想いが引き寄せる
福岡空港に着いたのは朝7時。
入国審査もスムーズに済み
地下鉄に乗って博多駅に向かう。いつも通りの行き交う人々。
余韻の異国情緒、恋しさに未練たらしくなりながらも、澄み渡る秋の空を見上げると、気持ちもスーッと空に抜けてく。
「この空も繋がってるし、おんなじ地球の上」
新幹線ホーム。
小倉で乗り換え、在来線の8番ホーム鈍行列車で門司港に着いたときは、更に心地よい日差しが迎えくれた。見慣れた風景をなぞり出す。歩いて帰る視点のその先に、
「あれ?」
前から、見覚えのある人がヨレヨレしながら歩いて来る。
近づいて見ると、
「あ、井上さん」
片手にストロング酎ハイのロング缶、無精髭。
「おはようございます、井上さん、私は無事戻ってきましたよ、ワンコロ達大丈夫でした?」
「あー、はい、大丈夫でしたよぉ」
「なんか呂律回って無いけど、天気も良い日曜日だし、明るい時間から調子良さそうだし、あ、お土産は無いけど、よかったらこれで余興の続きの足しにでもしてくださいよ」と
、ポケットにあった2千円を渡す「いいんですか!」「はい、お世話になったのでどうぞ引き続き楽しんでください、ありがとうございました、でわまた!」
ドバイには、こんなヨレた人居なかったよなぁと思いながらも、そうそうと実家に電話して無事戻って来た事を両親に知らせたら、受話器の向こうで妹が何やら言いながら受話器を取り、怒鳴りだした「あんたね、あの散歩代行の人、全くやって無かったよ!あたしが気になって行ってみたら、ウッドデッキの上にウンコしたまんまで、水もなくなっとったんやけんね!」
「えーー!!さっき、駅の近くでばったり会ったけん、飲み代の足しにって小遣い渡したとこやったのに」
「あんた、バカやないんね」
ガチャっと切られる。
そわそわしてきたのでタクシーを拾って家へ。
階段を上り門を開け、
また階段を上っていく。
足音に気づいたワンコロ達と目が合うと耳を伏せて、尻尾をお尻ごと振ってワンワンワン。
よーし、よしよし、お前たち留守番ありがとう、すまんかったのぉ、よしよし。
ウッドデッキに目が行く。
ははぁん、、こう言う事ね。
まぁ、ワンコロ達が生きてたことは良しとしても、仕事としての評価諸々はキチン伝えねば、あの方の為にもならんなこれは。
トゥルルルル
トゥルルルル
トゥルルルル
トゥルルルル
「おかけになった電話番号は、現在電話に出ることが出来ません」
しょうがない人だな全く、
おいおい話すとするか。
場合によっては
ゲンコツも有りかもな。
さてと、
残りの草刈り、アトリエの仕上げ諸々と、イベントへのフード出店は来月頭だったな。
暑さも厳しい8月末頃
「はい、毎度お世話になります!ようへいさん、いかがされました?はい、催しもの?イベントのフード出店ですか?もちろんオッケーすよ、え?はい、テーマがアジアで、リクエストがある?ニラ焼きそば、お!良いですね!あとは、グリンカレー、はい、チヂミ、はい、コレってマンチーズの頃のラインナップじゃナイスか!嬉しいですよ、覚えててくださって。場所は下関競艇場でのイベントですね、日程は11月上旬辺りの週末3日間と。了解致しました、でわ、イベントポスターのフード写真撮りは2〜3日以内にですね。その時に来場者数の予測など諸々ミーティングで、はい、よろしくお願いします!」
そうだ、フムス も試しに
作ってってみよう!
となれば、早速材料を買い出しに行こう。
ネパールからの移住者達が営むハラルフードレストランが気に入ってて、よく行く。そこにスパイスを始め乾物の豆類もある。
ここのシェフも気さくな人で、私の質問に嫌な顔せず教えてくれるから楽しい。
なんだろう、確かに沢山のお店がある中で、私が向かう先は友人のお店が多い。新しく出来た所で気になるお店にも行ったりもするのだが、やはり、がんばってる友人のとこでお金を使いたい気持ちが大きい。
横柄な考え方と最初に断っておくが、私は料理を作る仕事が好きで長くやってると、材料の原価もなんとなくみえたりもしまして、
お勘定の高い安いと言うのは満足度の表れではなかろうかと。例えば少々口に合わなくても安い楽しいとなれば、不満足にはならないような気も。友人の店に行けばワイワイと気持ちが膨らんだり雰囲気が楽しいですしね。それこそ、楽しいご飯が美味しいご飯。
何を食べたかより、誰と食べたかなんですね。
さて、
インド料理など手で食べる習慣が残る所では、好んで手で食べたりもする。
お国の文化に触れたいと言う興味以外何ものでもない。ついでに外人スタッフしか居ないお店では日本語を使わずに英語でコミュニケーションを取るようにしてる。英語も使わないと忘れてしまうし、私の中ではフードアミューズメントの一つとして捉えて楽しんでる。食事付きのアトラクションね。
ハラルフードレストランで
ひよこ豆とミックスダル、インド産のホールチリ、チャナマサラを購入。
家に戻って、ひよこ豆を
水につける。
翌日、圧力鍋で炊く。
圧力をかけて時間を計る。
これくらいかなのところで止める。冷まして見る。
「ちょいゆるいかな?次回はもうす少し短縮しよう」
フードプロセッサへ
ひよこ豆、クミン、大蒜、塩、レモン汁、タヒー二、オイルを入れミキシング。
味見
「もちょい塩」
ミキシング
「お!バッチリ」
タッパーに移して冷蔵庫に。
次は、鶏肉をスパイスで
マリネし、冷蔵庫へ。
生地は小麦粉で練ってから寝かす。
8時間後
マリネしたチキンをオーブンで焼く。
生地を30gづつに丸めて
麺棒で丸く伸ばす。
アボカド、トマト、オニオンスライス、フレッシュ 唐辛子でタバスコ。
部屋中にスパイスの香ばしい匂いが広がる。
すでに、匂いが美味い。
出来上がりのチキンは冷ましつつ、一枚はスライスして、焼いた生地にフムス を塗り、チキン、野菜、タバスコをかけて、くるっと包み頬張る。うんめぇ!!
次の生地にはチキンを入れずに野菜だけで、これまたうんめぇ!!チキン無くても全然成立するボリュームに驚きながらも、カマゲン、これ、たまんねー!
