波乱人生ー出産


大阪に行って、ついにその関西人と会った。


???

あれ、写っていた写真や、

画像と全く違う。。。


前歯が数本しかない。。。

小さくて、太っていて

薄緑のスーツに、赤肉メロン色のネクタイ。

まるで、メロンだった。


そして、悪臭がした。

多分、口の匂い。


私は、かなり滅入ったが

何も言えず、とりあえず

彼の親に会った。

彼の家は、創価学会。


彼は、創価学会が嫌で、逃げ回っていたので

家族から、出来損ないとして扱われていたと聞いた。


母親も、歯がない。

そしてこう言った。

「こんなんでええの?」


そして、とりわけ興味なさげに

別れた。


彼と一泊し、体の関係にもなった。


次の日は

彼は、急にパチンコをしだした。

私を店の前に置き去りにして。


そして、その日に札幌へ帰った。



私の実家ももう、完全に崩壊しきっていた。


家を全て取り仕切っていた祖母が、ガンで死んだことで

無法地帯のようになっていた。



自分の部屋にその関西人を招いて

1ヶ月ちょっとして、

生理がなく、検査したところ

妊娠していた。


逆算すると、関西での一夜が妊娠につながっていたようだ。

今思っても、浅はかな自分に吐き気がする。


彼は大喜びして、すぐに役所で婚姻届を持ってきて

提出した。



私は、中学の時から

とにかく自分の子供が欲しかったので

迷いもなく、産む、結婚する、と思った。


親に捨てられたためか、自分の家族が欲しかったのだと思う。


本当に、たくさんの選択のミスをし続けていたが、

この頃の私は、全くわからなかった。


なんせ、ひどい泥のような家族の中で育っている。


依存症、暴力、暴言、騙し合いしかないような家だったから、

この関西人がいかにひどいか、全くわからなかった。

むしろ、自分の生活の中では、普通なのだから。



妊娠がわかって少しして、こう言われた。

「俺、実は借金があんねん。」

それは、消費者金融から、80万程。


「え。。。嘘でしょ。。。」


そう思ったけれど、お腹には赤ちゃんもいる。


「頑張って、返していこう。」と私は言った。


美しい初夏の公園の、緑が眩しかった。



何ヶ月経っても、彼は働かない。

ハローワークにいくものの、決めはしない。


私が怒れば、とりあえずハローワークに行っていた。



家を取り仕切っていた叔父が、

子供もできて、かわいそうだと思ってか、

毎月5万、くれた。



それを、できるだけ貯めようとしたが

家や、財布に入れておくと

抜かれて、パチンコに行かれ

ゼロになった。


その度に、泣いて怒った。


通帳にあった30万、それも

妊娠8ヶ月にゼロになっていたことに気がついた。


産むためのお金が、消えた。


私は、お腹を叩きながら、ひどくないた。


なんと、それはまたパチンコの大勝ちによって、取り戻し

出産費用を確保した。


そして、なんとかIT系で彼は働き始めた。



お腹は大きく、もちろん可愛い赤ちゃんとの再会を思うと

猛烈な幸せを感じたが

不安の方がいつも勝っていた。


出産。


なかなか出てこなかったので、帝王切開だったけど

元気な女の子で、丸々としていてとても可愛かった。

感動で涙が止まらなかった。


出産の時も、少し顔を出して

パチンコ店の方に歩いていくのを見た。

出産の前後は、いっそう心が不安定で

ひどく泣いたのを覚えている。


入院して、5日目。


彼は、「仕事を辞めてきた。」と言ってきた。


私は、泣きながら婦長に

どうか退院させてください。お金がなくなりそうです。と言った。


私のお腹の傷は、ふさがらず

開いていたので、歩くのに猛烈な痛みがあったが

通院することで、退院を許された。


ーー続く

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