【展覧会小説】遊びの流儀
男は一枚カードを引いた。カードは♠の6だった。手元の束にある♦の6と一緒に、目の前に積まれた捨て札の山に投げた。
あと2回のターンで終わる。男は思った。
ジョーカーは女が持っている。女が自分の手札から一枚とる。それは確実にペアになる。そしてその次に女の残り2枚の手札からジョーカーさえ引かなければ、この勝負は男の勝ちとなる。男はそのゴールまでの道筋を思い描いた。そこに自分が最後のターンでジョーカーを引くという可能性は1%もなかった。
「ババ抜きでもしましょうよ。そうね、もし私が勝ったら付き合ってちょうだいよ。」
そうして始まった二人きりのババ抜きは、ものの5分で終盤を迎えている。二人きりのババ抜きなど、前半はペアを捨てる作業でしかない。ゲームとして始まった時には男の手札は6枚、女は7枚だった。
男は目の前に積まれた捨て札を眺めて思った。
ペアになったら遊びの舞台から降りなければいけない。自分は果たしてこの舞台から降りたいのだろうか。山になったペアのトランプたちは自分たちの頭上で繰り広げられる遊びのやり取りをみてどう思っているのだろうか。早々に上がれて良かったと思っているのだろうか。まだもう少し遊びの舞台で、男と女の間を行き来していたかったのだろうか。
男は遊びに余計な条件を加えてきた女をわずかながら恨み、失望した。男にとって「遊び」は不確定を楽しむものであった。女と「付き合う」という確定状況に身を置くことは、「遊び」ではなくなる。
男は思った。自分は最後まで残るババなのだと。永遠にペアになることがない浮浪の者だと。
女は1枚男からカードを引いた。♥の4だった。手元の束から♠の4を抜き、2枚を捨て札の山の上に置いた。こうして女の手札は2枚となった。♣のJ、そしてジョーカーだ。
女は自分の手札を眺めて思った。目の前にいる男は果たして騎士だろうか、それとも悪魔だろうか。男はどちらを引くだろう。そんなことをぼんやりと考えてはみたが、実のところ女にとってその結果はそれほど重要ではなかった。女は男に「付き合う」ことを提案したが、それ自体どちらでもよかったのだ。付き合うことでこれまでの関係性が壊れるなら、それはそれで構わなかった。そうした一言を添えることで何がどう変わるのかが知りたかった。女にとって「遊び」とは変化を楽しむことであった。
微妙にすれ違いながらも、二人はゲームを成立させていた。
男が女の手札に手を伸ばす。男は自分から見て右側のカードをつまんだ。その瞬間女の顔が一瞬曇った。男はそれが残りのカード、つまりJ(ジャック)であると確信した。その瞬間、ある思いがよぎった。
今ここでジャックを引くより、あえてジョーカーを引くのはどうだろうか。そして女が引く時にはジョーカーを選ばせるよう誘導すればいい。そうすれば永遠にジョーカーが男と女の間を行き来するだけだ。
そう企てるも、それがさほど意味のなさない事と悟ると、男は仕方なくそのまま右側のカードを引いた。
ジョーカーだった。
男は思わず「えっ」と漏らした。それはほとんど無意識だった。
男は自分自身の反応に戸惑った。ついさっきまで思い描いてた通りジョーカーを引くことができたにもかかわらず、動揺したのはなぜか。
結論が先延ばしになったのだから、むしろ内心喜ぶべきではなかったか。自分は潜在意識の中では女と付き合うという未来を同じように望んでいたのだろうか。それともババ抜きというゲームの性質上、「ジョーカーを引く」ことに対する先天的とも言うような条件反射だろうか。
否。この戸惑いは、ジョーカーを引くことがわかっている女の顔が一瞬曇ったことだ。女は自分にジョーカーを引いてほしくなかったのか。
女は勝ちたいわけではないのか…。ならば女の目的はなんだ。本当に付き合いたいなら勝ちを望むはずだ。勝ちたくないという事はもしかして、こういう面倒なゲームを持ち出すことで自分が女に愛想を尽かすように仕向けているのか。
女は可笑しかった。それまでポーカーフェイスを決め込んでいた男が一瞬見せた戸惑い。きっと男は自分に主導権があると思っていただろう。根拠なく、このまま自分がもう一枚のジャックを引くつもりでいたし、私の表情を読み取ってそれと確信した。そのように無意識に思考を巡らしていることが可笑しかった。
男がジョーカーに手をかけた時、女は心から残念に思った。それはこのターンで決着がつかない事への失望だった。女は飽きていた。たった数回とはいえ交互にカードを引きあうだけのやり取りに。だから先ほど見せた男の動揺は女の心を満たした。たかだかババ抜きという他愛のないゲーム。そしてその勝負の行方で変わるのは「付き合う」「付き合わない」という、他愛のない関係性。その他愛のない遊びに無意識のうちに熱中し、一喜一憂している男が可笑しく、愛おしかった。
そして、女は自分から見て左側のカードを引いた。
その瞬間、男は思った。「遊びは終わった。」
その瞬間、女は思った。「遊びはこれからだ。」
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この小説はサントリー美術館で開催された「遊びの流儀」展からイメージを膨らませて創作しました。展覧会のレビューはこちら。
https://note.com/ja9chu/n/n8853b83f4816
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