「これ、イケるぞ」
今週金曜日は子供を迎えに行く日。なによりの楽しみ。
離れて暮らしてると、会う度に成長が目に見えてわかる。「柱のキズはおととしの」と言うように。
ハイハイからつかまり立ち、あーだのうーからよちよち歩き、かけては転んでベソをかき、慣れてくれば背伸びしだす、浮いたそのカカトには、いつしかヒールを履く時も来るのかなとか。いずれ、手を離れていくその日まで、しっかりと育みたい。
しかし、
迎えに行くにしても
門司港〜博多を車で行くのだが高速使えば高速料金、ガソリン代と毎回の支出もバカならない。
これは何か相殺する仕事を編み出すべき時だな。
普段、子供は寄宿学校に行ってるような感覚で、休みには家に帰って来る。特別な何かをすることも有れば、だいたいこの家での日常の中、時計を気にせず、窓から入る朝日に鳥の鳴き声、私は外でゴソゴソと野良仕事してたり、掃除してたり、部屋の寝息に少しずつ生活音が混じりだす。朝食の用意で台所でカチャカチャしだし、コーヒーの香りが漂いだすと、匂いに誘われたようにひょっこり起きて来る。
用事が無ければ、そのまま時を過ごす。手伝ってもらいたいレクレーションは手伝って貰う。そうね、目玉焼きにしても、包丁の使い方にしても、生活における、自分でやれそうな事は率先してやらせて、感覚を覚えていかせる。
どれだけ自立する術を早く身に付けていけるかによって先々の自由度も高くなる。
日曜日に母方に送り
帰りしなにはいつも、
「しっかり勉強して、しっかり遊んでおいで」と
抱きしめて、
あいしとるよと添える。
帰り道を下道で行くと2時間弱。着く頃には9時を過ぎてる。
今週末はイベント出店。
前日、仕込みを終えて、勿論フムス も少々なりお試しで持って行く準備も済ませる。
当日、下関競艇場へ。
ここに来たのは始めてだ。
そもそもギャンブルに興味がないので競輪競馬競艇に行った事が無い。地元の近場に全て揃ってたにもかかわらず。つい近年の事、地方創生だか町おこしだとかで議論されてた時、知人のおいちゃんAさんが市長選挙に立候補した時、迷わずカジノを北九州に誘致すべきだと思った。丁度、県が一斉に某組織の壊滅に躍起になってたのと重なってたが、水面に見える魚は、バシャバシャやると深く潜っていくだけ。その辺に善人ヅラして騙す奴はいくらでも居るし、手ぐすねをひいて潜んでる。白黒はっきりで片付けれない事もあるのですよ。陰陽、コインの様に、裏表が持ちつ持たれつ、役割分担で世の中をうまく回してた頃を知ってたから。バランスと言うかグレーゾーンの良い塩梅と言うか。
そんな訳だからドーンとラスベガスのようなギャンブルタウンもアリだよ派。どこに作ったとしても、裏との絡みは避けられないようになってるよね。表沙汰になるかならないかだけ。なんて想いが競艇場にきてぼんやりと浮かんだ。
私はギャンブルやらないけど、いや、やる唯一のギャンブルがある。
「この人生ゲームだけな」
なんちゃって。
しかし、競艇場には子供連れのギャンブラーが多いのに驚いた。
キッズルームも完備ときてる。ここに来て、勝利に歓喜する時も有れば、肩を落とし、帰り道は無口になる両親に、気まずさを感じる時もあるのかなと、ついつい余計な詮索をしてしまう。この行き交う人の中には、財産をスってしまうかもしれない人も居るだろう、そりゃ、1発当てて羽振り良く「ちょいと髭の大将!ここにあるもの全部頂戴、そして、みんなに配ってくれんかね、あ、お釣りは要らんよ」などと言うシチュエーションに出くわせたら最高なのにと、私なりの想像も膨らませながら、通りゆく人々に声をかけていく。
イベントだけにあって
予想以上の出数と、職員の方々も物珍しさに買って行ってくれ、フムス のシャワルマ含め、金土日と3日間はあっと言う間に終わった。
「ようへいさん、おつかれ様でした、また、出番あれば是非お声掛けくださいね!大変ありがとうございました」
その数日後
ようへいさんから
「お正月三が日、甘酒とおでんの出店をしてくれないか?」と持ちかけられたので
「はい、承知しました
ありがとうございます」と答えた。
ようへいさんは
熱心に音楽をやってた頃からの音楽友達でもあり、今はキャリアを積まれて、イベントなど企画する広告会社をされてる。なんにせよ、お互い元気でこのような関係性を保たれてる事には感謝してる。私も馴れ合いに甘んじる訳では無く、声をかけて貰えるような日々の積み重ねをやっていくしかないからね。
大ちゃんから電話
「はい、まいどぉ元気に帰って来ましたよ先月に、はい、え、YouTube?ん〜、そうね、大ちゃんの言おうとしてる事もわかるけど、現在自転車操業の、それも立ち漕ぎ状態 笑 まだ今じゃないのかなぁ。それに、収入をYouTubeで比例させるには、打ち上げ花火じゃダメだし、練り込む時間もいるよねぇ。本腰入れないとね、甘くないですよ何事も、そうなのですよ、え?別案件で、お友達が人手を求めてる?ナウ?行って貰えないか?どこ?黒崎?三菱プラント構内の単管足場?それって、もしかして鳶?」
鳶と聞くと
たしかに、
心当たりはある。
それは、
高校生の頃、バイク代を稼ぐ為、夏休みなどのバイトで土木に行った事もあったし、高い所で仕事をしている鳶職を見て、面白そうだなぁ、やってみたいなぁと思った事はあった。確かにあった。それが、まさかこの歳で叶う、いやいや、思い描いてた訳では無い、あの頃、ふと、ふわっと思っただけ。それが、そのカードが今出てきゃったよ。
この歳じゃなくても良かったよね。もっと若い時分の方がよかったよね。どうせなら。
しかし、
まずは、ありがとうございます。お声掛けくださりありがとうございます。
「でわ、業務発注で処理していきますね、はい、孫請けになるのね、オッケーです、で、業務としては基本、平日勤務の土日休み、月2回隔週金曜日は休みます、私が請けてる他の仕事、草刈り、片付けなど諸々を週末にシフトする態勢を組んで行きますので、その旨を友人の方に御理解頂けるならばオッケーです、よろしくお願いします」
クライアントからの
オッケーも出たので
11月中に合間を見ながら
準備をしなくてはならない。
ハーネス安全帯、シノ、クリッパー、水平器、インパクト、革手袋、安全靴。
入構安全教育のスケジュールをチェックし受けて、構内入出時の、IDカードを発行。足場作業者資格取得。安全帯ハーネス受講資格。大きな会社、企業になるほど安全に関する基準が厳しくなり、その基準をクリアせねば仕事に入れないのだ。
とりあえず
平日は請けで埋まりましたよと。
ありがとうございます。
子どもとの時間も確保してますよと。
ほぼほぼ、しばらくはお休み無いけど、やれる時にやっとかないとね。
引き続き、なんでもやさんの営業もSNSでCMしながらと。種まき種まき。
SNSを見てると、スパイスカレー熱がグングン上がってる。気候的にも日本は毎年暑くなって東南アジアのようになってるし、そうなれば、カラダもスパイシーな食を欲しだす。当然の流れと言えば当然。しかし、みんな美味しそうなの作ってる。フミちゃんも定期的にやってるなぁ。夜、BAR営業のお店が閉まってる昼間を利用しての、曲がりカレーか…
ん
「あ!そうだ!
