その花は月を食む
安っぽい集合住宅の森の中、LED街灯の白に混じってオレンジ色の灯りが見えたら、それが目印。扉を開け放ったアパートの一室から百花の香りが漂う。
「これで上手く行くんですか」
バケツいっぱいのガーベラやスプレイリリーに囲まれながら、薔薇三輪のアレンジを抱きしめて少年は問う。
「それはあなた次第ね。頑張って」
私はマダムの顔で少年を送ってやる。
塾の先輩に贈る花束はきっと功を奏する。要は脇に添えたグリーンだ。呪いをかけたディルの芳香が少女を少年の虜にする。
ここはヒトの願いを叶える花屋。
憎いんです、と今宵二人目のお客は店に入るなり訴えた。聞けば、将来を誓い合ったはずの男性が、別の女と結ばれるのだと言う。その女が憎くて仕方がない、と。朴訥と語る姿はシニヨンと眼鏡とも相まって、華が無い。
「そうねえ」
私は押入れの襖を開けた。中には鈴蘭、鳥兜、紫陽花がバケツに活けてある。どの花もよく呪ってある。
「こういうものを花嫁に送ってみては?」
「……全部、毒、ですよね」
「そうね。食べればね。あなた、切り花を口にしたことがあって?」
「いえ。そんなことは」
「花言葉みたいなものよ」
私はお嬢さんの耳元で囁く。
「あなたは恋敵に祝いの品を送る、立派な女性だわ。万が一、先方に何かあったとして、どうして花に累が及ぶものですか」
「それは……」
お嬢さんはじっと呪いの花を見つめている。その瞳は次第に燠火のような熱を帯びる。憎悪の炎だ。
お嬢さんが唇を開く。
「たとえヒトの警察が見逃しても、私は、私達は許さない」
「は」
私は首を傾げる。お嬢さんが髪を解く。襖に派手な穴が空く。私の頭があった所に。
彼女の髪を纏め上げていたものは、刺突短剣だった。その柄頭の紋章は、忘れるものか、『宿り木会』!
私は指先で中空に印を描く。成長促進、アルカロイド増強、指向性。呪いに従い、鳥兜の茎が宿り木の女を捕らえる。
【続く】