リーダーが組織内の「愚痴」「同僚の悪口」「会社批判」をゆるしてはいけない理由
タイトルにもあるように、僕は「リーダーは『愚痴』『同僚の悪口』『会社批判』を絶対にゆるしてはいけない」と思っています。見かけたら厳しく注意し、改善しないようであれば人事的処分を下してもいいとさえ思っています。
なぜか?
組織における悪口は、生産性を低下させるからです。
というと、「愚痴る時間があれば仕事しろよ」みたいな
『愚痴る時間=無駄』説を言っているように思われるかもしれませんが、そうじゃないんです。
むしろ愚痴ることによって生じる二次的な弊害の方が、組織にとって生産性を低下させ、長期的な問題になると思っています。
愚痴が組織の生産性を低下させる。
その理由は4つです。
事実関係を曖昧にしても平気な組織になるから
悪口は大抵の場合、『相手への嫌悪感からくる悪意ある噂話』である事が多い。
「Aさんが昇進したけど、あれって部長が『イエスマンばかり』集めた結果だよね。」
「Bがプロジェクトリーダーになったけど、アイツには勤まらないと思うんだよな。たぶん課長もそう思ってるだろうし。」
こんな具合だ。
愚痴の多くは、事実ではなく相手に嫌悪感を持っている人物の感情的な憶測でしかない。
そんな雑多で悪意のある情報を垂れ流し、2-3人が集まって同調し、「そうだよなー。」って合意形成されると、噂も既成事実へと変わってしまう。そうなると事実関係は滅茶苦茶になる。
コミュニケーション能力と問題解決能力の低いチームになるから
仕事で壁にぶち当たったり、組織に問題が起きた時、関係者と十分にコミュニケーションを取り、問題解決を図るべきで、愚痴っていてはいけない。
そんな時間はないはずだ。
たしかに、気の合う同僚に愚痴って、「そうだよねー」と共感してもらうことで気は休まる。
「やっぱり俺は間違ってないんだ。」と。
「悪いのはアイツなんだ。」と。
しかし、愚痴で手短に「やっぱり俺は間違ってなかった。」と承認欲求を満たすことで、本来は必要なコミュニケーションや問題解決の機会が失われてしまう。
愚痴の多い人や組織は例外なく『コミュニケーション能力と問題解決能力』が低いのは、愚痴によってコミュニケーションと問題解決から逃げてきたからだ。
倫理観が歪んだ組織になるから
愚痴、同僚の悪口や会社の批判が日常的にある職場では、モラルが低くなる。他者をディスることが許容される雰囲気が当たり前になり、悪口を聴いても「また言ってるなぁ」と周囲が聞き流せる職場環境は危険だ。
「割れ窓理論」で説明されるように、人は環境によってその言動が影響を受けるので、愚痴、同僚の悪口や会社批判が日常的にあると、それはいつかパワハラ、横領や不正会計につながりかねない。
不要な根回しや忖度が多い組織になるから
愚痴は組織の意識決定にも影響する。
愚痴が多いと、意思決定プロセスがゆがめられてしまう。
物事を決めたり役割分担したりするときに、愚痴る人に配慮して事前にお伺いを立てたり、負担の多い業務から外したりすることになる。
誰でも愚痴られるのは不快でイヤだろうから、事前に愚痴られないよう自己防衛的に行動することになる。
その結果、不要な根回しや忖度が組織内に蔓延し、本来の業務配分でなくなったり、意思決定に時間がかかったりすることになる。
良い人材を逃がさない為にも、職場で平然と愚痴や悪口を言う社員には厳しく対応しなければいけない。