フミちゃんに
相談してみよう」
「フミちゃん、
おつかれさまです
ちょいとお伺いしたいのですが、まがりで、昼間
ミーフーカレーされてる、ひるげつについて、お話し聞きたくて、出来たら私もお昼やれたらとか、はい、まぢすか!はい、分かりました、では早速、かおりちゃんに連絡してみます!ありがとうございます」
「はじめまして、ヨシオです、フミちゃんがよく昼間に、まがりでされてるミーフーカレーにピンときて、私も出来たらと思いご連絡しました。私はヒヨコ豆を使ったフムス と、スパイスでマリネしたチキン、野菜などをトルティーヤ?タコス ?中東ではシャワルマと呼ばれるものですが、生地に包んで食べるお料理の提供を考えてました」
すると
とても好意的なお返事を頂き、実は昔、私が屋台村のような所でアジア料理屋台マンチーズをやってた頃にも、来られた事もあり、となれば、横の繋がりがトランプの7並べのように音を立てて繋がり、よよいのよいと、なんなら斜めも揃ってきてるぞの勢いに、かおりちゃんが「実は、ヨシオさんが料理仕事されてるの知ってたし、もしよかったらココでもやってくれないかなぁと話してたとこなんですよ」
お導き過ぎるよ
とんとん拍子。
そのやり取り後、
子どもを迎えに行くある週末、
お昼頃、お時間をいただき詳細を寄せに警固のお店
喫茶 ひるげつへ。
会うと「あー!どおもぉ、かおりちゃん!会った事あるよね!痩せた?」
早速、ここに至る迄の思いを包み隠さずに話した。
離れて暮らす子供を迎えに来る時に少しでも行商出来たらとの想いに、かおりちゃんも子を持つ親として理解を示され、とても親身になってくれた。
「私がどのような食事を出したいのかイメージでは伝わらないと思い、持って来たので食べて貰えますか」
「もちろん!」
キッチンをお借りして生地を焼き、包んで食べて貰う。
この動作一連の流れは、
音楽を熱心にやってた頃、
自分の好きな曲を詰めたミックステープを持ち歩いては、共通する人達に名刺代わりに渡してたやり方だ。
これで、私が何を伝えたいのか理解して貰える。
「どうですか?フムス 」
「バッチリです!」
「嬉しい!ありがとうございます!でわ、また追って1回目の12月のスケジュールと提供の仕方を詰めていくのでよろしくお願いします!」
本気で考えて行動すると
引き寄せてくれる何かしらのチカラが作用すると思った。ほんとありがたい。この気持ちを忘れず、感謝は勿論、ご縁による相互作用で、携わる方々にもお互いハッピーになれるような動きでお応えしたい。
12月に入り
喫茶ひるげつ での
金曜日の
フムス ランチ登板スケジュールも決まり、
平日のプラントでの仕事も
ようやく、入構日程が決まった。朝6時半には都市高速に乗り30分かけて、赤と白のデッカいあの煙突の立つ黒崎へ。
セキュリティチェックを通り入構。
事務所にて手続き契約書など作成したのち現場作業者詰所へ。
二階建ての大きなプレハブ。整列された机、ロッカー、作業道具諸々、椅子の数だけでもワンフロアに50席はある。
事務員の方が
「今、中野さんが請けられる会社の方が現場に行ってて、もうすぐお昼なので戻ってきますから、ここでお待ちくださいね」
お昼になり続々と
青い作業服の人達が戻って来る中、不機嫌に声を荒げてる人が来る。30代くらいだろうか。
目の前を通り過ぎて、詰所に入るや否や椅子を蹴飛ばしてる。荒っぽいなぁと。
そうしてるうちに
先ほどの事務員の方が来られて「帰って来られてるので、どうぞこちらへ、あ、白川さん、こちらが今日から来られてる中野さんです」
!!
さっきの不機嫌だった人が請けの、いわゆる一緒に仕事をする組のリーダー。
「中野です、よろしくお願いします」
「あー腹が立って仕方ねぇ、あいつ(現場主任)の段取り違いで全く仕事が進められん、あったまくる、ボコボコしちゃろうかね、くっそが、飯なんか食う気にもならん、あんた(私を見て)、このカップラーメン、お湯入れたけど食わんけん、あんた食って!わかった?あんた食って」
「え、いいんですか?」
「あんた食ってって聞こえたやろ?」
「はい、じゃ頂きます」
うそやろ、
この状況からのスタート。
キタヨ来ましたよ、
北九州のヒリヒリしたしょっぱい洗礼が。
居る居る、ビーバップ感満載、刺青、腰履きズボンのあんちゃん、指の無いおいちゃん、昭和のラフな空気感満載、まさに、まさに、これぞ北九州。覚えある懐かしさ。メリハリある
エッジの効いたどころか
効かせすぎじゃないのと
言いたくなるよな
人生を味付けするスパイス、アトラクションスタート。
「俺と健三とアンタ、中野さんでやっていくけん、鳶やった事ある?」
「無いです」
「高い所は?」
「ぞわぞわしてきます」
「ちっ!材料運びと下回りを教えちゃれ健三!」
激しい現場に来たもんだ。
仕事は、約3km四方の洞海湾に面した三菱化学の敷地内に様々な独立したプラントを持つ外部の会社があり、化学肥料作ってたり、コンピュータの基盤になるプラスティックを作ってたり、とにかく色々。独立したプラントには各種さまざまな 20〜1600パイの配管が敷地内を血管の様に網羅しており、長いものは1kmを超え、高さが5階建てマンションと同じ高さ、または更に上にある。
経年劣化で必ず配管のどこかに亀裂が入り漏れ出す。パッキンの交換も同じく。
そこに単管パイプで足場を組み、修復する為のステージを作っていく。マンションの周りに足場を組むのとはまた訳が違う。複雑な現場なので、その都度状況を把握し計測、図面起こし、入り組んだ配管の隙間に縦軸、横軸を通したりと、無い所に編み出すフリースタイル。これにはかなりの経験と熟練度が必要とされる。
工業薬品の流れるパイプの間を埃の中を抜け匍匐前進で進み、周りがデリケートなパイプだと当たれば破損し、薬品が漏れ出す事故になったり、光ファイバーが通るパイプを破損しようものならば、敷地内の機能が停止して、損害賠償で莫大な何億と請求をされる。
あとは、よく工場地帯で目にする大きな、直径30mくらいある丸いタンク。ウルトラマンが戦ってるシーンなどでも見かけた事あるよね。1万トンタンクと呼ばれるアレの外装塗装の為、足場を螺旋に組んだり、タンクの中を掃除するため、中に入り、外から酸素を送りながら、やぐら状の足場を組む。基本手運び。高所は高所作業車やクレーンを使う。組んだ足場で塗装なり、配管交換なりの修復作業を済ませたら、またそこの足場のバラシがある。ひとことで言うと痺れる。ある時は、感染症の処理班や福島の立入り禁止エリアの非常線で立つ人が着る、頭から爪先まで全身白いツナギのようなタイペックを着て酸素マスクをし、敷地内に独立してあるゴミ処理施設の焼却炉の中を修復の為、足場組み。温度が下がったと言っても炉の中は40度はあるからサウナ状態、タイペックの中は、タプタプ。ケミカルプラントで独立した焼却炉では、敷地内のあらゆるゴミ、工業廃棄物を燃やしてる。そこの中に入って行くのは、原発並みの有毒物質が頭をよぎる。考え深いところでもあった。
