愛着を知る
愛着というものを知った。
最近買ったものをながめて、ひとりで悦に入っていた。
Theoryのスーツ。Theoryでプライベート用のセットアップを買うのが、小さな夢だった。とても格好いい。
Nothingのレザーのカバン。ずっと気になっていた。『機嫌のデザイン』の秋田道夫氏が監修している。「カバンを持たない人のためのカバン」という哲学に惚れた。
ついでにZARAのアクセサリー。ネックレスとブレスレットとリング。装飾品としては格安だけど、シンプルで主張のないデザインと、ステンレスの食器みたいな、鈍い光沢感が格好いい。
そんななか、ふと視界に入ったアイテムが気になって、デスクに並べてみた。
財布。
時計。
文房具。
改めて見ると、なんとなく自分の好みがわかる。
シンプル。上質。実用的。哲学的。黒。シルバー。このあたりが自分の好みなのだろう。
どれもずいぶん長く使っている物であり、すっかり日用品の一部と化している。
だから気づかなかったが、こうして並べて眺めているうちに、充実感に満たされていった。
好きな物に囲まれているという充実感に加えて、それらと多くの時間を共にしたことで、本当に自分の物になったのだという充実感。
自分は今まであまり物にこだわってこなかった。
いやこだわってないというよりは、執着がなかったというほうが正しい。
物は物。機能する間は使って、壊れれば替える、くらいのドライなスタンスでいた。
しかし、なるほど。これが愛着なのかと気づいた。
もちろん、ただ長く使っていれば愛着が生まれるわけではないだろう。
自分で納得して選んだ物であること。実用的であること。なにより、自分の哲学に合っていること。
いくつかの条件を満たしたものを何年も使い続けて、ふと気づいた時に生まれているのが、愛着というものなのかもしれない。
すてきな感情だと思った。
新しいものを得て満たされるのとはまた違う。
いま持っているものの価値に気づいて、愛情が生まれる感覚。
思いの外、自己肯定感が上がる。なぜだろう、自分じゃなくて、あくまで物なんだけれど。
これらを所持していること、身につけていることに、言葉にするのが難しい満足感がある。
自分は「道具」という言葉が好きだ。
飾り物でもなく、ステータスでもない。あくまで使うためのもの。
秋田道夫氏のカバンのコンセプトも「道具」らしい。
これらもいつか自分の一部のように愛着を持てるといいと思う。
同じものを、長く大切に使っていきたい。
そんな生活の楽しみ方を覚えて、ああ、歳をとってきたんだなと感じた。
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