メルカリの歌

秋には三度の大きな別れと、二回の取り返しのつかない失敗と、ひとつの死があって、このままカウントダウンが進むと高らかなファンファーレとともに何かが終わってしまうのではないかと思う。

そんな季節の始まりにメルカリで物を売っている。大量に、毎日のように不用品を手放している。子供のころに遊んでいたトレーディングカードとか学生のころ集めていた腕時計とか昔の恋人と一緒に行った美術展で買ったキーホルダーとか、幾許かのお金と引き換えに僕の過去を切り刻んで売っている。なんでこんな物を大切そうに取っていたんだろうと、何かを思い出してしまう前にすかさず写真を撮って、もしかしたら大切な物だったかもしれないぞ、と過ぎ去りし自分が図々しく文句を言ってくる前に値段を決めてしまう。

あまりに毎日発送するので近所のファミマの店員に顔を覚えられる。彼は僕の顔を見ると無言で荷物に貼り付るビニールを持ってくるようになったが、先日はサラダを買いに行っただけなのに目の前の商品に気づかず、しばらく惨めな迷い犬のように伝票を探していた。

遺物で締まりきらなかった引き出しの中が片付き始める。空いた隙間に何が詰まっていたのか、もう思い出せない。思い出せないくらいくだらないもので、僕はいっぱいになっていたのかと悲しくなる。大切にしてきた思い出も、いつかメルカリで売っている匿名的な不用品として僕の元を去ってしまうのか。それもいいと思う。思い出なんて持っていてもなんの役にも立たない。ときどき取り出して輪郭をなぞる時間が無駄だ。僕は未来に生きているのだ。振り返っている時間なんてない。しかしはたして過去のない今に未来はあるのだろうかと思うけど、そんな結論の出ない話し合いをしている暇はない。早く今日の分をメルカリに出品しなければいけないのだから。

窓の外が白んでいる。もうすぐ夜が明ける。僕はこの朝を知っている。十年前にも同じ朝があった。濁った空と虫の音とパンツ一丁の脚にしみる涼しさと思考停止した脳みそと、抉られるような静けさ。呼吸がつらい。

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