どこも危険が隣り合わせ、
高所から落ちても、タンク内で酸素不足になっても、
夏日の熱射病にしても、そのような過酷な現場なものだから、現場を共にする責任者は、危険が忍びよるものなら、ボサッとしてるものなら、半端なく怒鳴り散らかす。それに免疫の無い新人(若手も中年も)耐えきれずに翌日から来なくなったりする。そうなると、キツイのは結局残された人たち。下が入って育たないと、いつまで経っても自分達がキツイ仕事を、やんやと言われながらやらなくてはならない。
時代は常に変わって行ってて、いつまでも昭和の根性論が通用するとは考えにくい。
職人の世界が厳しいのもわかるが、途絶えてしまうと元も子もない。
この状況を見て、思い出したのは、高校にサッカー部の特待生で行ったけど、練習後の先輩のシゴキが嫌で嫌で、サッカーが面白く無くなって辞めた時と重なった。
高校球児にしても
甲子園に行き、優勝目指して連投するひとりのエース。かたやもうひとつのチームは同じようなエースが2人居て交互に休ませながら投げる。彼らの野球人生において、瞬間的なその時だけの甲子園にフォーカスし、尽くす。また、アングルを変えれば肩を酷使するピッチャー。その先の選手生命を見据えるならば、普通に考えてみると後者の方がロングスタンスでは無いかと。星飛雄馬のガムシャラ時代から進歩した今は、視線を上げて先を見るようにもなってきた。
もっと言えば
バブルを経験した大人たちが、あの頃の亡霊に取り憑かれた様に、今の世代の人たちに昔話をしたところで、今は今。バブル弾けた後は財布の紐をきつく締め、その中で生まれ育った子供達は、おとぎ話の夢物語より、数字と現実とを相談しながら堅実に計算高く生きなくてはならなくなった。
いずれにしても、日々の時は進み、時代の表情も変わって行ってる。
兎にも角にもここでは、
常に気持ちの状態を穏やかに保つ事に徹しながら、怪我せぬように努めねばならない。
とは言え、仕事とは関係ない理不尽な言いがかりや、余りにも口汚ない言葉を向けられたある時の高所では「おう、もうやっとれん、下に降りいや貴様」となったり、またある時は鼻と鼻が付きそうな距離で目を離さずに「貴様言葉使い知らんなら、わかるまで単管で一本ずつ手足へし折るぞワリャ」と言った矢先に、ふと我に返り「あ、どうもすいませんでした」なんて平謝りしたり。もう、コント。だけど、当の本人は真剣そのモノ。熱すぎてぶつかる現場のひとコマ。その節は大変失礼しました。
仕事にも慣れてくると、材料の単管パイプ4mを4本担いで持てるようになった。
2mパイプだと8本分だけど、8本は嵩張って持てない。5〜6本かな。重さがあるので、バランスをとりつつ、ハードワークのときは、いつもエクセサイズだと思って意識してやってる。
ちなみに、ここでの昼ごはんは皆さん朝来る時に買ってくるか、もちろん弁当の方も居るが、カップラーメンは根強い人気だった。私は、初日の光景を見て、自分自身に公約した。「毎日欠かさず弁当を作ってくるぞ」
世にハードコア弁当なるものがある。
「映え弁当」とは一線を画した「ハードコア弁当」
* いっぱい食べられる
* 洗い物が楽
* すぐ作れる
この3つの条件を突き詰めた結果、「プラスチック容器にごはんを詰め、おかずを一品のせる」というスタイル。
この横道は日本人ならば
誰しも目にした事のある、
真っ白な白飯のグランド、
ど真ん中に梅干し一個が鎮座する日の丸弁当である。
流石にそれだけでは物足りないので、私はスパイスカレーを別容器に入れたカレー弁当に決めた。
スパイスは漢方、医食同源、ハードワークボディへの効能、何よりスパイスひとつひとつの風味特性を知る勉強になる。
昔、屋台の時に作った、
ラフテー"角煮とろん"
「くちびるで噛める女」との異名を持つ優れものではあったが、ある日、スターアニス(八角)を入れ過ぎてしまい、漢方薬ならぬ漢方食になってしまった事があった。この医食同源はなかなか応えた。捨てる訳にはいかないので、朝昼晩と1週間ほどかけ、工夫しながら食べきった。用法分量間違いなくすることはとても重要だと、味が身に染みた。
そのような経験も踏まえ、このカレー弁当作りは経験値を上げれる楽しみでもあった。
ある時は
キーマカレーを持って行き
詰所の給湯室にあるコンロで、持参したキャンプ用の小さなフライパンで目玉焼きを作って乗せて食べてると、通りかかった元請け会社の責任者が怪訝そうな目で見るので、
私は「食べます?」と言うと「ここで目玉焼きを作った人を初めて見た。料理するのはダメだ」と言いだした。
火災の問題やコンロ周りが汚れるだのと。
「じゃ、なんでコンロ有るの?毎日ヤカンでお湯沸かすのやめれば」と
ぶっきらぼうに答えると、上司に確認すると言い去った。
すぐに、それは元請け会社から白川さんに申し送りされ、おとがめを受けた。こんな事で議論して余計な摩擦熱を起こしたくないので、はいはいと答えて2度と目玉焼きを作る事は無かった。そのかわりに温泉卵を持って行くようにした。
このスパイスカレー弁当の効果だと思える効能か?一度も風邪をひかず、体調不良も無かった。体調不良と言うと、その言葉の読みに掛けた、ダジャレ的な隊長不良。我々の組の隊長は、いつも同和をレペゼンする、背中一面に大蛇の彫り物の入った不良(やんちゃな人)だった。仕事に関してはピカイチ、ズバ抜けてた。つまり、皆さんここへは仕事に来てるので仕事がきちんと出来れば皆平等。経験による上下関係はあるが、見た目や生い立ち学歴は全く問題では無い。
月に隔週木曜日、仕事から帰って来ると、金曜日の「喫茶ひるげつ 」
フムス ランチの仕込みが始まる。このフムス に関してはご存知のように私個人的にも思い入れのあるオススメする料理。タコス やトルティーヤのように生地に、具材であるフムス 、スパイスチキン、アボカドやトマト、葉野菜、ポテト、ミックスビーンズ、パクチー、自家製サルサ等をお好みで包んで食べる。
おいしいのだ抜群に。
