猫を飼う人生
私の母は、動物が全般嫌いで、というより怖く思っている人で、実家で犬を飼っていた時も、一度も触ったことはなかったし、1メートル以上近づくことすらしなかった。
中でも、母は特に猫を嫌っていて。犬はまだ見ていることができると言っていたけれど、猫はもう視界に入るだけでも悲鳴を上げ、失神しかねないほどだった。
そんな母がいたので、実家で猫を飼うことは、絶対に絶対に無理だった。大人になった今になって考えてみれば、実家はものすごい田舎で、敷地だけは無駄に広かったので、裏庭や農機具置き場となっている小屋で猫の1匹や2匹、母に隠れて世話をすることもできたのかも知れないけれど。
実家で暮らしている時は、そんなことが可能だとは考えることもなかった。なんとなく、そういう母の影響もあって、いつも猫という生き物は、私の人生から少し距離を置いたところにいた。地元の友だちの間でも、猫を飼っている家は一軒だけで、他は大体、犬を飼っていたから。
大学で関西に来てからも、とても猫好きの友人はいたけど、家では犬を飼っていたし、猫と暮らしている知り合いもほとんどいなかった。資格のために入った大学で、大人になってから知り合い、友だちになった人に、猫を好きで飼っている人が2人いたけれど、家を訪ねるほど仲良くはならなかったし。
それに、私は、実家で犬を飼っていた時、100点満点の飼い主ではなく、その子を看取った時も後悔しかなかったから、自分に動物を飼う資格などないと思っていた。もし犬を飼うことがあっても、私以外に保護する人がいない場合、どうしても……!というほどの場面に直面しない限りは、飼うことはしないようにしようとしていた。
野良猫にも、会ったら「こんにちは、今日寒いね」などと話しかけたりするものの、餌をあげたり、撫でたりなんてことはしなかった。私は、命に対する「無責任」を異常なほど恐れ、自分がそうならないよう常に警戒していた。どの犬にも、そういう野良猫にも、自分で飼えない以上、関わってはいけないと。
しかし、なんの巡りあわせなのか。私の夫は、ものすごい猫好き、犬好きで、実家ではずっと動物を育てていた人だった。人間に対してやさしい人だとは知っていたけれど、動物に対しても変わらず(むしろ、さらにやさしく)、彼は子ども時代から、ボロボロの捨て猫を拾っては育て、拾っては育て……という生活を送ってきたそうだ。
義理の母は「本当に汚くてガリガリで死にかけたような猫でも、あの子(夫)は、おかまいなしなのよ。とにかくどんな猫でも見つけたら拾ってきて、きれいに洗って、せっせと面倒見て。毎度大きーくなるまで育ててね……。大変だったわ」と、半分あきれながら私によく話してくれる。
当時のことを、夫は「かわいそうで、かわいそうで。見捨てられなくて」と言う。私も、彼に拾われた命のひとつで(しかも、猫たちと同じくたくさん食べて大きくもされた……)、彼がどれだけ慈しみ深い人間か知っている。
そして、彼が動物との暮らしを望んでいることも、それが彼にとって、とても重要で必要なことであることも、一緒にいる内に知るようになった。
だから、私は「猫を飼う」覚悟について、ここ何年かかけて準備してきたのだった。今年はいよいよペット可物件に引っ越すつもりで、そのための物件探しと、猫との生活に向けて物を減らす作業もしている。
まさか、私が、また動物と、しかも猫と暮らす人生を送ることになるなんて。ここ20年近く、子ども時代の私が聞いたら腰を抜かすような、夢物語のようなミラクルな出来事ばかりだったけれど、大人の私が「猫と暮らす」というのも、聞かせたらかなり驚くだろうなと思う。
これから近い未来、私は、毛だらけの温かくしなやかで、多分、気まぐれでやさしい生き物の一生と命の責任を持って、20年近くを生きることになる。
彼と出会ってから、想像もしていなかったことばかり起きている。その多くが、幸福なものだった。猫と暮らすこと。それも、そのひとつに加わるのだろう。
猫も私たち人間側も、思わぬトラブルや病気に見舞われることはあるかもしれない。でも、それでも、できるだけ幸せで温かな形で、猫との暮らしをはじめ、そして終えることができたらと思う。
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