刀鍛冶の里における日輪刀とキャラクターの描き方について
無一郎くんは竈門兄妹と畳の上で向き合ったとき日輪刀を自身の左側に置いていた。
そのお蔭で半天狗が現れても一瞬で戦闘態勢に入れたのだけれど、刀を畳の上に置くときには相手に敵意がないことを表すため本来は抜刀しづらい自身の右側に置く。それが礼儀だからだ。
例えば煉獄さん。
父上へ炎柱になった報告をするとき、日輪刀を自身の右側に置ききちんと父上への敬意を払っていた。
そんなちょっとした演出にも『煉獄杏寿郎』というキャラクターの持つ明朗快活で清廉潔白なところが表れていた。
一方で無一郎くんは悪意を持たず人を慮らないキャラクターとして描かれていて、『このキャラクターは人を敬うということに頓着せずいつでも鬼を斬れるように刀を抜きやすくしているのだ』ということがあの日輪刀の置かれ方からも伝わってくるのが本当に凄いと思う。
そして炭治郎は、無限列車で見た夢の中で鬼殺隊士にとって命の次に大切な日輪刀を何の迷いもなく雪の上に放り投げた。愛しい兄妹をいち早く抱きしめるためである。
鬼殺隊士になんかなりたくなかった。
本当は戦いなんかしたくない。
それぞれのキャラクターの日輪刀の取り扱い方からそのキャラクターの持つ性質が見手に伝わってきて、作り手がいかに丁寧に鬼滅の刃という作品を創り上げているかが良く分かる。
その果てしない情熱と愛情のお蔭で私達は、エンディングに出てくるそれぞれの日輪刀を見るだけでそのキャラクターを想い泣くことすらできるのである。
毎週あのクオリティのアニメをテレビで観られるということはとても幸運なことだと思う。
また日曜日にTwitterで会いましょう。