しかも、チキンを除いた他の具材だけでもボリューム充分。と言う事は、肉を食べないビーガンの方々にも食べて頂ける。「喫茶ひるげつ」は警固と言う場所柄、お洒落なお店ばかりで情報に敏感な人たちが行き交い集まる。密度が高く、アピールするにはもってこいの場所。ほんとに美味しいから食べてもらいたい気持ちしかなかった。
初回の時、お店に着いてからの段取りに時間を要し12時を過ぎてからのオープンとなった。ひと皿ずつにフムス 、チキン、野菜、ミックスビーンズ、ポテトなどを盛り、生地を焼き3枚ずつ乗せての提供。手が足らず、かおりちゃんに生地を麺棒で伸ばして貰いながら、私は焼きと盛り付け。
来られるお客様、友人達の反応は良いけど、オペレーションに課題が残った。
しばらく、ひと皿ずつ盛り付けてのオペレーションで行いながら、どうすべきかを模索した。それと同時に、包む生地のコンディション、粉の割合なども変えて改良しながらやったり。
ランチタイムのピークになると、ひと皿にまとめて3枚の生地を焼いて乗せる事が困難になり、一枚ずつ乗せてて、焼き上がり次第に追加していく方法もやったが無理があった。ある時は、奥のキッチンで生地を焼きながら、一杯になって賑わうカウンターに友人が居たので、話しながら焼いてると「アレ?なんか焦げてない?」と店内に広がる黒い匂いをお客様に指摘され、ハッと見ると、網で直火焼きしてた生地が焦げてたり。匂いでバレる料理の失敗は恥ずかしい。その焦げた生地を見せると「これくらいのチャパティの焦げが好き」と言ってくれた方も居たけど、私の中では失敗は失敗。あぁ恥ずかしい。
そんな時も、かおりちゃんは、驚く美味さのお手製スイーツをご馳走してくれてた。毎回、季節の素材、こだわりの材料で凝ったスイーツを作ってこられて、コーヒーやドリンクを担当してくださる。これにどれだけ救われたかと言うより毎回感動を覚えた。楽しみにもなった。このスイーツと、かおりちゃんを目指して来られる方がたくさんいらっしゃるくらいだからね。
回を重ねていくうちに
ひと皿ずつの提供ではなくて、私がドバイで体験した、自分で好きなだけ生地を取り、具材をよそおい、好きなだけどうぞのビュッフェスタイルでやってみようとなった。そのタイトルが「フムス お好きに包んで巻いてそういうやつ」
かおりちゃんのコピーライティング。
お一人様
お試し価格 800円。
その時の生地も改良を重ねてクレープのような食感のモノとなってた。
このやり方は成功だった。
好きなだけ食べれる。
フムス の美味さを多くの方に知ってもらえる。
SNSでの宣伝にも、ビーガンの方、お子様連れのママさん方にも強くアピールした。ビーガンの方はチキンを除いたバリエーションで、お子様は辛いサルサを入れないバリエーションでと。10種と言わない色々な組み合わせ、バリエーションの中でもオススメは生地にフムス を塗り、ミックスビーンズのオイル漬けのみ。豆の美味さとオイルでボリューミー。アボカドやポテトを加えると更に旨さ更新。初めてお越しになられた若いママさんが帰りしな「私、15個食べました!」
普通でも5個はペロっといける。毎回オープン一番に来ては、2時間と言わないくらい満足されてた常連のJJさん。お昼休みにさっと来られては、お持ち帰りで持参されたパックに詰めていかれる方。ユニークな人達が多い。アーティスト、ミュージシャン、デザイナー、ショップの方々など、感覚をウリにされてる人たちが来てくれると更にまた嬉しくなったし、「喫茶ひるげつ」を通して交わるサロン的な要素も兼ねたかったので、才覚お持ちの人たちが新たに繋がっていくのは、とても喜ばしいものだった。これは、長年ここで営業してる「BAR 月」が生んだバイブレーションの延長にあるものだとも思った。
ランチ営業は11:30〜15:00
終えると、そのまま子供を放課後の小学校へ迎えに行く。放課後待機児童の居るルームに行くと、私を見るやいなや子供たちが寄って来ては、ちょっかいを出してくるので遊んでやる。
ちょっとした人気者おじさんなのだ。サンタクロースのように、髭がモシャモシャなのでサンタクロースと思ってる子供もいる。
ある時、
顔馴染みの
ませた男の子が
「サンタクロースなんか居ないもんねー」と
挑発的なパンチを浴びせて来ながら言うので
「ほーっほっほー、おやおや、○○○くん、今欲しいモノあるの?」
その子はパンチを止めて
「ピカピカのスニーカーが欲しい!」
「そっか、スニーカーか、じゃあ、これで」
財布から1万円札を出して渡すと、その子は目をクリクリさせながら「うっそお!いいと?いいと?貰っていいと?」
「算数できる?」
「できる!」
「買い物した事ある?」
「ある!」
「おつりってわかる?」
「わかるよそんなん!」
「じゃ、好きなスニーカー買いなよ」
「ホント!?ホント買っていい?」
「いいよ、少し早いけどクリスマスプレゼントな」
「うわあ!ありがとう!」
「な、サンタクロースは、いるだろ」
「うん!サンタクロースいるいる!」
「あ、おつりはお母さんにあげなさいよ、どうしたの?と聞かれたら、サンタクロースからもらったと言うんだぞ、わかった?サンタクロースだぞ 約束な」
「うん!わかった!約束する!」
翌日、
学校でサンタクロースが大問題になると言うね。
しかし、これは
世の中のサンタクロースのリアルな姿。
飾りなくまっすぐな本当の姿なのだ。
フィクションかノンフィクションかはご想像にお任せする。ユーモアのある大人がもっと増えてほしいね。と思うならば、まず自分がやんなきゃね。と言う事です。
放課後の子供たちは
小腹が空いてるものだ。
私は、ひるげつの片付けの時、残り物を生地に包んでタッパーに入るだけ詰めては、迎えに行った帰りの車内で食べたり、車のところまでバイバイしに来た子供たちに「食べたい?」と聞いて食べたいと言えばあげる。
そこで、初めて食べるであろう子供たちの反応を見るのも楽しい。だいたい、サンドイッチにしろ、餃子にしろ挟んだり包んだりしてる、手軽なものは好んで食べる。子供は正直だし、フムス を食べて美味しいと言われたらそりゃ嬉しいよね。
冬休みになり
子供と一緒にお正月の出店へ。
甘酒、おでんと委託されたカレーの龍(北九州の老舗)がラインナップ。
雪の舞う中での出店。
寒いと湯気のでる料理は客足を寄せる。
甘酒も麹と酒粕で炊いた。
おでんも昆布とアゴで出汁を取り、大根は5cmほどあるが炊きこんでるので箸できれる。スジもトロトロ。「熱燗あれば最高ですよ〜無くても最高で〜す」と声をかけ、あっという間に三ヶ日終了。
