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エッセイ「お父さんの気持ち」、楽しいわが家2022年1月号
今年もお世話になりました。
ちょっと早いですが、全国信用金庫協会さんの月刊誌「楽しいわが家」にて、隔月で(奇数月に)連載しているエッセイをお届けします。2022年1月号、連載53回目、タイトルは「ありがとう」です。
お近くの信金さんで。無料です。また、来年もよろしくお願いいたします。
「ありがとう」 原正和
コロナの感染者が減ったのを見て、今のうちにと、一人、実家に帰った。久しぶりに会った父と母は、変わらず元気でほっとした。最近は心配なことが増えてきて、今回は母にスマートフォンを持って帰った。今から使いこなすのは大変だと思うが、あると何かと便利だろう。
帰省したその日の夕食には、お寿司を出してくれた。昔は、帰ると必ず、食べきれないほど母の手料理が出てきたが、やはり、年を取ったんだなと思う。それでも母は味噌汁を作ってくれようと、台所に立った。そして、ふと思い出したように、「そうだ。私ってさ、バカなんだよ」と言った。
「どうしたの?」と聞くと、「こないださ、朝、あんたのお弁当作らなきゃって飛び起きてさ。冷蔵庫を開けてみたら何にもなくて。しまった、買い忘れたって冷や汗かいてたら、そこではじめて気づくわけ。ああ、もうとっくに作らなくていいんだって」と教えてくれた。
私は高校生まで弁当を作ってもらっていた。私が高校を卒業してから、もう30年以上になる。母によれば、前から、お弁当を作らなければと目覚めることはあったらしい。しかし、これほどはっきりと思い出すようになったのは、最近のことだそうだ。年を取るにつれて昔の記憶はより鮮明になり、思い出す回数も増えているらしい。
その日の夜、母が干しておいてくれた布団のなかで、高校生の時の弁当を思い出した。いろんな弁当を作ってもらったが、なかでもハンバーグが好きだった。手作りで、朝からこねて焼いてくれた。そういえば、おにぎりの具が何も入っていなくて、文句を言ったことがあった。それからは、おかかやたらこなど様々な具が入っていて、家に帰ると母が、「今日のはどうだった」と、いつも気にして聞いてきた。あんなこと言わなければよかったと、今になって後悔している。私には、冷や汗をかいて目を覚ますことなんてない。母は30年以上たった今も、私に弁当を作り続けているのだ。
年を取っていく両親に、何かしてあげなければと思うだけで、何もできていない。せいぜいスマホを渡し、何かしたような気になっているだけ。そうしている間に私自身も年を取り、自分がこれまで親から与えられてきたものに気づけるようになった。そして、いかに多くのものを与えられてきたのかを知り、ただ驚くばかりである。
人は皆知らぬ間に、大切な人から、与えられ続けている。きっと、今も。素直に感謝をしたい。お母さん、ありがとう。