでした。2019年になって人間がスマートフォンに支配されて、みんな歩きスマホをしている現代は誰も想像してなかっただろうな。便利だけどぜんぜんおしゃれじゃないし、残念に思う。
それから、ピチカートファイブの小西康陽が絶賛していたので、007 カジノロワイヤル(Casino Royale 1967 イギリス)や黄金の七人(Sette uomini d'oro 1965 イタリア)映画サウンドトラックを買ってよく聞きました。ヴィジュアルにもかなりときめきました。
ジェネレーションX
桑沢デザイン研究所の2部(夜学)ドレスデザイン科はどちらかというと地味でクラスも20人ほどしかいませんでしたが、妹のヴィジュアルデザインクラスは人数も多くて楽しそうだったのでいつも授業が終わると妹のクラスに行っていっしょに夜ご飯を食べたりしていました。表参道にあるチャンカフェ(Trang Cafe)というベトナムカレーのかわいいカフェを教えてもらってはじめてベトナムコーヒーを飲みました。
HIROMIXがコンパクトカメラで撮影した写真が賞をとって話題になり、妹も中古の一眼レフカメラを買って写真を撮るようになりました。ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」(1994 香港)のクリストファー・ドイル撮影の色彩構成もこの頃の特徴だと思います。
それから、妹のクラスの人に混じってシルクスクリーンの実習をしたりもしました。Tシャツにシルクスクリーンでプリントして原宿で販売すると人気ブランドになる現象も起こっていました。
ソニック・ユースのキム・ゴードンがはじめたファッションブランド「X-girl」をボアダムスのYOSHIMIやカヒミ・カリィが着ていてものすごく人気が出ました。ラフォーレ原宿のお店に買いに行ったけど、人が多すぎて品物がほとんどない状態だったので断念しました。原宿駅竹下口の近くにあった「ASH & DIAMOND」というお店が好きでよく通っていました。ドラァグクイーンが着るようなPatricia FieldやBetsey Johnsonの服が置いてありました。ド派手な龍の刺繍が入ったコートを買って「シャ乱Qコート」と呼んでいました。Vivienne Westwoodみたいな超ハイヒールのサンダルを買ったけど、履いて少し歩くだけで足が痛くなって歩けなくなったので部屋に飾ることにしました。あと、外苑前のベルコモンズがすごくフランスっぽくて好きで、パリススキャンダルというお店に行ったり、近くのおしゃれな雑貨店F.O.B. COOPでDURALEXのグラスを買ったりしました。
MOT
桑沢の近くの雑誌編集プロダクションで印刷の勉強を兼ねたアルバイトをしました。写真をコピーして貼り合わせたり、版下用の印画紙プリントを作成したりしました。渋谷桜丘の写植屋さんに原稿を取りに行ってと頼まれて、折り畳み自転車で行って住所を探したけど、ぜんぜん見つからずに帰って怒られました。桜丘は謎の巨大な建設現場になっていて引っ越したみたいでした。5年後くらいにインフォスタワーとセルリアンタワーができました。
それから、恵比寿のモスバーガーで深夜のアルバイトをしました。深夜3時に食べるまかないのライスバーガーだけでほかに何も食べなくなったら自然に5kgくらい痩せたのでうれしかったです。
しばらくすると、下宿先のいとこから東京都現代美術館のミュージアムショップのアルバイトを紹介されて、妹と一緒に働くことにしました。木場公園に新設された美術館でミュージアムショップはNADiffが運営していました。素晴らしくデザインされた広い空間で、美術雑誌やアート本などが読み放題でした。アンディ・ウォーホルやサルバドール・ダリの本などたくさん読みました。
オノ・ヨーコやヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージなどが参加したフルクサス(前衛芸術運動)や1960年代のコンテンポラリー・アートは、カウンターカルチャーの色が強く、斬新かつ自由すぎる表現で、その時代背景を知らないと本当の意味を紐解くのが難解でした。1990年代のジェフ・クーンズや村上隆など、よりポップで(あまり意味のない)作品、それこそウォーホル的な、とにかくポップなものを切り取っただけの作品のほうが私は好きでした。そして、なんとなく意味深なタイトルをつけておおげさに美術館のスペースを使うだけの作品が結構あるんだな、と思っていました。