お正月動かぬと身体が鈍る。動いてしまえばいつもの今日。結果やって良かったなといつも思う。子供もお店屋さん体験、社会勉強。良い一年のスタートですよ。
ようへいさんありがとうございました。
山では
梅の木の蕾も膨らみ
春を迎える頃、
門司港レトロ 地区で、長年イベント企画をやってらっしゃる伊崎君(同年代で過去に音楽仕事を一緒にやったり)から連絡あり、戦後から続く「みなとまつり」でのイベントステージのPAアシスタントの声かけを頂いた。また、その時撮影したマーチングバンドの行進もYouTubeにアップしてるので、是非見てほしい。リズムがトライバル。こういうのに私は反応します。その流れから夏の目玉イベントのひとつ、毎年行われている「門司港ビアフェスタ」の会場設営ヘルプにもとお声掛けいただいた。そのビアフェスで、フムス の出店をしようと思いついた。
ちなみに私は
食品衛生管理者、
露天での営業許可証もあるがまだ使って無かった。
早速、3日間の出店応募し、審査のち出店が決まった。
大がかりなイベントでは初の出店。
会場の設営しながらの
合間を見ながら、自分の出店スペースも組み立てていく計画を立てた。ワクワクする。
どうせならと、お店の雰囲気を出したかったので
港町ならでは、港に行き荷下ろしする港運会社を訪ね、木製パレットの要らないものを貰っては、コの字型に組み立て、お店の対面カウンター作りをした。
色をチャチャっとアイボリー系、ハケで塗る。
足場板をのせてカウンター台にする。傘付きの電球をいくつか吊るすと、良い雰囲気になった。
このビアフェスに以前、音楽係、DJで参加した事もあるので、会場の雰囲気もわかってた。
それを踏まえて仕込み量も考えた。
イベント数日前から天気予報を見ると、南の海上で台風が発生しており針路が気になった。主催者、楽しみにする人たちを注目させた。肉は仕込んでるので当日焼くだけ。
段取りオペレーションは整ってる。
イベント前日より見事に
台風進路が変化球なしの
直球ドストライク。
会場のテントが飛ばぬようにと重りをつけていく。
当日、雨、風。
2日目、雨、風。
最終日、雲り。
と言うわけで、そういう訳。これも経験、授業料だと思って次へ活かせばいいと自分を説得する。
出店されてる方々のお話し聞けたり、繋がりができたのはとても有意義だった。
いくらしっかりとその日に向けて準備しても、天気はどうしようもないもの。
そんな中でも、来てくれた町内の子どもの声が増えていくと、気の彩度も上がり、また私のパーさ加減もカバーしてくれるので助かる。友人や、見たことある方多く寄ってってくれたので楽しかった。少しでも多くの方にフムス を食べて知って貰えたのが一番ですよハイ。
ありがとうございました。
丁度その頃、
黒崎の三菱ケミカルプラントでの鳶仕事も半年を過ぎ固定仕事としての話しを持ちかけられた。確かに人材不足の世の中、その中でも指折りのハードな現場。お気持ちに添えず申し訳ないと丁重に応え、このタイミングであがらせて貰った。
しっかりと公約(毎日弁当作り)も果たしたので気分も良かった。ありがとうございました。
時間に余裕ができて、
動きやすくなり、夜のお店、BARやクラブに呼ばれてレコードを持って行ったり、そのついでに小腹を満たす、チヂミやフムス の出店も。ちなみにチヂミ食べ放題500円とか。
それから、
北九州の夏祭り、
小倉城下の
わっしょい100万夏祭りに
併設されて行われた
去年の「スケボーコンテスト」の会場設営に加勢に行った事がきっかけとなり、今年はDJとして参加させて貰う事ができた。
昔から、ストリートカルチャーは好きなので、シニアとなった今でも、何かしらシーンに役に立てるような動きで応援したいんだ。また、この時に来られてた方から、秋に行われる「アドベンチャーキャンプ」というキャンプ場での音楽イベントにもお誘いのお声かけくださり、また新たな繋がりが出来た。アドベンチャーキャンプでは子供も一緒に参加して、キャンプ場にはピザ釜が常設されてるので、そのピザ釜を使った「ピザ作りワークショップ」を提案のもと、やってみると、家族連れの方も多くて、沢山の人達が参加してくれ、自分好みのトッピン具を広げた生地に乗せて焼く。スモーキーな釜の中、香ばしさがうまさを増す。風景変わればまた味も変わる。
このような提供の仕方や、移動販売もいいなぁと浮かんだ矢先、門司港でタルト、キッシュを自転車(ヨーロッパなどでよく見るトライクタイプの3輪)で販売している、S tart in (エスタルティン)の貞くんと知り合った。タルトを買いに行った時、店主の貞くんに色々と話しを伺ってるうちに、博多の屋台、リアカーで引くお店が浮かんできた。さて、フムス を屋台でやるとならばと、イメージしてみたが、材料、フムス の保存や熱源(プロパンガス)鉄板などを考えると、簡単では無い。使ってないリアカーがあったので、組み立てと器材配置をシュミレーションするも、なんかしっくりとこない。ん〜もしフムス の移動販売をやるならば冷蔵庫は必要だなと。となればリアカーではなく車だなと。
毎月隔週金曜日、子供を迎えに福岡市へ行く。その度に、警固の喫茶ひるげつで「フムス お好きに包んで巻いてそういうやつ」とのタイトルでランチを提供させて貰って、楽しいルーティンワークとなってる。回を重ねるごとに提供のオペレーションがカタチになってきてるので、なおさら次のステージ、どうにか出来ぬものかと思案し、身の回りの環境や材料を踏まえ、引き続きパズルを組み立ててた。
そうしてると、エスタルティンの貞くんから「知り合いの方のホームパーティにフムス をケータリングをどうですか?」とお声掛け頂き、喜んでお受けした。
これまた行ったお所が、可愛い猫の置物を作られてるアーティストの貴さんご自宅で、ご友人の誕生日会。
喫茶ひるげつでの「お好きに包んで巻いてそういうやつ」を再現した。「フムス とは何?」から始まって、食べ方ハウツーレクチャー、みなさん生地を手に取り、包んで食べる。喜んで下さりとても嬉しかった。そのあとも、貴さんから恋活パーティへフムス ケータリングで、お呼び下さったりと繋いで頂いた。秋が過ぎる頃、伊崎君から電話があり「ビアフェスで出店されてた方が、店舗でのキッチンの仕込みの仕事を、なんでも屋さん依頼出来ますか?と問い合わせがあったよ」と。
場所は門司港で、朝の営業前迄に、材料の仕込みをしてほしいと。バシッと待ってました、喜んで!
二つ返事。
ありがとうございます。
詳細打ち合わせにて、お店でお会いすると、ビアフェスの時、私の向かい側で出店されてたお店の社長さん。その時お話しをしながら名刺交換をした好意的な方だった。条件諸々を確認し、すぐに取りかかって貰いたいとの事なので、早速、翌週から夜明け前の仕込みに就いた。隙間産業の極みですよ。嬉しいですよ、ビアフェスの時、蒔いた種から芽が、なんてですね。育んでいきましょうね。いつも、自分が如何ありたいかを強く持つことが、ぐぐぐっと引き寄せの法則ですからね。。12月になり、喫茶ひるげつでの提供も1年経った。沢山の人の心遣い優しさのおかげさまで至る。
私が離れて暮らす子供を、欠かさず迎えに来れる事は、みなさんによって成されています。
これが
ひるげつでフムス を提供するようになった動機。
それを継続できてる。
かおりちゃんには大感謝。
私は生きてて、様々な場面で携わる皆さんと一緒にいる事で、カッコつけさせて貰ってます。これからもそうです。そのぶん私は美味いの作ります、その時私に出来る事を務めます。引き続きよろしくお願いします。ありがとうございます!
そして、クリスマス、年末。2020新年を迎えると、
新年早々から去年のアドベンチャーキャンプの時に知り合った絵描きのツネちゃんや子ども達とフムス パーティ。
電話が鳴り、
エスタルティンの貞くんから。
紹介したい人が居ると言う。
なんでしょうかねこの偶然?タイミング。
アンテナのキャッチ感?
それぞれのシーンで活躍されてる方々、みなさんエネルギーが生き生き溢れてるのは共通してる。それが引き寄せてるんですね。磁石。ユニバーサルマグネティック。
「貞君よかったら、一緒にウチに来られませんか」とお誘いをし、私が作ってるものを知って貰う良いタイミングでもあった。
門司港でportoというゲストハウス(昔の遊郭をリノベしたお宿)を運営や、門司港の良さを伝える映画作りと活躍する菊池さんを紹介された。
菊池さんは感じの良い好青年で、すぐに頭の良い人だとわかった。ボンクラの私には有り難く必要な輝く存在になると確信した。
フムス を食べた菊池さんから、美味しい声を頂き、打診されたのは、10日後位にある、限定入場の音楽イベントへフムス 出店。「トシバウロンとゼロキチ、ウクレレとバウロンで食す旅」
もちろん有り難くお受けした。
バウロンという北欧楽器とウクレレの演奏は、軽やかな音階の世界に引き込まれていった。
フムス はいつも通りのビュッフェスタイルにて。
この時の模様も youtubeに上げてますので、よかったら!
https://youtu.be/8GFdgrKbPIE
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また
イベント当日来られてフムス をお食べになられた方、それも、音楽の先生にお声掛け頂き、2週間後にある「インド古典音楽の会」へフムス 出店のご依頼!
繋がる繋がる音楽で繋がる♪
ありがとうございます♪
後日、
そのイベント会場へ準備の下見に行くと、
門司港駅横にある
旧JR本社ビルの2階で、そこのドアを開けると、門司港とは思えないwow!な光景!作品の数々に目を疑った。
「こんな所があったとは」
そこにいらした男性の方にご挨拶するとスタジオディレクターの真鍋さんだった。パッと見、武田鉄矢のダンディ版。
「下見に来られると聞いてましたよ、ふふ、あなた好きでしょ」と、笑いながら話され
「はい大好きです」
そこは
黒田征太郎さんと言う絵描きの方のスタジオで、この時、黒田さんご本人はいらっしゃらなかったが、作品から伝わってくるエネルギーみたいなのが言葉では言い表せない。そこにある絵が惹きつける。真鍋さんが
「いつも何をされての?」
「なんでもやさん、便利屋さんです」
「よかったらここのスタジオ、なんでもやさんの待機場所でどうですか?」
「え!まぢすか!」
「その代わりと言ったらなんですが、今は作品の引っ越しをするために整理して運び出す作業をしています。その時に大きな作品とかを運ぶのを手伝ってもらえると助かるんですが」
「もちろん!!むしろ私はこのようなクリエイティブな空間に居られるのは大好きですから」
それから
頻繁にスタジオに行くようになり、作品の仕分け整理に携わる中で、自ずと黒田征太郎さんのルーツを知るように。
作品の中には
私が好きなミュージシャン、トランペッターの近藤等則、DJ KRUSH、DJ TAKADA、斉藤和義、ボブマーレイと名だたるレジェンド達との共作、共演が多々あり、目にする度に興味が深みへと迷うこもなく進ませた。
そうするうちに
黒田征太郎さんご本人に
スタジオで
お会いする事があり、
私が「先生」と呼ぶと、
不機嫌に「先生やない」と言うので、黒田さんと呼ぶようになった。この「先生やない」と言うのは、「俺は絵が好きなひとりの人間なんだ」とアーティストとしてのおごりのなさを感じた。
ウチの親父とも同年代で、戦後のハングリーな中をサバイバルされてきた様子を話してくれた時などは親父と被って「ウチの親父と話してるみたいな気がしてならない」と言うと「わかるよ〜わかるわかる」と。更に生い立ちを聞いてると、その風景がまた見えて、似たり寄ったりな育った環境が私をほぐした。私を「おい、ヨシオ、俺は、友達で原田芳雄って俳優がおってな仲良しやってん、アイツおらんようなったけど、また呼べる。ヨシオ!」ってな具合のチャーミングなところも好き。
自分の表現スタイル、やりたい事を貫く背中を見せてくれる愛すべき大人。
そして
「インド古典音楽の会」
@k.u studio
たくさんの方、
しっかりした年齢層の方たちが、皆様オシャレして、1月ですからね、新年会的なご挨拶処も兼ねての音楽会。シタール、タブラの音がまた初々しい年の始まりを染めてくださり、とても素敵なパーティ。フムス も皆様に大好評頂き、やりがい満点。ナイスな一年のスタートができた。お声掛けくださいました池上先生、大感謝です。門司港のアート、それもコアの扉を開けてくださったような感覚です。
それからスタジオに入り浸る様に行っては、出来るお手伝いしたりと、子どもを連れて行くと子供も大喜び。黒田さんと一緒に絵を描くのが楽しいと。挙げ句には、黒田さんを、せいたろうちゃんと呼ぶようになった。黒田さんは「ヨシオ、この子オモロいな、俺ずっと話せるで」
「そしたら、連れて帰りますか?」
「アカン、俺、アレやってこれやってって使うから」
可愛がって貰えるのはありがたく、またその人が、大きな世界を見てきた表現者である、レジェンドだとは光栄過ぎる。ずっと絵を描き続ける大人の背中から、子どもが何かを吸収してくれることを願いながら。
1月末、菊池さんからゲストハウス PORTO の1周年アニバーサリーにオファー頂き、厨房にて「フムス お好きに包んで巻いて」をやらせてもらい、これまた北九州、関門地区で活躍されてるクリエイター、ショップの方々がたくさんお祝いにお越しになられた。
私もしっかりと皆様にフムス の美味さをお届けできた。このような社交場、集いにて提供させてもらえるのは大変ありがたい。菊池さん、ありがとうございました。PORTO おめでとうございます。これからも多くの方々がいらっしゃり、ストーリーを紡がれて行く事でしょう。
2月、片付け仕事のお声掛けにより、溜まり溜まったお屋敷へ。ドアを開けた瞬間絶句からも、手を伸ばして一つ拾いだすと、反対の手でも拾い、もくもくとループする片付け作業。
気がつけば、どんどん片付く。歩き出せば必ず山のてっぺんに行けるのと同じ。諦めない。スキルは要らない。片付けて掃除するだけ。被災地での片付けを経験してるから更に大丈夫。
誰でも、その気になれば何でもできる。その気になるまで腰が重かったりするけどね。
3月になり、去年末から話題になってるコロナウイルスが強力に猛威を奮ってるとメディアが伝える。
マスクを着用すべきだと。
TVを見ない私は、うがい手洗いしっかりやってればいいくらいのスタンス。どうせまた、マッチポンプだろくらいの。
金曜日に喫茶ひるげつで
フムス のランチを終えて
子供を迎えに行く。街中では多くの人がマスクをしてる。巷では、マスクが品切れになり、転売屋が買い占め高値で販売してるとか。殺到する人を見て、なんともいえない気分になった。
不思議の国のアリスのようだ。滑稽なシリアス。
そうしてると、子供の母から「コロナで臨時休校になり、登校日はまだ決まってない」と。
子供と話して「大変そうだけど面白いことなってるね」と。登校日が決まるまでウチで過ごす事にした。
日に日に、コロナウイルス対策で、とうとう地球規模の外出禁止、自粛令が出された。SF映画のような世界が現実となってきた。政府がコロナ対策でマスクを国民に配布するほどに。
そのマスクがどうの、全国民への配送費用計上がどうのと、日頃の政府への不信感も相成り問題提起があちらこちらで勃発した。
他者との接触を嫌うウイルス対策により、企業、会社、工場で休業または自宅待機要請。
外出自粛になると、仕事出来なくて収入が無くなる。
そこで、子どもと話した。
そもそも仕事をしてお金を貰う。そのお金で何をするか?食料を買うよねって。払い物もあるけど、食べ物買って食べないと生きていけないよねと。
お金ないと飢え死にするの?いや違うね、じゃあ、
お金で食べ物を買うという
まわり道をしないで、
直接、食べ物で作れるものは作ろう!となり、家の前の土手へクワとスコップを持って畑作りの一歩、耕し始めた。これまたガラスやら、いろいろ出てくる出てくる。やってると無心になり、あっという間にお昼。片付けと一緒で、やったらやったしこ、目に見えて気持ちいい。
それから、小原市場にある園芸屋のおばちゃんを訪ねて野菜作りの教えを乞いに。土作りが大事と力説され、その通りに、刈った草を燃やした灰を混ぜ、石灰や堆肥やら混ぜ混ぜしてから3週間ほど馴染ませる為に寝かす。
4月になっても登校日が定まらない。街中では人が居ないゴーストタウン。
あ!そうだと、子供と一緒に部屋から、鉄琴を運び出して車に積み込み、門司港駅に行った。晴れた気持ち良い土曜日の昼下がり。駅前はゴーストタウン。映画のようだ。
鉄琴を噴水広場の真ん中に下ろしてセットした。
「はい、今日の課外授業は色んな景色の中で楽器を弾いてみよう!」
いろいろな景色の中では、いつもの同じ楽器でも、出てくる音や節が変わってくるのではないかと言う実験を存分にやってみましょう!子供と言うよりも私自身がやりたかった。
とてもいい授業になった。
ちょうどその時、スタジオディレクターの真鍋さんが通りかかり「面白いことやってますねぇ」
はい、こんな天気の良い日は外でやるにはもってこいですからね。
世間では地球規模での混乱が続き、経済が停滞、倒産する会社に失業者と負の連鎖が止まらない。
指くわえてるわけにもいかないが、外に出ないようにとメディアは促す。子供は夏休みより長い春休みを喜ぶ。一斉にマスクをつけ出した人たちを見て、みんな言う事を聞くなぁと感心した。そしてそのような人たちが真っ先に、この持久戦の中でストレスに蝕まれていく。ウチの両親に「コロナにウンザリしてるならば、TVを見るのをやめてみれば」と教えたが強要はしなかった。
そんな4月も終盤、本当ならばゴールデンウィークの始まり。久々に天狗から連絡があり、去年の台風の被害にあわれた被災地から要請があり南房総へ片付けに行くと。その現地でチームスタッフの朝昼晩の食事作り担当を出来ぬかとお声掛けが。先行きの見えない現状を思うとありがたい。仕事を受けて、5月上旬には現地に行けるように段取りを進めた。ワンコロ達も連れて車で行く。小学校のスケジュールを母方に聞くと、状況が状況なので、学校側の判断も定まらない。よって親である私の判断で子供も連れて行く事にした。そうすると母方も一緒に被災地の復興支援活動に行くと言うので、子供にとっては愉快な親子旅となった。
世ではコロナ禍、県を跨ぐ移動の自粛を強く呼びかけてるが、我々は被災地の復興支援活動という大義の下に出発。山陽中国、福山SAの八朔大福に舌鼓。岡山神戸大阪京都、三重、亀山辺りで一眠りしてから、伊勢湾道路、名古屋、駿河湾SA、東名では観覧車のある富士SAにて休憩。富士山拝んで出発。横浜町田からは東京湾アクアラインで千葉木更津、内房総と呼ばれる君津館山方面へ。ようやく15時間かけて着いたのは、民宿の町と呼ばれる岩井。のどかな田畑の風景の向こう、防風林を抜けると砂浜の広がるビーチ。水平線の向こうに富士山が見える。初めて来た南房総。屋根が無い住宅、ブルーシートで覆ってる建物が目立つ。
天狗と合流し、こちらの受け入れ先の福原建築事務所 リツクルの皆さんにご挨拶。こちらの建築会社の方が被災当初、いち早くSNSで状況を発信拡散した事で全国からの支援が届き始めたと言う。物資も大事だけど、現場に携わる人間がいなければ進まない。と言う訳で、全国の被災地を行き来されてるボランティアの方から、被災地の復興に携わって復興経験のある天狗にアドバイザー的な連絡が来たのだ。そこで集まった1stシーズン、南房総テラスハウスのメンバーは、天狗、大道芸人のよっちゃん、ちゅげくん、館山からの石毛さんに私達。
これは芸達者揃いだぞと思い、頭の中では「復興サーカス」的な空想が膨らんできた。